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橄欖色のアーカイブ  作者: 藍川 卯木子


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第18話 4月21日 裏路地 お昼過ぎ

「義手だから何だってんだ。ただ拳を一発受け止めただけだろうが!」


 ズッカの嘲笑に、アルスは反論できなかった。

 その通りだ。

 この義手は戦うためのものじゃない。右腕を失った自分のために、ユリア姉が作ってくれた日常を取り戻すための腕だ。武器でも鎧でもない。攻撃にも防御にも向いていない。


「どうせ右腕以外は生身なんだろ? 腹でも顔でも、好きな方をぶち抜いてやる!」

「待って。もしかしたら他も機械かもしれないわよ? 全部ひん剥いて確かめてから、じっくり痛めつけた方がいいんじゃない?」

「さすが俺のハニー! じゃあ遠慮なく――!」


 ズッカが唸り声を上げる。

 次の瞬間、その腕が異様なほど膨れ上がった。筋肉が鋼のように隆起し、巨大な拳が虫でも潰すような勢いで迫ってくる。


(どうする……!)


 必死に考える。

 隣を見ると、ソノラは相変わらず無表情のまま立っていた。怯えも焦りも見せない。

 アルスは迷わず彼女を抱き上げ、駆け出した。

 軽い。

 初めて抱えた時と同じ、信じられないほどの軽さだった。


「待てぇ!」


 怒鳴り声が背後から飛ぶ。


「待つか!」


 振り返らず叫び返し、そのまま表通りへ向かって走る。

 あと少し。

 陽の差し込む通りはすぐそこだ。

 だが、背後の足音はみるみる近づいてきた。


「ちょこまか逃げるんじゃないわよ! これでも食らいなさい!」


 ディラが石を拾い上げ、勢いよく投げつける。


「危ない!」


 反射的にソノラを抱え込んだ。

 鋭い痛みが脚を貫く。


「っ!」


 体勢を崩し、そのまま地面へ倒れ込んだ。


「あと……少しなのに……」


 目の前には陽の当たる通り。

 手を伸ばし、立ち上がろうとした、その時だった。


「どこへ行くつもりだ?」


 脚を掴まれた。


「うわっ!」


 身体が宙へ持ち上がり、世界が逆さまになる。


「その義手、へし折ってやる」


 ズッカの手が義手へ伸びる。

 金属の表面に差し込んだ陽光が鋭く反射した。

 するとアルスの腕の中で、ソノラが淡く光る。

 そして、まばゆい閃光が弾けた。


「うわっ!」


 ズッカが思わず手を離す。

 今だ。

 そう思った瞬間――


「逃がさん」


 低い声とともに首根っこを掴まれ、乱暴に引き戻された。


「くっ……離せ!」

「うるせぇ!」


 ズッカが拳を振り上げる。


「その細っこい腹をぶん殴って黙らせてやる!」


 風を切る音。

 思わず目を閉じた。


「何をしている」


 鋭い女性の声が表通りから響く。

 一瞬で空気が変わった。


「誰だ!」


 ズッカが振り返る。

 そこに立っていたのは、先ほどカフェラートで会った黒髪の女性・宵月だった。

 紺色のパンツスーツを隙なく着こなし、真っ直ぐな視線でズッカを射抜いている。


「聞こえなかったのか。何をしていると聞いた」


 低く、冷え切った声。

 ズッカとディラは思わず顔を見合わせる。


「あぁ? 見りゃ分かるだろ。このガキを懲らしめて、その嬢ちゃんを助けてやってる最中だ」

「そうよ。正義の味方気取り?」


 宵月は二人を見渡し、小さく息を吐いた。


「大人が二人がかりで子供を襲う。それを恥ずかしいとは思わないのか」

「なんだと!」

「その口の聞き方、気を付けなさいよ!」

「遊びてぇってんなら相手してやる!」


 ズッカはアルスを放り投げ、そのまま宵月へ殴りかかる。

 しかし――拳は空を切った。

 宵月は風が流れるように身をかわす。


「その程度で遊びとは。随分と甘いな」


 抑揚のない一言。

 ズッカの表情がわずかに歪む。


「まだ手加減してるだけだ!」


 拳が何度も繰り出される。

 だが一発も当たらない。


「はぁ……はぁ……なんだ、この速さ……」


 肩で息をするズッカを見下ろし、宵月は静かに言った。


「それが本気なら、期待外れだ」


 ズッカが懐からナイフを抜く。

 一直線に突き出された刃は、届く前に弾かれた。

 金属音が響く。

 宙を舞ったナイフが地面へ転がる。

 直後。

 宵月の蹴りがズッカの腹へ深々と突き刺さった。


「がっ!」


 巨体が吹き飛び、地面を転がる。

 宵月はその身体を軽々と持ち上げ、さらに投げ捨てた。


「覚えてろ!」


 ディラは慌ててズッカを引き起こし、そのまま逃げ去っていく。

 静けさが戻った。


「怪我はないか」


 宵月が手を差し伸べる。


「は、はい! ありがとうございます!」


 その手を握った瞬間、身体が一気に引き上げられた。


「うわっ!」


 慌ててソノラを抱き直す。


「すまない。少し力を入れすぎた」


 宵月はアルスの身体を支え、すぐに手を離した。


「い、いえ! 本当に助かりました」

「気にするな」


 その声音は先ほどまでとは違い、少しだけ柔らかかった。


「あの……さっきは驚いて逃げてしまって。その……僕たちに何か用があったんですか?」

「私は宵月カナト。アーカイブ所属だ」


 宵月は小さく頭を下げる。


「驚かせたのはこちらの落ち度だった」


 宵月の視線がソノラへ向く。


「君と彼女は、ある重要事件に関わっている可能性がある」

「重要事件……?」

「詳しい話は事務所でする。同行してもらいたい。先ほどは本当に申し訳なかった」


 迷いはあった。

 それでも、この人から悪意は感じられない。


「……分かりました。一緒に行きます」


 アルスはソノラを見下ろす。


「でも、もし無関係だと分かったら、ソノラを異星人管理局へ連れて行ってもいいですか?」

「もちろんだ。約束しよう」


 その一言に、アルスはようやく胸をなで下ろした。

 だが、宵月はふと思い出したように尋ねる。


「一つ聞きたい。カフェにいた若い男……彼は何者だ?」

「雪緒くんですか? 職場の先輩ですけど」

「……ただの店員には見えなかった」

「ですよね!」


 アルスは思わず笑顔になる。


「雪緒くん、すごくかっこいいですもん!」


 宵月は一瞬だけ言葉を失い、小さく肩をすくめた。


「……そういう意味ではなかったんだが」


 アルスは気づかないまま、ソノラを抱え直して大きく頷いた。

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