第42話 150年前 実験施設『エルズニル』 2
アンビジブル――。
それは、操縦者の脳を直接侵し、制作者の命令だけに従うよう造られた、生きた兵器だった。
何も知らされないまま操縦席へ座った、その瞬間。
ギチリ、と機体内部が軋む。
眠っていた無数の管が、生き物のように蠢き始めた。
「……っ?」
異変に気づいた時には遅かった。
管は一斉に天花へ絡みつき、腕を、脚を、胴を拘束する。
逃げようにも、身体はびくとも動かない。
「な……何だ、これ!」
ブシュッ――。
鋭い音とともに、無数の針が天花の肉体へ突き刺さった。
「――あああああああぁぁぁぁっ!!」
脳を直接かき回されるような激痛。
意識を引き裂かれるような恐怖。
悲鳴とも嗚咽ともつかない叫びが、格納室いっぱいに響き渡った。
その頃、ナタルは訓練を終えた天花へ差し入れを持って行こうと、軽い足取りで格納区画を歩いていた。
「そろそろ終わる頃かな。差し入れぐらい許してくれるだろう」
そう呟いた、その時だった。
「――ああああぁぁぁっ!!」
耳を裂くような悲鳴。
ナタルの足が止まる。
聞き間違えるはずがない。
「……天花?」
次の瞬間には走り出していた。
扉の前へ飛び込み、力任せに押す。
開かない。
「どけぇぇッ!!」
轟音。
蹴り飛ばされた扉が内側へ吹き飛ぶ。
そして、目に飛び込んできた光景に、ナタルの瞳が凍りついた。
無数の管に身体を貫かれ、泣き叫ぶ天花。
その横で、高らかに笑う白衣の男。
少し離れた場所では、スーツ姿の男が怯えながら様子を窺っている。
全身の血が、一気に沸騰した。
「……何をしている」
ナタルの声は低く震えていた。
一方、白衣の男は笑みを崩さず、高らかにナタルに声をかけた。
「ほう。落第者か」
そう言って鼻で笑う。
「君に説明する義理は――」
「質問してるんだ」
ナタルの声が重なる。
白衣の男は肩をすくめる。
「まあいい。歴史的瞬間くらい、見届けさせてやろう」
男は芝居がかった仕草でアンビジブルを指差す。
「彼女は今、アンビジブルへ捧げられている」
男は迷いなくスイッチを押した。
ズズズズズ……
アンビジブルの両眼へ莫大なエネルギーが集束する。
一瞬後。
閃光。
轟音。
そして再び、天花の絶叫。
「見たまえ」
男がモニターを示す。
すると、そこには紫炎に呑まれた大地が映っていた。
クンストンの拠点。
敵兵も。
味方の兵士も。
等しく紫の炎に包まれ、苦しみながら倒れていく。
「これは……」
ナタルが息を呑む。
白衣の男は恍惚と笑った。
「半径百キロを誤差なく焼き払う。」
「これこそ究極兵器だ!」
横でスーツの男も歓喜に震える。
「素晴らしい……! これさえあれば宇宙は我々のものだ!」
その一言だった。
ナタルの中で、何かが切れた。
右腕が音もなく刃へ変わる。
次の刹那、白衣の男とスーツの男の腹部から鮮血が噴き上がった。
「……え?」
「ひゃゃゃゃゃゃゃっ!!!!」
何が起きたのか理解できないまま、二人は膝をつく。
スーツの男は絶叫しながら息絶えた。
一方で白衣の男はまた息があるようだ。
ナタルは倒れた白衣の男の胸ぐらを掴み、そのまま持ち上げた。
「止めろ」
低く告げる。
「アンビジブルを止めろ。」
「ぐ……っ」
「止める方法と壊す方法を話せ」
刃先が喉元へ触れる。
「言わなければ、お前を殺す」
白衣の男は血を吐きながら笑った。
「止め……られん……」
「何?」
「止める方法も……壊す方法も……存在しない……」
「ふざけるな!」
刃がさらに食い込む。
それでも男は笑う。
「嘘では……ない……」
背後で天花の悲鳴が響く。
ナタルは振り返り、叫んだ。
「天花を助ける方法は!」
白衣の男は途切れ途切れに答える。
「新しい……健常者を……代わりに……捧げる……それだけだ……」
ナタルは言葉を失う。
男は血を吐きながら嗤った。
「できるか……? 誰か……連れてくるか……?」
返事はなかった。
ナタルは男を放り捨て、一直線に天花の元へ駆け寄る。
「天花!」
涙で濡れた瞳が、彼を見つめた。
その姿を見た瞬間、ナタルの迷いは消えた。
「……もう大丈夫。」
穏やかに笑う。
そしてナタルは天花へ繋がる管を力任せに引きちぎった。
代わりに、その管がナタルの身体へ食い込んでいく。
すると全身に激痛が走ったが、それでもナタルは表情は変えない。
やがてナタルの意識がアンビジブルと一つになる。
――アンビジブル。
ナタルは心の奥で命じる。
――出力を最小限に。
――彼女だけは逃がせ。
すると細い一筋の閃光が放たれ、施設の壁が一直線に消し飛び、外まで続く道が開いた。
差し込む光。
ナタルは残る力を振り絞る。
「天花!」
叫ぶ。
「逃げろ!!」
天花は動けない。
涙だけが溢れる。
「行けッ!!」
その声だけが彼女の背中を押した。
天花は唇を噛み切るほど強く噛みしめる。
そして光だけを目指して走り出した。
一度も振り返ることなく。
一方、床に倒れた白衣の男は、血を吐きながらなお笑っていた。
「く……くく……」
白衣の男はナタルを見上げる。
「まさか……アンビジブルを……従わせるとは……」
笑みが歪む。
「だが……必死に助けた娘は……お前を置いて……逃げたぞ……?」
ナタルは静かに目を閉じた。
そして、小さく笑う。
「……そうか。」
安堵したように息を吐く。
「それなら、よかった。」
ナタルの右手へ光が集まる。
圧縮されたエネルギーが震えた。
そして白衣の男の姿は、一片の悲鳴すら残さず光に呑まれて消滅した。
誰にも悼まれることなく。
名を残すこともなく。
狂気だけをこの世に遺して。
そして――。
アンビジブルは完全に暴走を始める。
都市が消えた。
艦隊が砕け散る。
惑星が一撃で塵となる。
宇宙は悲鳴に満ち、終焉の炎が果てなく広がっていく。
それはまるで、ナタル・エルピディアという魂を薪に燃え続ける災厄だった。
彼という存在が完全に消滅する、その瞬間まで――。
破壊の狂宴は、終わることはなかった。




