第二百五十五話:変容
「……ものの見事にやられたな」
集まってきた情報を整理した源次郎は、思わずそう呟いた。
室町のクーデターから二日が経ったが、状況は最悪と表現する他ない。防衛省の指揮所は制圧済みであり、政府施設やインフラ施設も軒並み制圧済み。特に通信機器の制限が酷く、『ES能力者』に配布されている携帯電話の機能は軒並み死んでしまった。
そのため、源次郎はファイター達の殲滅後に近隣の部隊が所有する基地に赴き、基地を占拠していた対ES戦闘部隊を沈黙させて無線機を確保する。しかし、防衛省の指揮所という“頭”を押さえられている以上できることは少ない。
『日本ES戦闘部隊監督部』の指揮所が使えれば良かったのだが、そちらも室町に押さえられている。源次郎は防衛省の指揮所を介さずに各部隊と連絡を取ろうとするが、多くの部隊が交戦中であり、身動きが取れない状態に追い込まれていた。
源次郎がその気になれば防衛省に攻め入り、指揮所を奪還することはできるだろう。だが、さすがに“相手を”無傷で制圧するのは難しく、少なからず死者を出してしまう。
相手が『ES能力者』ならば加減も効くが、鍛えているとはいえ普通の人間である対ES戦闘部隊が相手では、手加減しても殺しかねないのだ。
それに加えて、情報が足りない。近隣の部隊から情報を収集しているが、自国の『ES能力者』同士で交戦している部隊もあり、混乱を極めている。各部隊には無線機も配備されているが、情報を整理するだけでも一苦労だ。
(山本……)
それらの悪条件に加え、源次郎の胸中に占めていたのは山本の死である。室町の手にかかって命を落としたことは既に判明しており、上官であり友人でありかつての後輩だった男の死を源次郎は悼んでいた。
もっとも、それを表に出すことはない。山本が命を落としたことは源次郎としても辛いことだが、源次郎は日本の『ES能力者』のトップであり指揮官だ。今の状況では山本の死を嘆くこともできず、源次郎は心中だけで思う。
(先に逝ったか……俺の方が先に逝くと思ったのだがな)
源次郎と山本の付き合いは長く、それこそ軽く半世紀を超えている。山本とは第二次世界大戦時からの付き合いだが、部下だった山本との付き合いがこれほどまで長くなるとは思っていなかった。
『ES能力者』という職務上、源次郎が戦って先に死ぬか、それとも普通の人間である山本が老衰で先に死ぬかと賭けたこともあったが、クーデターに巻き込まれて死ぬとは。
(室町め、このツケはでかいぞ……)
防衛省内部の力関係に関しては、山本に一任していた。そのため室町の動きに気付くことができず、今日の騒動を巻き起こしてしまった。
外敵が襲い掛かり、操られているのか味方の『ES能力者』同士で殺し合い、対ES戦闘部隊の面々が主要施設を制圧したこの状況。室町が民間人に手を出すとは思わないが、軍部に限っても血が流れ過ぎている。
今もなお戦闘は続いており、流れる血は増える一方だ。敵味方を問わずに数えれば、『ES能力者』だけで既に百を超える命が失われているだろう。対ES戦闘部隊や兵士を加えれば千を超え、『ES寄生体』なども含めればその数は万に届くかもしれない。
――“だからこそ”解せない。
(このような状況を作っておいて、室町に目立った動きはない……指揮所や各施設の制圧、民間人の外出禁止、それでいて戦闘は継続……何が狙いだ?)
現状が室町にとって何の利益につながるというのか。スタンスの違いから室町とは相容れなかったが、クーデターを起こしたからといって嬉々として権力を握るような性格でもない。
手段は褒められたものではないが、何か理由があるのか。そう考える源次郎だが、ここまで混迷とした状況を招いたのでは擁護のしようもない。
(いや、それは俺も同罪か……)
室町の企みに気付けなかった以上、源次郎としても大きなことは言えない。言うつもりもない。今はただ、この状況を終息すべく動くだけだ。
「閣下、おおよそながら各地域の情報が揃いました」
「うむ……聞こう」
指揮所から一緒に出撃した部下の声に、源次郎は思索を打ち切る。接収した基地の人員は非協力的であり、近隣に存在する『ES能力者』の部隊も交戦中のため、情報を整理する人員も少ないのが痛手だ。
そして、源次郎は部下からの報告を聞いて徐々に眉間のしわを濃くしていく。戦闘中の部隊も多いため詳細な情報を得られていないというのもあるが、あまりにも状況が悪いのだ。
同士討ちに加え、当初交戦を想定していた『ES寄生体』や『ES寄生進化体』だけでなく、突如侵攻してきた『ES能力者』の集団。源次郎の手によって一個連隊を壊滅させたものの、三方向からそれぞれ一個連隊が侵攻してきた。
これらは『零戦』の各中隊が迎撃しているが、味方戦力の裏切りや同士討ちによって制圧に手間取っている場所もある。戦線は突破されていないが、拮抗状態に持ち込むのが精一杯だ。
これだけ悪条件が揃えば、国の一つや二つは容易く傾く。すべての地域で戦線を突破されていないことが奇跡であり――そこで源次郎は違和感を覚えた。
(待て……辛うじてとはいえ戦線を維持しているだと? 同士討ちに加えて“後ろ弾”が飛んでくるこの状況で?)
