死を導く呪い
「場所はここだけど……本当に行くの?」
ハンドルを握る俺のとなりで、咲耶は不安そうに確認してきた。
「なんだ? 嫌なのか?」
「嫌ってわけじゃないけど……急にどうしたの? 私の復讐を手伝ってくれるなんて」
「もともと、そういう約束だっただろ」
目的地をカーナビに入れ、アクセルを踏む。
「そう、だけど……急だったから、少し理解が追いつかないわ」
「――知りたくなったんだよ。お前を殺せなかった理由が」
なぜ、狼がウサギを狩れなかったのか。なぜ獣が人間を狩れなかったのか。
魔狼の凶牙は、抜けてしまったのか否か……俺はそれが知りたい。
「巣鴨咲耶という人間の根幹にあるもの。巣鴨咲耶という人間を形成しているもの。……それが復讐という呪いだ。だからこそ、その呪いを解いて、素のお前を見てみたくなった……それだけだ」
「呪いって……大げさじゃない?」
「そんなことはない。復讐ってのは……呪いだ」
とある国で、母親を殺された少年が居た。母親を殺したのは地元で幅を利かせているマフィアだった。少年はマフィアに復讐しようとし、棒きれ一本で挑んだ。そうして、呆気なく死んだ。
とある街で、金目当ての少年ギャングに襲われ、右腕を怪我したピアニストが居た。右腕の怪我は酷く、もう二度とピアノは弾けないだろうと医者に宣告された。ピアニストは拳銃を左手で握りしめ、ギャングを捜した。ギャングを見つけたピアニストは銃を発砲するが、左手だったため、銃弾が逸れて当たらなかった。ピアニストはギャングに三時間以上も拷問され、世界を恨みながら死んだ。
とある村で、飼っている羊を野犬に殺された羊飼いの青年が居た。青年は猟銃を手に、森へ入り込んだ。次の日見つかったのは、野犬の餌に成り果てた青年の死体だった。青年の父親が悲しみと怒りを胸に、猟銃を担いで森に入った。父親は猟銃で三頭の野犬を仕留めた。その後、別の野犬の群れに襲われ、銃弾を撃ち尽くした父親は、息子に会えると喜びながら死んだ。
俺は今まで、あらゆる場所で、あらゆる人の復讐を見てきた。その結果は、ことごとく同じ――復讐者の死だ。
復讐とは、死を導く呪いだ。そして、絶対に逃れることができない。
「……まあ、復讐を手伝ってくれるなら願ったり叶ったりだけど。――でも、私が例のフリークスに襲われた場所に行って、何かわかるものなの? 何度も足を運んだけど、何も手がかりは出てこなかったわよ」
現在、俺たちが向かっているのは、咲耶がフリークスに襲われたという森だ。今のところまともな情報がなかったため、とりあえず始まりの地に行ってみようといった具合である。
「お前の眼では視えなかったことも、俺の鼻ならわかるかもしれないだろ。狼の鼻はバカにできないぞ」
そう言いながら、前方のトラックを追い越すため、アクセルを強く踏み込む。法定速度なんてガンガン無視して、車速を上げていく。
「ちょっと! 乱暴な運転はやめてよ。驚くじゃない。というか、何で今日はレインが運転してるのよ? 雪月さんは居なくていいの?」
「今日相手にする予定なのはフリークスだからな。死体を腐らせる必要はない。それに――」
「それに?」
「――俺は今日、大暴れするだろうからな……万が一、怪我でもしたら大変だろ?」
「私なら怪我してもいいみたな言い方じゃない」
「事実構わんからな。怪我でも病気でもなんでもしろ」
「酷い言いよう……。でもまあ、復讐が果たされるなら、私なんてどうなってもいいわ」
早送りのように流れる窓からの景色を眺めながら、復讐鬼は手を強く握る。
「……どうしてお前は、そこまで復讐にこだわる?」
「どうしてって……」
「家族を殺されたからか?」
「それ以外に理由が必要? 私は今でも、あの日のことを夢に見るわ。炎上する車、砂のようになっていく両親の体、血まみれで動かない兄の死体。……熱と、寒気に晒されるあの恐怖。黒い髪のフリークスが、つまらなさそうにため息をつく仕草――その全てが私の中に残っていて、憎悪に変換されるのよ」
強く握りしめた手の平から、その怒りを体現するかのように、真っ赤な血が流れ落ちる。
「復讐をしても家族は帰ってこない。亡くなった家族は、復讐なんてことよりも幸せに生きることを望んでいる。……反吐の出るような綺麗事を何度も言われたわ。自分よりも大切なものを奪われたことのない、幸せ者たちからね。――そんなことは百も承知なのよ。私は家族のためじゃなく、私のために復讐を目指しているの。あの悪夢から逃げ出せないと、私はいつまでも前に進めない」
咲耶の眼の中に、地獄が映る。
これまで歩んできた地獄と、これから歩むであろう地獄が――
「憎悪が、記憶ではなく魂に染みこんでいるの。忘れ去ることなんてできないのよ」
――そのどちらもが、どこまでも暗く、血にまみれていた。
◆ ◆ ◆
「丁度ここだったわ」
案内されたのは、有史以来人の手が入っていないような、鬱蒼とした森の内部だった。
咲耶が復讐を志すきっかけとなったのがこの場所。一人の少女から復讐鬼が生まれ落ちた、呪われた地。
「少し離れた……あの場所に道路あるわよね? あそこを両親が運転する車が走っていたところで、フリークスに襲われたの。そして、車はガードレールを超えて、ここまで転がり……そして大炎上よ」
俺は辺りを見回すが、特に怪しいものはない。炎上した車の残骸も、今はもう撤去されている。
「私は全身を強く打って、ボロボロになりながら能力に目覚めたの。で、そのとき初めて眼で見たのが、家族を襲った人型のフリークス。そいつは次元……のようなものを斬って、そのまま逃げ出したわ」
「なんとも、珍しい話だな」
「信じられない?」
「いいや。信じるさ。……ただ、一つ訂正をしておくと、お前の家族を襲ったのはフリークスじゃないな。恐らくは俺と同じ――か、似た存在だろう」
「それって……神の欠片じゃなくて、神そのものってこと?」
「神とは限らないがな。巨人族や悪魔の可能性も高い。なんにしろ、気を引き締めておけ。お前が戦うことはないだろうが、余波でポックリ逝かないことを祈っておく」
咲耶も曲がりなりにはユーザーなので、一般人より体力も耐久度も高い。しかしそれでも、人間であることに変わりはない。ラグナロクのような『神話の戦い』が再現され、それに巻き込まれれば助からないだろう。
「まずは……ちょいと探るか」
魔力で鼻を強化し、周囲の匂いを嗅ぐ。だいぶ時間が経っているとはいえ、まだ残滓が残っていてもおかしくはない。
「……何も感じないな」
本当に少しの間しか居なかったからか、匂いは欠片も残っていなかった。となりでは、魔眼を使って周囲を探っていた咲耶が、首を横に振っている。
「こっちもよ。相変わらず、《第三の魔眼》でも何も視えない」
「こいつは、少々力業で行く必要があるかもな。――咲耶、下がっていろ」
俺は咲耶と距離を取り、フェンリルとしての意識を強く引き出す。
魔力を全身からにじませ、周囲を汚染していく。
「ちょっと! 何してるのよレイン!」
「撒き餌だ。いいから黙ってろ。それと、魔力には触れないようにしろ。人間の精神なんてすