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橄欖色のアーカイブ  作者: 藍川 卯木子
橄欖色のアーカイブ

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53/118

第53話 4月24日 実験施設『エルズニル』低層階 夜明け前 3

 雪影夜行はアルスたちを地上へ送り出すと、音もなく踵を返し、静かにソウレンへと歩み寄った。

 血に濡れた地面に膝をつき、荒い呼吸を繰り返していたソウレンは、その足音を聞きつけると、ゆっくりと顔を上げる。


「……教祖様」


 掠れた声に、皮肉が滲んでいた。 

 だが雪影夜行は何も答えない。ただ無言のまま、彼を見下ろしている。その沈黙は重く、圧倒的だった。 

 それでもソウレンは怯まず、かすかな笑みを浮かべて続けた。


「あの子供……自分がナタルだと言っていましたが……」


 信じがたいという思いは、血の混じる乾いた笑みに変わって滲む。

 雪影夜行は、静かに頷いた。


「本当だ。あの彼こそが、ナタルだ」


 その言葉を聞いた瞬間、ソウレンの瞳が揺らぐ。

 そして次の刹那――狂気じみた笑い声が響き渡った。


「……ははっ……あっはっはっはっ!!」


 喉の奥から絞り出されるような哄笑が、傷だらけの身体を震わせる。


「……私は……あんなガキを崇めていたのか!!」


 笑いの余韻が空気を震わせたその瞬間、雪影夜行の周囲に、冷え切った殺気が満ちた。 

 空気が鋭く張り詰め、足元の影がゆらりと揺れる。

 それを感じ取ったソウレンは、笑みをわずかに消した。


「……なるほどな。貴方の信仰心は、私たちとは違ったということか」


 目を伏せ、かすかに首を傾げる。


「あの石でアンビジブルが復活しなかったとき……私は貴方に騙されたのだと思いました。……ですが、どうやら違ったようですね」


 ソウレンの口元に浮かんだのは、微かな笑み。だがそこに喜びはなく、空虚と皮肉が混ざり合った乾いたものだった。

 アンビジブルは復活した。 

 ナタルもまた、確かに姿を現した。

 だが、それは彼が長年思い描いてきた理想とは、あまりにもかけ離れていた。アンビジブルは無理やり蘇生された存在に過ぎず、目覚めた直後、あの少女によって容易く制圧された。 

 そして神として崇め続けてきたナタルは――ただの子供だった。

 脆く、未熟で、怯えを宿した瞳を持つ。神などとは程遠い存在。


「……冗談だろう」


 思わず漏れた言葉に、ソウレン自身が最も動揺していることが露わになる。

 否定したい。 

 受け入れたくない。

 それでも現実は、容赦なく彼の信仰を打ち砕いていた。

 だが――そのすべての出来事。

 歪んだ復活も、信仰の崩壊も。

 雪影夜行にとっては、すべて想定内だった。

 その事実に気づくと、ソウレンの背筋を冷たい戦慄が走る。

 自分は観察者ですらなかった。 

 最初から、計画の全貌すら知らされぬまま――盤上に置かれた駒のひとつに過ぎなかったのだ。

 その理解に至ったとき、彼はもはや笑うしかなかった。ソウレンは天を仰ぎ、笑みを深める。 

 しかしその瞳に宿るのは、どこまでも空虚な光だった。


「ですが……私は貴方様を恨んではいませんよ」


 かすれた声が静かに落ちる。


「ムルメルである私にとって……貴方の御伽話は、唯一の救いでしたから」


 言葉が途切れる。

 そしてソウレンの意識は、音もなく闇の底へと沈んでいった。

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