第22話 4月21日 アーカイブ本部 正午 2
今度は赤い扉が静かに開いた。
姿を現したのは、スーツをきっちりと着こなした一人の男性だった。少し厚みのある眼鏡の奥には穏やかな眼差しがあり、柔らかな物腰と相まって知的な印象を与えている。
「才原ちゃん、お疲れさま。もう戻ったのね」
「ええ。思ったより早く片付きました」
額の汗を紺色のハンカチで拭うと、鞄から分厚い書類を取り出す。
「東郷、今回の報告書です」
「そこへ置いておけ」
机に書類を置いても、東郷は新聞から目を離さない。
「……東郷。その新聞、判子を押すより面白いですか?」
「気が向いたら押す」
「前々回の分まで溜まっていますよ」
才原は諦めたように小さく息をつくと、アルスたちへ視線を向けた。
「こちらが例のお二人ですね」
穏やかな笑みに、自然と肩の力が抜ける。
「こ、こんにちは! 環アルスです!」
東郷が新聞をめくったまま口を開く。
「俺が話すと委縮する。お前がやれ」
「なるほど。そのために待っていたんですね」
苦笑しながら歩み寄る。
「才原です。アーカイブで副所長をしています」
「よろしくお願いします」
「こちらこそ」
才原は微笑み返すと、一枚の写真を取り出した。
「確認ですが、昨日、東の森からこの子を背負って出てきたのは君ですね?」
写真には、ソノラを背負って森を歩く自分の姿が写っている。
いつ撮られたのか見当もつかず、アルスは思わず喉を鳴らした。
「……はい」
才原は静かに頷くと、今度はソノラへ視線を移した。
「彼女が持っていた物で、石のような物に心当たりはありますか?」
「あっ……」
アルスはソノラのカーディガンのボタンを外し、胸元にある宝石を見せた。
「これですか?」
「おいおい、それ宝石じゃねぇか!」
ジーノが身を乗り出す。
「石って言うから、その辺の石ころかと思ったぜ」
興味津々で指を伸ばした、その瞬間。
宝石が鋭く光を放ち、ジーノの手を弾き飛ばした。
「いてっ!」
ジーノは赤くなった指先を押さえる。
「何だよこれ!?」
「え……?」
アルスは思わず宝石を見る。
自分が持つときは、先ほどと変わらず穏やかな光を放っている。
部屋の空気が一瞬で張り詰めた。
「失礼します」
才原が慎重に手を伸ばす。
しかし宝石は再び強く輝き、彼の手も拒むように弾き返した。
「なるほど……」
才原は眉を寄せ、東郷を見る。
「どうします?」
「……明日、王のところへ行く」
「えっ!?」
思わず声が漏れた。
王――この世界を治めるキラ・アステル・クンストン。
そんな存在が急に話題に出るとは思ってもいなかった。
「じゃあ、その間の護衛は?」
エルザが東郷へ尋ねる。
「護衛……?」
アルスが首を傾げるより早く、
「俺は無理」
ジーノが即答した。
「ガキのお守りなんて御免だ」
「またそんなこと言って」
エルザは苦笑する。
「本当は面倒見がいいくせに」
「べ、別にそんなんじゃないっす!」
耳まで赤くしたジーノは頭をかく。
「まあ、本当にヤバい時だけなら呼べ」
そう言ってジーノは机のペンを手に取ると、ポケットからハンバーガーショップのレシートを取り出し、裏に携帯番号を書き殴った。
「ほら」
ひらりと投げられた紙を、アルスは慌てて受け取る。
「あ、ありがとうございます!」
「連絡は簡潔にな。俺は忙しいんだ。長文送ってきたら切る」
「はい……」
「どうせ男か女を口説きに行くだけだろう」
宵月が淡々と突っ込む。
「うるせぇ!」
ジーノは振り返る。
「今日はデートなんだよ、堅物女!」
そう吐き捨てると、そのまま部屋を出て行った。
「ほんと、子どもなんだから」
エルザは苦笑して肩をすくめる。
「護衛なら私がやりたいところだけど、本業が修羅場なのよねぇ」
「僕も予定が入っています」
才原も申し訳なさそうに続ける。
「東郷ちゃんもここを空けられないし……」
エルザはにっこり笑った。
「じゃあ、カナトちゃんお願い」
「私ですか」
東郷が新聞を畳む。
「宵月。今夜はこの二人をお前の家へ泊めろ」
「はい」
即答だった。
「えっ、でも……」
アルスは慌てて手を上げる。
「初対面の女性のお宅に泊まるなんて、さすがに……」
「アルスちゃん、真面目ねぇ」
エルザがくすりと笑う。
「でも安心して。カナトちゃんはいい子だから。それにたまにはこういうイベントもあっていいと思うの」
「学校と仕事だけで十分です」
宵月は表情一つ変えず答える。
「またまた」
そこでアルスは、あることに気付いた。
制服を着ていたのに、落ち着いた雰囲気のせいですっかり見落としていた。
「あの……宵月さんって、学生なんですか?」
「ああ。今年で十七になる」
「えっ!? 僕より二つ下!?」
「しかも大学で歴史を教えてるのよ」
「大学の先生!?」
情報量が多すぎる。
驚くアルスを見ても、宵月は表情一つ変えない。
年齢も素性も、彼女は最初から把握していたのだから驚く理由がなかった。
「ちょっと堅い子だけど、仲良くしてあげてね」
「ぼ、僕の仕事は……」
才原はすでにスマートフォンを取り出していた。
「ご迷惑をおかけしますので、勤務先には私から説明しておきます」
あまりにも手際がいい。
自分の勤務先まで把握されていることに、アルスは改めてアーカイブという組織の大きさを実感した。
「行くぞ」
宵月はエレベーターのボタンを押す。
「ご家族にご迷惑では……」
アルスは恐る恐る尋ねた。
「問題ない」
一切迷いのない返事だった。
開いたエレベーターへ宵月が乗り込む。
「またね、アルスちゃん、ソノラちゃん」
エルザが手を振る。
「今日は本当にありがとうございました」
アルスは深く頭を下げると、隣に立つソノラの手を優しく握った。二人は先を行く宵月に続き、静かにエレベーターへ乗り込んだ。




