第38話 4月23日 クンスト・トーキョー北東にある野原 夕方
アルスたちは、手紙に記されていた場所へ辿り着いた。
そこは見渡す限り草原が広がるだけの静かな野原だった。
風が草を揺らす音だけが耳に届く。
軍事施設など、どこにも見当たらない。
「……何もありませんね」
思わず呟くと、才原が空を見上げたまま目を細めた。
「いえ、あります」
「え?」
「ステルス処理です」
隣で東郷も静かに空を見上げる。
「ああ。まだ残っていたか」
アルスも釣られて空を見た。
雲ひとつない青空。
やはり何も見えない。
「ステルス処理って……何ですか?」
才原が穏やかに笑う。
「簡単に言えば、『そこにあるのに見えない』ようにする技術です」
指先で空をなぞる。
「昔の軍事施設や戦闘機によく使われていました。レーダーやカメラだけでなく、人の目まで誤魔化す工夫もされています」
一拍置いて空を見上げる。
「もっとも――」
東郷が言葉を継いだ。
「旧式だ」
短く言い切る。
「俺たちの目は誤魔化せん」
東郷は煙草を取り出しかけ、深く息を吐く。
「となると……」
才原の表情が少しだけ険しくなる。
「幽玄の者が関わっている可能性が高いですね」
「面倒なことになった」
東郷は煙草を指で回したまま空を睨む。
「ただでさえ厄介な案件だってのに」
「ため息はあとにしてください」
才原が苦笑する。
「今回は街一つでは済みません。地球そのものが危険なんですから」
東郷は返事をしなかった。
その代わり、「来るぞ」とだけ告げる。
すると何もなかった空間へ、一段、また一段と石造りの階段が姿を現す。
空へ向かって一直線に伸びる巨大な階段。
十人ほどが横に並べる幅を持ちながら、長い年月を経たせいか、手すりは赤錆び、石段のあちこちが欠けていた。
「なるほど」
宵月が錆びた手すりへそっと触れる。
「少人数で来たのは正解だった」
「援護部隊は下で待機だ」
東郷が階段を見据えたまま言う。
「エルザたちにも伝えろ」
「了解しました」
才原は通信機を取り出し、手早く連絡を入れる。
アルスは空へ続く階段を見上げた。
「こ……これを登るんですか?」
自分でも分かるくらい声が震えていた。
宵月は当然のように頷く。
「ああ」
そして、ごく自然な口調で続けた。
「疲れたら私がおぶる」
「えっ?」
思わず聞き返す。
「宵月さんが……僕を?」
「問題ない」
本人は至って真面目だった。
「体力には自信がある」
アルスの顔が一気に熱くなる。
(いやいやいや……)
アルスは宵月に背負われる自分を想像してしまい、居たたまれなくなる。
「ふっ……」
才原の肩が震えた。
「くくっ……」
とうとう吹き出す。
「宵月さんは本当に……ぶれませんね」
「?」
宵月はきょとんと首を傾げた。
「何か変なことを言ったか?」
その真剣な表情が、余計に可笑しい。
「……行くぞ」
東郷の低い一声で空気が引き締まる。
笑いはぴたりと止んだ。
「はい!」
アルスはリュックの肩紐を握り直す。
怖くないわけじゃない。
それでも、立ち止まる理由はなかった。
一歩。
石段は冷たく、長い歳月を刻んだ感触が靴裏へ伝わる。
四人はゆっくりと登り始めた。
その時だった。
ゴゴゴ……
足元が低く震える。
「うわっ!?」
階段全体がゆっくりと動き始めた。
まるで巨大なエスカレーターだった。
「罠か?」
「いえ」
東郷の質問に答えながら、才原は周囲を見回しながら首を振る。
「向こうも、人力で登らせるほど暇ではないのでしょう」
その言葉に、アルスは胸を撫で下ろした。
(……よかった)
少なくとも、宵月に背負われる未来だけは回避できたらしい。
古びた階段は軋みを上げながら、四人をゆっくり空へ運んでいく。
やがて最上段へ辿り着く。
アルスは思わず息を呑んだ。
そこにあったのは、巨大な黒い軍事施設だった。
空に浮かんでいるとは思えないほど巨大で、黒い外壁は光さえ吸い込むような鈍い輝きを放っている。
まるで、空そのものに巨大な要塞が張り付いているかのようだった。
「……これが」
言葉を失う。
その圧倒的な威容に見入った、次の瞬間。
ズキッ――
アルスのこめかみに鋭い痛みが走った。




