第58話 150年前 とある邸宅
「……兄貴、最近ちょっと浮かれてるんじゃないか?」
ツインテールをきゅっと結い上げた少女は、キッチンの隅で白い湯気を立てるケトルへと一瞥を送りながら、半ば呆れたように言った。
「お、わかるか! さすがは俺の妹だ! 兄貴の心を読むとは、やっぱり血の繋がりってのは偉大だなあ!」
大柄な男は豪快に笑い声を響かせながら歩み寄り、容赦ない力で少女の頭をわしゃわしゃと撫で回す。
「ちょっ……やめろって! もう子供じゃないんだから!」
少女は眉を寄せて抗議したが、その頬にはうっすらと赤みが射していた。そこには怒りだけでなく、どこか照れにも似た感情が混じっている。
「俺はもう成人してるんだぞ。それに、こういう時代だし……兄貴が珍しく機嫌いいから、ちょっと気になっただけだ」
その言葉の奥には、戦乱の中で常に張り詰めた空気をまとっていた兄の変化を見逃すまいとする、彼女なりの気遣いが潜んでいた。
男はその思いを見透かしたかのように、ふっと表情を和らげる。
そして静かに言った。
「親友ができたんだ」
その一言には、戦場で生きる者とは思えぬほど、少年のような無邪気さが滲んでいた。
「すげぇ優しくて、生真面目で、根性があって、芯の強い奴だ。……お前みたいにな」
真剣な声色に変わった兄の言葉を受け、少女はわずかに目を見開き、すぐに視線を逸らした。
「ふん……調子いいこと言って」
素っ気ない返事の裏で、彼女の胸には静かな安堵が広がっていた。
兄が再び誰かを信じ、笑えるようになった――それだけで、彼女にとっては十分だった。
「来週、西の森へ任務に出る。また少し家を空けることになる。悪いが、留守を頼むな」
男の言葉に、少女は小さく頷く。そして無言のままマグカップへと熱いコーヒーを注ぎ、ほんの一滴だけミルクを落として手渡した。
「任せなよ。兄貴の代わりに、ここはちゃんと守っとく。だから無事に帰ってこいよ。それでまた、その親友とやらに会えるといいな」
少女の言葉を聞いたとき、男の目はふっと細められた。遠い記憶をなぞるように、彼は静かに呟く。
「……次に会うときも、あの時のような夕日を、あいつと見たいものだな」




