証-1(旧題:心アクロバット)
水のせせらぎがする。なま暖かい風が顔下半分にあたり、視界が繊維状のもので覆われていることに気づいた。格子状の隙間の先に明かりがあった。目覚ましは鳴っていない。まだ眠いと横向きに体勢をかえつつ、俺は左耳から聞こえる煩わしい嘆きを無視した。眠りを醒まそうとする声が遠のき、ハンモックのように揺れる夢心地に浸りながらどこからか聞こえる声に気持ちを傾けた。子供を寝かしつけるような優しき唄が体躯に染みた。
エイドス・オントス・オン
美のイデアに預かりし御霊を
エイドス・オントス・オン
寸分違わぬ美の偶像を
エイドス・オントス・オン
偶像は今壊れた。
美のイデアへ御霊は……還らん
「セフィー……別れは済みましたか。またどこかできっとお会いできます」
っ、気休めはよして。力強い口調が泣きはらした後のような声を際立たせる。
「ナリィーちゃん、セフィーに渡してあげてくださいな」
「火花……バチンバチン」
何かが爆ぜる音が近くなる。
「ありがと、ナリィー。じゃあ……またね達三」
コンコンと頭上で何かが落ちてきた音がする。
「ナリィーもお別れを言って」
「火葬」
足下らへんに落下音。ちょっと待て。
肩肘を張る。直方体。狭っ苦しいなか顔の布を汗をぬぐうようにはぎ取る。実際熱い。熱源は眼前にひとつ。足にひとつ。焦げ臭い。ハリウッドスター終盤の密室が走馬燈なんてお断りだ。両手を壁にたたきつけ、助けを叫ぶ。
「誰か! 誰かじゃない! なんでもいいから開けてくれ!!」
「えっ、ちょお、ミコトぉ」
「大変じゃあ」
「消火」
水しぶきが飛び散る音がする。寝台が傾ぐ。
ヒ、ヒ、ヒ、ヒィ。という騒ぐ声と叩きつける音。
ヂィィィィィィイイイイイイインという切断音。
壊れたオーディオのように繰り返される大変じゃあ。
ご丁寧に接ぎ木された棺の蓋が外れた。
『達三』どのぉ」
「ブラン」
とりあえずみんな落ち着け……という科白は迫りくる水面が代弁してくれるらしい。
ぶはあ。日差しを後光代わりに。桟橋から偉そうに見下ろしている女性がひとり。開いた扇子をクルリと回して心底楽しそうな眼差しで再会を祝福する言葉をはなす。
「おお達三よ、生き返ってしまうとは情けない」
ガシャギシャン。
軽装甲だろうか? 桟橋にあがった世歩玲の格好がファンタジーの女戦士のようなものを着ている。関節部がやたら多い鉄甲に覆われた鮮やかなオレンジの腕と真紅のガントレットのようなブーツが金属音を出す。武器は手に持っていないが黄色い柄のようなものが赤い鎧の至る所に見ることができ、その剛毅な居で立ちに濡れた赤茶色の髪がこれしかないというほど似合っていた。おそらく戦場を背景に麗しい長髪が靡く様子は空想世界のピューリッツァー賞だ。巫女さまは憑依されたかNPC《ゲームの住人》に徹しようとしているのか調子が一切変化しない。怒り狂う世歩玲もまるで眼中にないかのようにキラキラ笑顔を飛ばしてくる。惑星十字架規模負けの口元が開く。
「達三が次の段階にレベルアップするにはあと「ミコトぉぉぉぉぉ」の死亡経験が必要じゃ。世歩玲はすでに上限に達しておる。上のアップデートに期待するんじゃな。ナリィーが次の段階にレベルアップするに「ちょっと来なさい」回の転生経験が必要じゃ。トーキチが次の段階にレベルアップするにはあと三回の死亡経験が必要じゃ。セフィー! 私言いたいのっ! ゼンアクはレベルアップを拒否しておる、発売元に問い合わせるように。ではゆけ勇者たちよ~痛い! 痛い! 耳引っ張らないで!!」
そのまま林に連れ去られていく。
後ろ髪を引かれているのか俺の方を向いたまま「生をまんきつして死ぬようにっっ!!」と叫び声を残して消えていった。「鬟は駄めぇぇぇヱェェェェェ」神をも畏れぬ所行にビクついてる俺はトーキチと顔を見合わせた。人柄に合うような茶色がはいった落ち着きある緑の身長ほどの大楯をトーキチは担ぎなおす。
