第41話 エルザ・ブラックフォード編 1
『惑星エイト』
ここは、戦後にクンストンの手によって整備され、いまや銀河でも屈指のリゾート地として名を馳せている惑星エイト。
ゲートを抜けた瞬間、エルザ・ブラックフォードの肌をむわりとした熱気が包んだ。
灼けつくような陽射しが降り注ぐ。遠くからは波の音に混じって、観光客たちの陽気な笑い声が聞こえてくる。
「相変わらず、ここはいつ来てもいい天気ねぇ」
エルザは左手に持っていたカバンと白い花束を持ち替え、右手でサングラスの位置を直した。
ロータリーには、小型シャトルが一台、待機している。
乗り込んだシャトルがゆるやかに加速すると、窓の外を色とりどりの熱帯植物が流れていった。鮮やかなブーゲンビリアやハイビスカスが、真夏の陽を浴びてきらめいている。
惑星エイトは、一年のほとんどが晴天に恵まれている。
濃く透き通った青空には、雲さえも絵画のようにくっきりと浮かんでいた。
もっとも、気まぐれなスコールも多い。前触れもなく激しい雨が降り出すことも珍しくない。だが、それも長くは続かない。たいてい三十分もすれば陽光が戻り、濡れた街路樹の葉が陽射しを弾いて、宝石のように輝き始める。
そんな楽園の奥。
白砂のビーチを望む場所に、惑星エイトのアーカイブ支部はひっそりと建っていた。
白い砂浜と色鮮やかな熱帯植物には似つかわしくない、重厚な建物。その無機質な造りには、戦後の名残が色濃く残っている。
シャトルが停車すると、エルザは脚を組むようにして立ち上がった。
髪を軽くまとめ直し、重厚なガラス扉へ向かう。
「エルザさん、お待ちしておりました」
自動ドアが静かに開く。
その先に、一人の老齢の男性が背筋を伸ばして立っていた。
銀と黒の混じった髪は丁寧になでつけられ、整髪料の光沢を帯びている。常夏の惑星には少々場違いな黒いタキシードも、寸分の乱れなく着こなしていた。
「テイラーさん、お久しぶりです」
エルザが軽く会釈すると、テイラーも深々と頭を下げる。
「エルザさん、お花、いつもありがとうございます。こちらはお預かりいたしますね。ボイルド様は、すでに奥の会議室でお待ちです」
「了解です。ありがとうございます」
エルザは白い花束を差し出した。
それを受け取ったテイラーが、慣れた手つきで腕に抱える。
「では、こちらへ」
エルザは一瞬だけ奥の扉へ視線を向けた。
それから胸元のバッジを整え、テイラーの後に続いた。
重厚な自動扉が、音もなく開く。
会議室に入ると、丸みを帯びた体格の老年男性が立っていた。
額に浮かんだ汗を、白いハンカチで忙しなく拭っている。空調が効いているにもかかわらず、シャツの襟元はわずかに湿っていた。
エルザの姿を認めた途端、その顔がぱっと明るくなる。
「やあ、エルザ! 久しぶりだね!」
ハンカチを握ったまま、一歩、こちらへ近づいてくる。
「ご無沙汰してます、ボイルドさん。お元気そうで何よりです」
エルザが笑って手を振る。
ボイルドは嬉しそうに目を細めた。
「さあさあ、お菓子を用意しておいたよ。甘いものでも食べながら、今回の任務の話をしようじゃないか」
彼がテーブルを指し示す。
そこには、琥珀色の紅茶とマンゴーのスフレが並んでいた。
鮮やかなオレンジ色の生地には金箔が散らされ、陽射しを受けて小さく輝いている。甘い香りが、ふわりと鼻先をくすぐった。
「ボイルドさん、私はもう子供じゃないんですから。そんなに甘やかさないでくださいよ」
エルザが眉を上げる。
「おや」
ボイルドの肩がわずかに落ちた。
「わかってるさ。君はもう、誰が見ても立派なレディだ」
そう言いながらも、彼の視線はどこか懐かしそうにエルザの顔を追っている。
「けれどな、こうして君と向き合うと、どうしても昔の君が浮かんできて……ついついね」
紅茶のカップに手を添えたまま、ボイルドは口をつけない。
エルザはその様子を見て、ふっと口元を緩めた。
「ふふっ……いかにもボイルドさんらしいですね」
小さく首を振り、スプーンを手に取る。
「ちょっと意地悪を言ってみただけですよ。ありがとうございます。いただきますね」
スフレの表面にスプーンを入れる。
ふわり、と柔らかな生地が沈んだ。
「……ん」
一口食べたエルザの頬が、わずかに緩む。
それを見て、ボイルドもようやくカップを手に取った。
かつての少女を思わせる仕草に、彼の口元にも笑みが浮かぶ。
「このスフレ、とっても美味しい! どこで買ったものなんですか?」
エルザは思わず身を乗り出した。
「僕の農園で育てたマンゴーを使って、テイラーが手作りしてくれたんだ」
ボイルドが胸を張るように言って、隣に控えるテイラーへ視線を向ける。
「えっ、テイラーさんが?」
エルザはスフレとテイラーを交互に見た。
「料理がお上手なのは知ってましたけど、こんなに可愛くて繊細なお菓子まで作れるなんて……ほんと、すごいわ」
「光栄に存じます」
テイラーは片手を胸に添え、静かに一礼した。
その所作には、一分の隙もない。
「最近は、少し時間ができるとテイラーに頼んで、惑星エイトの特産品を使った料理やお菓子を作ってもらっているんだ」
ボイルドは紅茶を一口飲み、カップをソーサーへ戻した。
「そうだったんですね」
エルザもスフレをもう一口食べる。
ボイルドはそんな彼女を眺めていたが、やがて背筋を伸ばした。
「惑星エイトは観光で潤ってはいるが、それだけでは未来は見通せない」
さっきまでの柔らかな声音が、少しだけ低くなる。
「資源と自然を守り、住民の暮らしを豊かにしなければ、この星は長くは持たない。観光をやめるわけにはいかないからこそ、まずは自分の農園で植物を育てて、何か価値のあるものを生み出せないかと思ってね」
窓の向こうに広がる青空へ、ボイルドが一度だけ目を向ける。
「食料自給率も、ほんのわずかだけど上がっている」
そこで言葉を切り、紅茶のカップを指先でゆっくりとなぞった。
「それに、この星で暮らす人々が安心して、心豊かに生きられること。それが治安の安定には欠かせない」
エルザは黙って耳を傾けている。
「僕たちアーカイブの本当の役目は、武力を振るうことじゃない。“安心”を守ることだと思ってる」
ボイルドはそこで小さく笑った。
「まあ、それができるのも、優秀なテイラーがいてくれるおかげなんだけどね」
「私はお役に立てて光栄なだけです」
テイラーは再び一礼した。
その口元に、ごく小さな笑みが浮かんでいる。
エルザはカップをソーサーに戻した。
「相変わらず、ボイルドさんらしいですね」
その言葉に、ボイルドは照れたように鼻の頭を掻いた。
窓から差し込む陽射しが、テーブルの上の紅茶とスフレを照らしている。
甘いマンゴーの香りが、まだ部屋に残っていた。