『零戦』が出撃している地域ならば、まだわかる。彼らは日本の『ES能力者』の中でも最精鋭であり、部隊の一人ひとりが他の部隊ならば隊長クラスの技量だからだ。しかし、他の地域でも戦線を維持“できている”というのは腑に落ちない。
たしかに他国と自国の『ES能力者』を比べれば平均的に練度が高いが、それでも限度がある。
部隊によっては半数近い『ES能力者』が味方に襲い掛かり、そこに対ES戦闘部隊が加わり、とどめを刺すように室町から戦線の維持命令が下された。『ES寄生体』等の迎撃も継続して行う必要がある以上、戦線が崩壊している場所があってもおかしくないのだ。
むしろ戦線が崩壊していないことこそが異常であり、源次郎の脳裏で警鐘が鳴り響く。
(室町の狙いは……いや、違う。その後ろに“誰か”がいる?)
『ES能力者』が、『ES寄生体』が、『ES寄生進化体』が殺し合っている現状に対する不安と違和感。源次郎が全てを読み解くには、あまりにも情報が少なすぎたのだった。
『星外者』達に囚われた博孝だが、『星外者』や清香が顔を見せることはほとんどない。最初に交戦した男の『星外者』はあれ以来姿を見せず、清香も博孝への命令を下してからは姿を見せなかった。
そのため博孝の傍にいるのはベールクトと、清香の手によって操られている里香だけであり、博孝はベールクトが運んでくる『進化の種』に『活性化』を発現する作業を繰り返すだけだった。
「……これで……百二十、と……」
休憩を挟みながら『活性化』を発現していたものの、さすがに限界が近い。それでも里香の命を盾に取られている博孝に作業を中断するという選択肢はなく、全身に圧し掛かる疲労を無視しながら『活性化』を発現していた。
「お兄様、顔色が悪いですよ? そろそろ休憩されたほうが良いのでは……」
本来は敵であるはずのベールクトに心配されるというこの状況。博孝はその皮肉さに内心で苦笑するが、濃い輝きを放つようになった『進化の種』を見せながら口を開く。
「あと一個しかないし、そろそろ次の分を持ってきてくれよ」
「でも……いえ、わかりました」
博孝が促すと、ベールクトは僅かに逡巡してから頷いた。そして博孝が『活性化』を施した『進化の種』を手に持つと、里香に部屋の扉を開けさせてから出ていく。博孝はそんなベールクトの背中を見送り、再び閉められた扉に目を向けた。
「里香」
「…………」
『進化の種』を取りに行くベールクトに付き添うこともなく、その場に立ち尽くす里香へと声をかける。これで何度目かになるかわからないが、返ってくるのは沈黙だけだ。
里香は意思が感じられない眼差しで博孝を見詰め、そんな里香を見返しながら博孝は大きくため息を吐く。
「さすがに疲れちまったよ……これじゃあ『星外者』や清香と戦うどころか、逃げることすら難しそうだ……」
休憩を挟みながらとはいえ、一日中『活性化』を発現していたせいで全身を疲労が包んでいる。コンディションは下降線を描く一方であり、もしも“本気で”逃げ出すとすればもっと早い段階で選択するべきだった。
「でも、里香も置いていけないしな……」
続いて口から零れた言葉。それは『星外者』や清香への恐怖感だけでなく、里香まで“言い訳”の材料にしたのだ。
ただ、博孝を見詰める里香の眼差しが少しだけ変化したようにも感じられ、博孝はそっと視線を外す。目立った変化はなかったが、咎められたような気がしたのだ。
「……なあ、里香ならこの状況でどう動く? どう動けばいい?」
言葉が返ってくることはないと知りつつも、博孝は尋ねる。
先行きが見えない。『星外者』達には勝てない。沙織達の状況もわからない。そして何よりも、自分自身の心情の変化に違和感と不安を覚える。
自分の心はこれほどまでに弱かったのだろうか。これまでの訓練と戦いで鍛えられてきたのは、体だけだったのか。
疲労が蓄積するにつれて、心まで弱ってしまっている気がした。唯々諾々と清香の言葉に従っていることを、『仕方ない』と受け入れつつあるように思える。
以前ならば反発し、現状を打破するべく動いただろう。命を賭けてでも抗っただろう。しかし、今はそんな気も湧かない。