ゑっぐっぐ、嗚咽のような泣き方で林から出てきたのは、完璧を思わせるほどの美少女だった。大和撫子、と一語に納まりきれない。いかにも女戦士な世歩玲と同様に巫女さまもファンタジー色を醸し出していた。ラポール島では、現代の巫女さんっというような格好であり、ついには顔は霞がかかったように見えなかった。しかし今見ると十五、六ぐらいの少女であり、声音からおばさんのように思っていた俺としては驚きを隠せず「まだずれているかの?」と鬟の心配をされるぐらい見つめてしまっていた。気にしているのはイヤリングのように耳元に垂らされた8の字状の髪束で顎の高さを出ないようなところを巫女さまと一緒に揺れている。墨色の透き通るツヤの黒髪は肩口で折りかえされ上品に見えないところでまとめられていた。そんな髪型に合わせたように簡単な図形で構成された麻で織られた服装をしていた。羊皮紙のような布地に白や黒で色づけされ決して古さを感じさせるものではなかった。が。唯一のミスマッチは扇であり、何かの草みたいな柄になっていた。その扇が閉じられ回転、釣り竿に変わっていた。竿の先にニンジンが下がっているかのようにふらふら川に導かれる巫女さまの襟を、世歩玲が子供のオモチャをとりあげるように掴む。
「ど、こ、に、行くのよ」
「水神が私と遊びたいと……」
言ってない言ってない。世歩玲が巫女さまを座らせる。
「というかアンタ以外の神さま居るならさっさと連れて来なさいよ、ここに一柱いるんでしょ?」
はあ。巫女さまが十五夜に満月を臨むような曖昧な返事をする。
「こいつは本格的にハズレかしら」
胸元の暗器がトーキチの頬を掠める。
ギチ。世歩玲が放った暗器が刺さった蠍の機械が体液のようにネジ、ナット、ベアリングのシャワーを吹き出している。
「達三、ここ夢に思える?」
黒のローブから腕を出し頬をつねる。痛い。
「よね、痛覚がある。昔はさまよったわ」
で。なんで痛覚があるような場所で達三はあんなことになったのかしら?
「カタルシスが必要ではないかと!」キリッと凛々しい巫女さま。
「要らぬわ! 折るっ!!」
胸元、足首、手首、出るわ出るわ飛び道具の数々。
ウオリャア、キンキン、あはっはあっはー、フッーー。ほほほホ。
ーーで、状況を教えてくれるかな、とトーキチと大人しいナリィーに聞く。
「わしらが気づいたときんはこげんなっといったのお」
「ここが善悪の夢の中ですか? ファンタジーRPGみたいな格好ですし」
「ふぁんたじー? 三百年前の例えでいうたらなんでっしゃろ」
(……まだ習ってねえよ)
巫女さまが追いつめられている。扇をヌンチャクのように脇下に通す。
「伝統芸能」
そりゃあ無理だろと思った扇の柄を返す反対の手で長刀をふるう。絶対当たってないだろってとこまで飛びクナイが慣性の力を失い落下している。あーあれはセフレもわかってて八つ当たりしてんだろうな。決まったッとドヤ顔の黒髪少女が小憎らしい。それ当たってないから。
「超機動双六」
むむ……なんとかわかり申した。トーキチの右往左往していた目が定位置に戻る。
「その善悪様が遊戯なされた印象お強く、この異国風双六界になっておるものかと」
「よくわかった」ありがと、と袖口から取り出した本の背表紙で楯をこづく。中身はもう見ない。さっきゲームのパッケージを開ける子供みたいに本を広げた魔導書には、ひたすら舞っている巫女さまが載っていた。パッケージ詐欺だ、ドちくしょう。別のページは枕元の借り物だった。
「シンボ……む~~」
世歩玲の中で巫女さまに一泡吹かせたい気持ちと概念はなるべく固定しない信念が闘っている状況を制止した。
「世歩玲だいたいわかった。で、どうする。近くに街とかあるのか?」
わかったわよ……。投げようとした黄色の錐を元の位置にしまわず、真下に落とした。
口を尖らせてしぶしぶ世歩玲が言った。
「宿屋に行きましょう。トーキチ、ナリィー鉄屑拾ってきてね」
聞いたところによると、そのまま通貨ってことになるらしい。無駄がないよな。
舟葬しようとしただけあってそんなに街と離れていたわけでもなく。
町の一部とも町境とも言えるような場所の川であることがわかった。川ではなくバーベック渓流と呼ばれており、谷間から高原へ流れていくその途中の開けた平地にあるのがランゲルハンス城とその城下町であり、生物はいなく生物のような機械のいる世界らしい。
「ほら、そこにも」
言われて見上げた。近代化したてのような四角い柱がたっており、上部にはガラス窓の檻がある。中で小動物が暴れ回っている感じだ。これもサソリ同様に黄色っぽかった。
シクラーゼと几帳面に書かれた宿屋にはいっていった。中から「あいよ」と声がして中年の男があらわれる。
「元気にやってる? シクラーゼ」
なにか変わったこととかあったかしら? これ今日の分。ナリィーが背伸びしてカウンターにネジ山を置く。
「お前さん御一行ぐらいだよ、これといって面白味のない町だぜ」
シクラーゼと呼ばれた男は客の前だというのに退屈そうな様子を隠そうともしなかった。
「勇者様も寝ていちゃあ、なんの物語も生まれないってねえ」
