第55話 4月24日 クンスト・トーキョー北東にある野原 明け方
モルガは、アルスがプロテクトゲルの上に無事着地したのを確認すると、安堵の息をひとつ落とし、再び拡声器を手に取って口元へと運んだ。
「アクセルさん、プロテクトゲルを縮小してください」
指示を受けたアクセルが素早く操作を行う。すると、柔らかな白い膜はゆっくりと収縮し、やがてアルスの体格より一回り大きいほどのサイズに落ち着いた。
「アルスちゃんたち! 今、救急車が到着するわ!」
エルザが駆け寄り、声を張り上げる。だが、返ってくる反応はない。彼女が再び呼びかけようとしたその瞬間、才原が静かに手を上げて制した。
「気を失っているだけです。安静にさせましょう」
落ち着いた声だった。状況を冷静に見極めたその判断に、エルザも小さく頷く。
「……そうね」
すると、拡声器越しのモルガの声が再び響いた。
「上空から落下……いえ、違います。誰かが降りてきます!」
言い直したのは、その姿があまりにも異様だったからだ。降下してくる人物は、落ちているのではない。まるで空中を歩むかのように、静かに、ゆるやかに高度を下げていた。
才原は懐から小型の双眼鏡を取り出し、空を仰ぐ。
レンズ越しに捉えたその姿を確認した瞬間、彼の表情がわずかに引き締まった。
「雪影夜行……皆さん、一定距離まで退避してください!」
「何ですって!? 東郷ちゃんから話は聞いたけれど、戦う意思はないはずじゃ……」
周囲は一瞬ざわめいたが、才原の声音には逆らえない緊張があった。人々は次々とその場から退避していく。
やがて現場には、才原、エルザ、アクセルの三人だけが残った。彼らは倒れたアルスを守るように位置を取り、静かに身構える。
一方、雪影夜行は数百メートルの上空から舞い降りながら、空気を滑るように地表へ近づいていく。黒衣は風を孕んでゆらめき、光の加減で淡く銀を帯びていた。重力の束縛を受けているとは到底思えないほど、その降下は静謐で、異様なほど滑らかだった。
やがて彼は、才原たちから十数メートル離れた地点に、音もなく降り立つ。
その指先が緩かに動いた。。
すると衣の裾から、小さな蓋付きの小瓶が現れる。
雪影夜行がその蓋を開いた瞬間、内部からまるで吐き出されるかのように人影が次々と現れた。ソウレンを含むナタル教の残党たちである。彼らはすべて意識を失った状態で、力なく地面へと崩れ落ちた。
「……一体、何の真似です?」
才原の額に一筋の汗が伝う。
その問いに対し、雪影夜行は何も答えない。ただ静かに佇んでいる。
やがて彼は、ふと視線を才原たちの背後へと向けた。
狐面の奥の瞳が、わずかに揺らめく。
次の瞬間、彼は静かに指を一度鳴らした。
すると、銀色に輝く雪の結晶が音もなく宙に現れた。それらは淡い光を放ちながらゆっくりと舞い、彼の周囲を柔らかく包み込んでいく。
結晶が渦を描き始めたとき、雪影夜行の姿は揺らぎ、溶けるように変形した。
黒い羽が広がり、次の瞬間には、一羽の黒い鳥へと姿を変えていた。
鳥は一度だけ羽ばたく。その軌跡に銀の光が尾を引き、やがて夜空へと溶け込むようにして静かに消え去った。




