第27話 4月22日 クンスト城 王の書斎 お昼過ぎ
玉座の背後には、人知れず隠し扉が設けられている。
その存在を知るのは王と、ごく限られた者だけ。許しを得た者しか足を踏み入れることのできない場所だ。
扉を抜けると、狭く折れ曲がった通路が続く。
その先にあるのは、王だけの書斎だった。
外の喧騒が嘘のように静まり返った空間。
壁には抽象画と風景画が絶妙な間隔で飾られ、その下には天井まで届く本棚が並ぶ。画集や歴史書、古い文献が隙間なく収められ、本棚の上には石や木、金属で作られた彫刻が静かに佇んでいた。
部屋の中央には重厚な執務机。
その奥には、一面のステンドグラス。
キラ王がその前へ歩み、柔らかな光を全身に浴びた瞬間――。
愛嬌のある小柄な王の姿が、音もなく揺らぐ。
三頭身だった身体はすらりと伸び、均整の取れた長身へ変わる。
白い口ひげは消え、肩まで流れる銀髪が光を受けて揺れた。
深い紺碧の瞳。
どこか憂いを宿した、中性的な青年がそこに立っていた。
「……ようやく楽になった」
青年は肩を回し、小さく笑う。
「最近は誰に会うにも、あの姿ばかりだったからな。さすがに少し疲れた」
東郷は呆れたように息を吐く。
「だろうな」
「まぁ、半分は趣味だ」
「悪趣味だな」
二人の間に、小さな笑いが落ちた。
青年は窓辺へ歩き、王都を見下ろす。
「久しぶりに、この姿で話したかった」
振り返り、柔らかく微笑む。
「ありがとう、東郷」
「それで?」
東郷は壁にもたれた。
「わざわざ俺だけ残した理由は」
「次の謁見は偽物だ」
悪戯っぽく片目を細める。
「適当な用件を入れて時間を作った。アギールには、おそらく全部ばれている」
「だろうな」
東郷は肩をすくめた。
窓の外へ視線を向けたまま、王は静かに呟く。
「本当は世間話でもしたかった」
少しだけ声が沈む。
「だが……ナタル教の中にムルメルの生き残りがいたとなれば、そうも言っていられん」
窓ガラスへ映る自分の姿を見つめる。
「あの戦争は、まだ終わっていないのだな」
その横顔は、王というより、一人の青年だった。
東郷が低く口を開く。
「あの子供のこと、本当は知ってるんだろう」
王は黙った。
短い沈黙。
やがて静かに答える。
「あの子は……惑星サリャーリスの一部だ」
東郷の眉がわずかに動く。
「惑星の、一部?」
「そうだ」
王は東郷を見る。
「そして彼女……いや、彼かもしれないな」
小さく笑う。
「少なくとも、アルスには危害を加えない。私の読みが正しければ」
東郷はそれ以上尋ねなかった。
王がここまでしか話さないなら、それ以上聞いても答えは返ってこない。
長い付き合いで、それくらいは分かっていた。
「ナタル教だが」
王が話題を変える。
「ソウレンは表に立っているだけだ。本当に動かしている者がいる」
「俺もそう思う」
東郷はタバコを取り出し、ライターを構えたところで動きを止める。
王を見る。
「吸っていい」
タバコに火をつけると、紫煙が静かに天井へ昇っていった。
「引き続き頼む」
王は煙を眺めながら言う。
「あの子たちの護衛も」
「護衛兼監視だろ」
煙を吐き出す。
「それが俺たちの仕事だ」
「……真面目だな」
王は苦笑した。
少しの沈黙。
そして静かに口を開く。
「東郷」
「ん?」
「お前は今でも、私たちクンストン家を恨んでいるだろう」
東郷は否定しない。
「それでも私は、お前を利用している」
自嘲気味に笑う。
「本当に、すまないと思っている」
「その話、何回目だ」
東郷は苦笑した。
「確かにクンストンは人類に消えない傷を残した」
一拍置く。
「でも、お前がいなきゃ、この国も、この星も、とっくに終わってた」
王は目を伏せる。
「私には父上たちと同じ血が流れている」
「血は選べない」
東郷は静かに言った。
「でも、どう生きるかは選べる」
王は目を閉じ、小さく笑う。
「……また救われてしまったな」
「慰め役で呼ばれた覚えはないぞ」
その言葉に、王は声を上げて笑った。
「違いない」
笑みが少し落ち着く。
「ありがとう、東郷」
「今回も頼む」
「あぁ」
東郷は軽く手を挙げ、そのまま書斎を後にした。
扉が閉まると同時に、王都へ正午を告げる鐘が高らかに鳴り響いた。