平静を装っても、怖くて仕方がないのだ。ベールクトはともかく、『星外者』も清香も得体の知れない恐怖がある。
その正体も、技量も、目的も。人間離れした――事実、人間とは別種と思わしき『星外者』達に、博孝は明確な恐怖を抱いていた。
「……が……って」
思わず俯く博孝だったが、不意にか細い声が聞こえた気がして弾かれたように顔を上げる。それは聞き間違えることがない里香の声だったが、視線を向けた先にいた里香は相変わらず無表情に見つめてくるだけだ。
「……幻聴、か……ははっ、案外脆いもんだな……」
敵地に囚われ、何の意味があるかわからない作業を繰り返す。その上、信頼していた味方は操られ、置き物のように扱われている。訓練生時代の方が肉体的にはきつかっただろうが、精神はとっくに悲鳴を上げていた。
そのため幻聴が聞こえたのだろう。博孝は自身の体調を考慮し、ベールクトが戻ってくるまでは休憩を取ろうと思った。部屋の中には時計もないため、ベールクトがいなければ時間を区切って休むこともできないのである。
そして、休憩のタイマー代わりにされたベールクトだが、彼女は博孝とは別の理由で困窮していた。
「よく聞こえなかったわ。もう一度言ってくれる?」
困窮の原因になったのは、『進化の種』が保管されている部屋で清香と鉢合わせたからである。ベールクトとしては顔を合わせたい相手ではない。それでも、博孝のためを思って提案したのだ。
「……その、お兄様にもう少し休憩を取らせてあげたいのですけれど……」
ベールクトの目から見ても、博孝の限界は近い。そのためもう少し休憩を取らせ、『進化の種』に『活性化』を施す数も少なくした方が良いと思ったのである。
そんなベールクトの提案を聞いた清香は穏やかに微笑み、ベールクトの左肩に手を置く。
「お兄様だなんて……ふふっ、本当に懐いているのね。この数日で仲が深まって情が湧いたの? それとも“姉”への当てつけかしら?」
「…………」
からかうような声色だったが、清香の目は笑っていない。そのためそれ以上は何も言わず、目を伏せて清香の判断を待つ。すると、そんなベールクトの反応が面白くなかったのか、清香は真顔になった。
「却下よ。あなたは自分の仕事をしなさい」
「……でも」
冷たく却下され、ベールクトは思わず抗議の声を上げようとする。しかし、それよりも先に左肩に置かれた清香の手が下へと滑り、ベールクトの胸を――心臓を指差す。
「ここまでくれば、“お前”は重要な存在ではない……この意味がわかるわね? 彼の世話も、あなたが頼み込むから任せているのよ?」
「……はい」
温度を感じさせない冷徹な声に、ベールクトは表情をなくして小さく頷く。清香はそんなベールクトの様子に満足そうに頷くと、ベールクトが運んできた色とりどりの『進化の種』を受け取る。
「そう簡単に死にはしないわ。予定通り作業を続けさせなさい。そうね……渋るようならノルマに届かなかった数だけ“あの子”の指を切り落とすと伝えておいて」
まるで、ゴミでも捨てておけ、とでも言わんばかりに気軽に言い放つ清香。その命令を請けたベールクトが無言で頷くと、清香は小さく微笑んでから部屋を出ていく。
「……また数が減ってる……」
清香の背を見送ったベールクトだが、部屋に置かれていた『進化の種』の数が明らかに減っているのを見て呟いた。
博孝が『活性化』を施した『進化の種』を運ぶのはベールクトの仕事だが、定期的に清香が様子を見に来ては持ち出すのである。いくつか戻ってきた『進化の種』もあったが、そのほとんどは姿を消していた。
清香が何の目的で持ち出しているのかわからない。ベールクトでも『星外者』達の目的はそれほど知らず、清香の行動を理解しかねている。
「……お兄様のところに帰りましょう」
自分が気にすることではない。むしろ、気にしていては命に関わる。そう内心で呟いたベールクトは、新たな『進化の種』を集めて博孝の元へ戻るのだった。
「た、大変です隊長! すぐに甲板に来てください!」
「……何事だ?」
護衛艦『いなづま』の食堂にて休息を取っていた砂原だが、慌てた様子で駆け込んできた福井に怪訝そうな顔を向ける。
