第21話 4月21日 アーカイブ本部 正午 1
扉の向こうには、薄暗い廊下と、ぽつんと一基だけ設置されたエレベーターがあった。
中へ乗り込むと、宵月は何も言わず、「三五八」と刻まれたボタンを押す。
「部屋番号ですか?」
「そうだ」
「部屋番号を直接押すエレベーターなんて、初めて見ました」
ほかのボタンにも数字が並んでいるが、その並び方に規則性は見当たらない。階数ではなく、部屋ごとに行き先が決まっているらしい。
──カラン。
軽やかなチャイムとともに扉が開く。
「……え」
アルスは思わず息を呑んだ。
古びた外観からは想像もつかないほど、そこには広々とした豪奢な空間が広がっていた。磨き上げられた床、大きなシャンデリア、落ち着いた色合いの調度品。まるで高級ホテルのラウンジだ。
そのとき、奥の青い扉が開き、二人の人物が姿を現した。
「カナトちゃん、お疲れさま〜」
柔らかな笑みを浮かべた長身の女性が、親しげに手を振る。
「エルザさん、お疲れ様です」
宵月が軽く頭を下げる。
一方、隣に立つ顔に傷を持つ強面の人物は腕を組んだまま低い声を発した。
「宵月、遅かったな。ジーノはどうした」
「どこかで油を売ってるんじゃないですか」
さらりと答えた宵月は、そのままアルスたちへ視線を向ける。
「この前の事件に関係していると思われる少年と少女を連れてきました」
鋭い視線がアルスとソノラを射抜く。
「俺は東郷。アーカイブのリーダーだ」
「は、はい! 環アルスです! よろしくお願いします!」
促されるままソファへ腰を下ろした瞬間、部屋の空気が少しだけ張り詰めた。
東郷の眼差しは静かなのに、心の奥まで見透かされているような圧がある。
それでもアルスは、泉で起きた出来事も、ソノラが現れた瞬間の眩い光も、知っていることを包み隠さず話した。
「……そうか。わかった」
「えっ、それだけですか!?」
思わず声が裏返る。
「この子、重要人物なんでしょ?」
くすっと笑いながら口を挟んだのは、先ほどの女性だった。
「私はエルザ・ブラックフォード。よろしくね、アルスちゃん」
「よ、よろしくお願いします」
にこやかに距離を縮められ、アルスは思わず身を引く。近い。近すぎる。
顎のラインで切り揃えられた金髪。その首筋から左頬へかけては、光を受けるたびピンクやライトブルーへと色を変える鱗が流れるように連なっていた。幻想的なその輝きが、凛とした美しい顔立ちをいっそう際立たせている。
頬がじわりと熱くなった、その時だった。
バンッ!
勢いよく扉が開く。
「やってらんねぇ! 何なんだよ、あの野郎! 一般人のフリして、とんでもねぇ手練れじゃねぇか! 恥かかされたぜ!」
部屋中に響く怒鳴り声に、アルスは肩をびくりと震わせた。
「ジーノちゃん、どうしたの?」
エルザが首をかしげる。
「ああ、実は――って、おい宵月!」
息を切らせた青髪の青年はアルスたちを見つけるなり目を見開いた。
「お前、こいつら捕まえたのか!?」
「捕まえてない。同行してもらっただけだ」
宵月は冷ややかに言い放つ。
「ま、任務が終わったなら何でもいいか」
ジーノは乱暴にソファへ腰を下ろすと、アルスを指差した。
「おい、お前」
「ぼ、僕ですか?」
「そうだ」
青い前髪をかき上げ、鋭い目つきで尋ねる。
「あの店にいた黒髪の男。あいつ、何者だ?」
「ジーノちゃん、やけに気になるのね」
エルザは苦笑しながら、アルスとソノラの前へ紅茶を置いた。
「ありがとうございます」
礼を言ってから、アルスはジーノへ向き直る。
「気になるどころじゃねぇ! あんなにコケにされたのは生まれて初めてだ!」
ジーノは顔を真っ赤にして貧乏ゆすりを始める。
ギシ、ギシ、とソファが悲鳴を上げた。
「お下品よ、ジーノちゃん」
エルザは優雅に紅茶を一口すすり、呆れたように笑う。
「それで? あいつは何者なんだ」
「何者って言われても……雪緒くんは、僕の同僚です」
「はぁ!? 同僚って……」
ボカッ!
乾いた音が響き、宵月の拳がジーノの頭に振り下ろされた。
「ここまで協力して来てくれたんだ。これ以上脅かすな」
「痛ってぇ!」
頭を押さえて飛び上がる。
「おい宵月! 何しやがる!」
「はいはい、そこまで」
エルザがぱん、と手を叩く。
「ジーノちゃん。まずは挨拶」
「はぁ? なんで俺が、そんなチンチクリンに挨拶しなきゃなんねぇんすか、姐さん」
ぶつぶつ文句を言いながらソファへ寝転ぶ。
「それより俺、このあとデートなんすよ。先週捕まえた男と――ぶへっ!」
最後まで言い切る前に、エルザの長い脚が鮮やかに振り抜かれた。
見事な回し蹴りが、ジーノの頭を正確に捕らえる。
アルスは思わず目を丸くした。
「アルスちゃんへの挨拶は?」
「……ジーノ。ジーノ・オルフェイだ」
頭をさすりながら、不機嫌そうに名乗る。
「よろしくお願いします、ジーノさん」
「あぁ? 何が『よろしくお願いします』だ」
ジーノはニヤリと口角を上げる。
「『どうぞよろしくお願いいたします、ジーノさん!』だろ?」
「ど、どうぞよろしくお願いいたします……ジーノさん」
「にっしっし!」
満足げに笑うと、胸を張って宣言した。
「今日からお前は俺の下僕な!」
「えっ!?」
言い終えた瞬間だった。
ドスッ!
宵月の拳が腹へめり込み、続けざまにエルザの蹴りが頭へ炸裂する。
「ぐはぁっ!? 何すんだよ!」
床に崩れ落ちるジーノを、二人は冷ややかな目で見下ろした。
「だってさぁ……俺、アーカイブで一番下っ端なんだよ。ようやく可愛い後輩ができたと思ったのに……」
「下僕って言ってたわよね?」
「そ、それは言葉の綾ってやつっすよ、姐さん!」
ジーノは肩を落とし、ソファへぐったりともたれかかる。
そのとき、再び扉が開く音が部屋に響いた。