ハイ、鍵。鏡のある大部屋だったな。手渡された鍵を受け取った世歩玲が「主人公はたいてい寝坊しているものよ」と言い、奥の部屋に進んでいく。
「大部屋とはいえ小さいわね」二つしかないベッドがある部屋をみた世歩玲が言う。歪曲した金属が磨かれ置かれている。辛うじて人の姿がわかる程度には反射している。
「まあいいわ。これが帰る唯一、いやもう一つではないわね」
俺のほうに振り返った世歩玲がてを握ってきた。そのまま左手で俺の手首を掴み掲げた。ラポール島で鏡だった部分は鏡面仕様の鉄甲になっていた。そこに世歩玲の右手が突っ込まれた。イイっ? と驚く間もなく世歩玲は右手を抜き取ると「手抜き」と言って、持ってきた液体を濁った人の身長ほどの金属片に投げつける。銀色の水しぶきが散る。
無機物であった板が青く波たっていく。
「よしょ」っとおもむろに女戦士が首だけを突っ込む。壁を挟んだ向こう側のような、くぐもった声で「空か。地面に創るものじゃなかったわ」と聞こえた。
こちらに全身が戻った世歩玲はウェルニッケ野に繋げたわ、入ったら踏ん張らなきゃ戻っちゃうけど……。
「とにかくっ、なにかあったらここから帰ることっ!」
巫女様が眉を細める。
世歩玲がトーキチ、ナリィーを見てはなす。
「達三は私のほうでいざとなったらなんとかするからーー」
ノックの音で会話が遮られた。
「セフィーさん、あったよ!あった!!」
叩き破れそうな声でシクラーゼが叫ぶ。ドアの側にいたトーキチが扉を開けた。
「なんか広場のほうで王様が御触れを出すってよ! 俺も見に行きたいから宿開けぜ!」
言うか言わないかの早さで用件だけ言うとイヤッホぉー! と宿から躍り出るように主人が消えていった。
一瞬皆が顔を見合わせる。
「行くわよ」
俺たちも急いで風のように消え去った主人の足取りを追った。
広場はこんなにもいるのかというほどの人で溢れていた。
うっかりすると人混みにさらわれそうな身長のナリィーはトーキチに手を繋がれている。
城のバルコニーというには豪勢すぎる城の二階部分にあるところに威厳のある恰幅の男が立っている。ひょっとしたら善悪かと思ったが違うみたいだ。かろうじて体型で判断できた。人垣で遠くにある城の門扉の鉄柵に民衆がとりついている。シクラーゼが興奮に我を忘れているのが見えた。
「静粛に! 静粛に」
王の側にひかえた大臣のようなふたりが叫ぶ。奇妙な規則だった静寂の輪が広がっていった。仲間が人差し指をそっとあて、俺をみた。ーー雑音ひとつない。
王様が口を開く。町全体に伝わるような声量が伝わる。
「みなの知ってのとおり、姫が何者かの呪いで忌まわしき像となってしまった」
言葉に酔ってるように、沈黙をとり二の句を出す。
「わが兵士も優秀なことに疑うことはせぬ! しかしメラノサイトのことといい、人手が足らぬのも事実。よってみなの中より勇者を募ろうと思う、我こそはというものは名乗りをあげい」
王が右手で合図をだす。うなずいた兵士が鉄門を開いていく。重量ある音がギギギと響く。城に入ろうとする一団の中にシクラーゼがいた。
「おお、忘れておった」
姫をここに。後ろに控えていた屈強な兵士が奥に走る。
四人がかりで美術品のような梱包された物体をお立ち台の上に固定する。
丁重な、何重もの包装が破がされた。機械でーーできた女性の像だ。もっとよく見ようと目を凝らした。見覚えがある?
「初実?」
口にした瞬間。
町中の人間が一斉に俺を振り返った。
城に入る手前のシクラーゼと目があう。その目がうろんだった。
閃光のような音もない何かが城の中庭を横切った。
そのシクラーゼの四肢が宙に舞っている。門をくぐった一団が一瞬に消えていた。代わりに横に大きな亀裂ができていた。右にあるだろう城壁の崩れる音がする。
「トーキチィィィイ!!!」
言われるまでもなくナリィーを抱え宿屋の方角に走り去る小さな人影があった。
「逃げるわよっ」
世歩玲を振り返った先ーー城門の前に緑の甲冑に身を包んだ善悪が立っていた。
斧の付いた槍のような穂先を太陽にかざす。
「初実に近づくな」
振りかぶろうとした善悪と一瞬目があった気がした。
隣の世歩玲が一掬い。
その手が刹那、気のせいと思える時間だけ硬直する。
抜き取る遠心力ままに石畳に水滴を叩きつける。
見えない斬撃が上にあるのを感じーー。
膝が後ろから蹴られた。
そのまま後ろに引っ張られ。
痛ぇ!
オレは見慣れた現実の部屋でフローリングの床に頭をぶつけていた。




