第40話 ジーノ・オルフェイ編 6
「そういやさ、あの小型の……めちゃくちゃ臭いやつ。あれ、改良できねぇか?」
ジーノがふと思い出したように口を開く。
エチカはバームクーヘンをぱくりと頬張ったまま、ぴょこんと顔を上げた。
「ふっふっふ……あのおもちゃの正式名称はですね――《クラクラ☆バタンキュー爆弾》っていうのだよっ!」
「ああ、それな」
ジーノは一瞬だけ目を泳がせた。
しかし、あえて名前には突っ込まず、マグカップを手に取る。アーモンドミルクをひと口飲んでから、話を続けた。
「でな。その“バタンキュー”の拡散範囲が、ちょっと物足りないんだ。あと……できれば臭いに“持続力”が欲しい」
「持続力ぅ?」
エチカが目を丸くする。
「戦場で使うつもり? あれ、もともと“ウケ狙い用”のジョーク兵器だよ?」
そう言いながらも、エチカの指は宙を忙しなく動いていた。
何かを書き留めるように、空中へ線を引く。
「ジョークでも、使いどころ次第で最強になるだろ」
ジーノはカップを置いた。
「あのとき、あいつらの動きが止まったの――案外、アレのおかげだったんだよ」
アンビジブルとの戦闘で使った、丸薬のような小型爆弾。
放たれた悪臭は、敵の動きをほんの数秒とはいえ止めた。
その数秒が、戦場では大きい。
「なあ。あの薬、もっと長持ちさせらんねぇか?」
今度の声には、冗談の響きがなかった。
エチカはしばらく黙り込み、首を傾げる。
やがて――ぱっと目を見開いた。
「うん、やってみる!」
ニカッと笑う。
「それ、おもしろそう!」
エチカは勢いよく夏みかん色の白衣のポケットへ手を突っ込んだ。
ごそごそと探ったあと、ずしりと分厚いメモ帳を取り出す。
表紙には落書きがびっしりと並び、角は擦り切れていた。
エチカはそれを膝の上へ広げる。
すでに描かれている奇妙な図形や文字の隙間へ、新しい線を書き足していく。
「え~っと……まずは、ここをこうして……」
色鉛筆が紙の上をカリカリと走る。
「拡散範囲は広げるとして、臭い成分の残留時間を――」
考え込むたびに、エチカの眉がきゅっと寄る。
次の瞬間には、また何かを思いついたように鉛筆が走り出す。
ジーノは黙ってその様子を眺めていた。
数分後。
エチカが突然、鉛筆を置いた。
「できた!」
メモ帳を勢いよく持ち上げる。
「完・全・勝・利ってやつ!」
「もうできたのかよ……」
「できたの!」
エチカは得意げにメモ帳を突き出した。
「完成したら、ジーノのおうちにドカーンと送ってあげるから、楽しみにしててねっ!」
「助かるよ」
ジーノは苦笑しながらメモ帳を見る。
「でも、お前。最近忙しいんじゃねぇのか?」
エチカの手が止まった。
「ん~?」
「前より仕事増えてんだろ?」
「だいじょーぶ、だいじょーぶ」
エチカはメモ帳を閉じると、そのまま畳の上へごろんと転がった。
白衣の裾が乱れ、両足が宙でぶらぶら揺れる。
「最近はね、面白そうなお仕事しか受けてないの! まぁ忙しいんだけどね!」
「それ、忙しいやつの言い方じゃねぇか?」
「そうかなぁ?」
エチカは頬杖をつき、炬燵の脇に転がっていた落書き帳を引き寄せる。
鉛筆をくるくる回しながら、ページの隅に丸を描いた。
炬燵の上には、空になったお菓子の袋。
書きかけのメモ。
色鉛筆。
意味不明な図形が描かれた紙。
片づけるという発想そのものが存在しないらしい。
ジーノはその惨状をひと通り眺める。
「それ、いかにもお前らしいな」
「でしょ~?」
エチカは顔だけを上げ、いたずらっぽく舌をぺろりと出した。
ジーノは小さく笑い、立ち上がる。
「じゃあ、そろそろ帰るわ」
腰を伸ばし、肩をぽきぽき鳴らす。
「うん、わかった!」
エチカもすぐに起き上がった。
くしゃくしゃになった白衣のまま炬燵の縁へ両手をつき、身を乗り出す。
「今日はね、すっごく楽しかったよ、ジーノ!」
「そうかよ」
ジーノは靴を履きながら振り返る。
エチカは炬燵の向こうから、にこにことこちらを見ていた。
ジーノは一瞬だけ足を止める。
それから、手を伸ばした。
ぽん。
エチカの頭を軽く撫でる。
「おう。またな」
手を離し、玄関へ向き直る。
「あのクラクラなんちゃら爆弾の件も、よろしくな」
「えへへ~。もちろんだよ!」
背中越しに返ってくる声。
ジーノは片手を上げた。
「じゃあな」
玄関の扉が閉まる。
白い回廊へ出ると、先ほどまでいた和室の気配が少しずつ遠ざかっていく。
背中には、エチカの明るい声がいつまでも残っていた。
◇◆◇
数日後。
ジーノは、新人モデルとの顔合わせのため、イリアの事務所を訪れていた。
慣れた足取りでエントランスを抜け、装飾の施されたエレベーターへ乗り込む。
扉が閉まり、階数表示の数字がひとつずつ上がっていく。
やがて目的のフロアに到着すると、ジーノは軽い足取りで廊下を進んだ。
打ち合わせ室の前で一度だけ足を止める。
コンコン。
ノックもそこそこに、勢いよく扉を開けた。
「はよーっす!」
いつもの調子で声を飛ばす。
室内には、事務所代表のオルノスがすでに待っていた。
「遅かったわね、ジーノ」
「いやいや、時間ぴったりっすよ」
軽く返しながら、ジーノは室内へ足を踏み入れる。
するとオルノスの隣に立つ人物が、ゆっくりとこちらを振り向いた。
「……」
ジーノの足が止まった。
見覚えのある顔。
一瞬、何を見ているのか理解できなかった。
だが、相手の顔を確かめた途端――
「……っ、お前――!」
ジーノの声が、途中で途切れる。
部屋の中に、妙な沈黙が落ちた。
やがてジーノは、信じられないものを見るように目を見開く。
「なんでお前がここにいるんだよ!?」




