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橄欖色のアーカイブ  作者: 藍川 卯木子
橄欖色のアーカイブ

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44/120

第44話 150年前 実験施設『エルズニル』 3

 アンビジブルが目覚めてから、半年が過ぎていた。

 そのわずかな期間で、地球の都市の四分の三は壊滅し、宇宙に築かれたコロニーも半数近くが灰となった。

 人類が積み上げてきた文明は崩れ落ち、星々を結んでいた繁栄は、絶対的な暴力によって無残に引き裂かれていく。

 各国政府も宇宙政府も、そしてクンストンでさえ、何度もアンビジブル討伐を試みた。

 だが、そのすべては失敗に終わる。

 攻撃を仕掛けた瞬間、兵器も兵士も、存在そのものが消え去った。

 爆炎も残骸もない。

 悲鳴すら残らない。

 ただ、そこにあった命だけが、最初から存在しなかったかのように消滅する。

 度重なる敗北は、人々から抗う力を奪っていった。

 やがて敵対していた勢力までもが手を取り合い、宇宙は休戦という苦渋の決断を下す。

 それほどまでに、アンビジブルは絶望そのものだった。


 その中心で、ナタルはたった一人で抗い続けていた。

 霞む視界。重く沈む身体。

 頭の奥を締めつける鈍い痛みが、絶えず意識を削っていく。

 それでも彼は、なお抵抗していた。

 アンビジブルに呑まれまいと。

 暴走する衝動を、ほんの一瞬でも抑え込もうと。

 残された理性のすべてを振り絞って。

 だが、ほんの刹那でも意識が途切れれば。

 目を覚ました時には、また一つ都市が消えている。

 その現実が、少しずつ、確実に心を蝕んでいった。


(……最近……駄目だ……)


 思考が霞む。

 言葉が形を失っていく。


(意識を……奪われる……回数が……増えてる……)


 震える手を強く握る。

 爪が掌へ食い込んだ。


(僕には……もう……少しだけ……時間を……稼ぐことしか……できない……)


 苦く笑う。


(これが……報い……なのかな……)


 自分が生きている限り、誰かが死ぬ。

 その事実を、誰よりも理解していた。

 それでも。

 彼は闇へ沈みそうな意識を、必死に引き留め続ける。

 その時だった。


「ナタル!」


 遠くから声が響いた。


「ナタル! 迎えに来たぞ!」


 力強く、よく通る声。

 ナタルは霞む視界をゆっくりと上げる。

 崩れかけた瓦礫を飛び越え、一人の男が真っ直ぐ駆けてくる。


「……お……の、き……?」


 男は豪快に笑った。


「そうだ! 大野木賢三郎だ!」


 血にまみれ、服は破れ、それでも笑っていた。

 その笑顔は、暗闇の中で燃える焚き火のように温かかった。


「早……く……逃げ……」


 息を切らしながらナタルが告げる。


「ここは……危な……い……」


 しかし、大野木は立ち止まらない。


「何言ってんだ」


 当然のように言った。


「助けに来たって言っただろ」


 その一言だけで。

 凍りついていたナタルの心に、小さな灯がともる。


「僕は……もう……」


 首を振る。


「いい……から……」

「いいわけあるか!!」


 雷鳴のような怒声が響き渡る。


「助けに来たって言ってんだ!」


 一歩、また一歩と距離を詰める。


「だったらお前は、助けてくれって言えばいい!」


 迷いのない声だった。


「助けてもらうことを諦めた奴はな――」


 拳を強く握る。


「誰にも助けられねぇんだよ!!」


 その言葉が、ナタルの胸を貫いた。

 涙が溢れる。

 止めようとしても止まらない。

 頬を伝い、次々と零れ落ちていく。

 震える唇が開いた。


「……助けて……」


 かすれた声。

 もう一度。


「助けて……!」


 世界へ向かって、初めて救いを求めた。

 その瞬間だった。

 大野木の胸元が眩く輝く。

 彼は懐から一つの石を取り出した。

 七色の光を宿した石は、鼓動するように明滅している。

 大野木は石を掲げ、まっすぐナタルを見つめた。


「大丈夫だ」


 力強く笑う。


「お前は絶対、幸せになれる」


 その言葉とともに、石は一際強い輝きを放った。

 呼応するように、アンビジブルが唸る。

 禍々しい紫の光が噴き上がった。

 虹色の輝きと紫の奔流が正面から激突する。

 空間が軋む。

 世界そのものが悲鳴を上げる。

 押し合う二つの光は渦となり、ナタルと大野木を包み込んだ。

 やがて紫の光が虹色を呑み込み――。

 閃光。

 轟音。

 無数の光の欠片が空へと舞い上がる。

 暴走した紫の奔流は一瞬でトーキョー全域を覆い尽くした。

 都市が崩れ落ちる。

 天地が揺れる。

 そして――。

 ナタル。

 大野木。

 アンビジブル。

 三つの存在は、施設ごと世界から消え去った。

 まるで最初から、そこに存在していなかったかのように。

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