『通話』を使わずに食堂まで走ってきた辺り、本当に焦っているのだろう。福井は空を飛べるため周囲の索敵を任せていたのだが、文字通り飛んできたのか。
警戒のため砂原は常に『探知』を発現しているが、何の反応もなかったため福井の慌て様に何事かと思う。『アンノウン』が攻めてきたにしても、そのような気配は感じられない。
「う、海が……」
信じられないものを見たと言わんばかりに声を震わせる福井だが、報告は明瞭に行うよう指導するべきか砂原は悩む。このような状況だからこそ、普段の訓練が物を言うのだ。
それでも余程のことがあったのだろうと判断し、軽く注意しただけで甲板へと向かう。福井は“それなり”に使える『ES能力者』であり、驚愕に値することは早々起きないはずなのだが――。
「なんだ……あれは……」
『いなづま』の甲板に上がり、福井が指差す方向を確認した砂原もまた、そのような呆然とした声を漏らしていた。
「索敵をしていたのですが、いつの間にか“ああなって”いました」
福井が補足するように説明するが、砂原の耳には届いていない。たしかに、アレならば福井の動揺も納得できる。
「海が変色しているだと?」
福井が指差した方向、そこでは海面に異常が起きていた。赤、青、黄色。他にも様々な色が混ざり合い、海水がマーブル模様のように混沌とした色へと変わっている。
赤潮が発生したか、化学物質でも流出したのかと砂原は思ったが、海面が仄かに光っているのだ。砂原が甲板から飛び立って周囲の様子を確認すると、青々とした海原の三割ほどが謎の変容を見せている。
海水の全てが変色しているのか、それとも海面だけなのかはわからない。海中に飛び込んで確認したいところだが、飛び込んで良いのかすらわからない。『防壁』を発現していれば大丈夫だと思うが、嫌な予感が拭えなかった。
(何が起きた? 先程まで異常はなかったはずだが……)
内心で呟くと共に、砂原は僅かな違和感を覚える。『アンノウン』と遭遇した時のような、みらいが力を暴走させた時のような、奇妙な気配が漂っているのだ。甲板に着地した砂原は考え込むが、すぐに福井から声をかけられた。
「隊長……あれは何なんですか?」
福井だけでなく、甲板にいた部下達が砂原の元へと駆け寄ってくる。その誰もが不安そうな表情をしており、顔に動揺を出していないのは斉藤ぐらいだ。それでも、斉藤も砂原と似た険しい顔付きで海面を睨み付けている。
「河原崎少尉の誘拐から数日経たずにこの異変……関係があると思いますか?」
「可能性は否定できん……が、確証もない」
そう言いつつも、斉藤の言葉に納得する部分もあった。自然現象では到底起こり得ないが、タイミング的には十分に起こり得る。
「あの水、触ってみても大丈夫ですかね? 遠くから『射撃』でも撃ち込んでみますか?」
「やめておけ。何が起きているかわからんが、何が起こるかもわからん」
斉藤の提案を却下する砂原だが、“何か”が起こっていることはわかる。そのためには即座に行動する必要があると、先ほどから勘が訴えかけていた。
(指揮を間宮に任せて出撃するか? 斉藤を連れて行けば早々遅れを取ることはないが……)
里香もいないため、部隊全体の指揮を執れる者が限られている。鈴木がいるため指揮を任せられるが、『いなづま』の武装は底を尽きかけているため戦力は即応部隊頼りだ。戦力に関しても平時と比べれば減少しており、砂原と斉藤が離れた場合に不安が残る。
恭介とみらいはともかく、沙織はみらいが『構成力』に物を言わせて強引に治しただけで戦える状態ではない。恭介とみらいにしても本調子ではなく、全力で戦うことはできないだろう。
それでも、今動かなければ危険だと砂原は判断する。少なくとも周囲の様子を確認しなければ、判断材料も揃わない。
「……変則的ではあるが、俺と斉藤が出る。残りの人員は『いなづま』の護衛と周囲の警戒を行え。指揮は間宮が執り、鈴木中佐殿に進言して“あの水”に触れないよう進路を取ってもらえ」
「わかりました」
間宮の返事を確認し、砂原は斉藤にアイコンタクトを送ってから飛び立つ。その胸中は、これまでにないほどの焦燥で占められていた。




