第30話 4月22日 アーカイブ事務所 夕方
「アルスちゃーん!」
「はっ、はいっ!?」
名前を呼ばれ、アルスは勢いよく飛び起きた。
目の前には、エルザ、ジーノ、宵月――アーカイブの面々が、そろってこちらを覗き込んでいる。
「うわっ!」
慌てて身を起こし、反射的に口元をぬぐる。
……よだれ。
完全に寝てしまっていたらしい。
「いやぁ、気持ちよさそうに寝てたなぁ」
ジーノが肩を揺らして笑う。
「しかも幼女の膝枕つきとは。いやぁ、羨ましい限りだぜ」
「えっ!?」
慌てて視線を落とす。
ソノラのワンピースの裾には、膝に頭を乗せていたような皺がくっきり残っていた。
本当に膝枕をしてもらっていたらしい。
「ご、ごめん!」
慌てて頭を下げる。
しかしソノラは相変わらず無表情で、ただアルスを見つめ返すだけだった。
「ジーノちゃんだって、今日は寝坊して大遅刻だったじゃない」
すかさずエルザが切り返す。
「それは言わない約束だろ、姐さん」
「それよりアルスちゃん」
エルザは笑みを少し和らげた。
「寝ながらうなされてたけど、大丈夫?」
「え……?」
そこで初めて、額にじっとり汗をかいていることに気づく。
無意識に右腕を左手で押さえた。
「はい……。怖い夢を見た気がして」
思い出そうとしても、夢の輪郭は霧の向こうだった。
ただ、不安だけが胸の奥に残っている。
「最近、こういう夢を見ることが多くて……」
その様子を見たアクセルが、静かに立ち上がった。
「では、私はそろそろ失礼します」
「あっ、アクセルさん」
アルスは慌てて頭を下げる。
「せっかく来てくださったのに、寝ちゃってすみません」
「お気になさらず」
アクセルは柔らかく微笑んだ。
「お疲れだったのでしょう。どうか、ご自愛ください」
「ありがとうございます」
触手をゆるりと揺らし、アクセルは静かに事務所を後にした。
その背中を見送り、エルザも立ち上がる。
「じゃあ、私たちも帰ろうかしら」
「俺も行くわ」
ジーノも椅子から立ち上がり、上着を羽織る。
「このあと仕事なんだ」
「珍しくデートじゃないの?」
エルザが間髪入れずに突っ込む。
「……ったく」
ジーノは呆れたように肩をすくめた。
「俺を何だと思ってんだよ」
「色魔」
「色魔だな」
エルザと宵月がほぼ同時に答えた。
「息ぴったりかよ!」
ジーノは肩を落とす。
「ちゃんと仕事してるっつーの。来月のファッションショーの衣装合わせだよ。今月は結構忙しいんだ」
「えっ!?」
アルスは思わず身を乗り出した。
「ジーノさんって、モデルなんですか!?」
「そうよ」
エルザが胸を張る。
「しかも結構人気あるのよ」
「えぇぇぇ!? 本当に!?」
驚きのあまり、ジーノをまじまじと見つめる。
整った顔立ちに長い手足。
言われてみれば、たしかにモデルと言われても納得できる。
「おい」
ジーノが口元を吊り上げた。
「今、失礼なこと考えてただろ?」
「ち、違います!」
「怪しいなぁ」
ぐいっと両頬をつままれる。
「いひゃひゃひゃっ!」
「ジーノ」
低い声とともに、宵月がジーノの腕をつかんだ。
「離せ」
「はいはい」
ジーノは素直に手を放す。
「来月のショーって、もしかしてイリアの新作!?」
エルザの目が一気に輝いた。
「新しいコレクションが出るって噂になってたの!」
「……たぶん、それだ」
ジーノは腕時計を見て顔をしかめる。
「あ、やべ。本気で時間ねぇ」
そのまま出口へ向かいながら手を振った。
「じゃあな!」
「えっ、ちょっと待って! もっと詳しく――!」
エルザの声を背に、ジーノは軽く手を振るだけで事務所を飛び出していった。
「イリアのショーかぁ……」
エルザは夢を見るように息をつく。
「行きたいわぁ」
「イリアって、ウェディングドレスで有名なブランドですよね?」
「そうそう!」
エルザは嬉しそうに頷く。
「特にウェディングドレスは最高よ」
「じゃあ……ジーノさん、新郎役とかですか?」
「ジーノが?」
宵月が珍しく口元を緩めた。
「……想像できないな」
「私も」
エルザも吹き出す。
「でもチケットくらいは融通してもらおうかしら」
「僕も行ってみたいです!」
「じゃあ四人分お願いしましょ!」
ぱんっと手を叩く。
「えっ、いいんですか?」
「ジーノなら、それくらい払わせても罰は当たらないわ」
エルザは悪戯っぽく笑う。
「ソノラちゃんとカナトちゃんの分も確保ね」
ソノラは無表情のまま首をかしげた。
対照的に宵月は小さく首を横に振る。
「私は別に」
「宵月さんも一緒に行きましょうよ」
アルスが笑顔で言うと、宵月は少しだけ目を閉じ、小さくため息をついた。
「……私の分も、お願いします」
「もちろん!」
エルザは満足そうに笑った。
「じゃあ、私たちは帰ろうか」
「ああ」
宵月が立ち上がる。
「私はもう少し仕事を片付けてから帰るわ」
「わかりました。お先に失礼します」
「失礼します」
二人が頭を下げると、エルザはひらひらと手を振った。
「はーい、またね!」
その明るい声を背に受けながら、アルスたちは事務所をあとにした。




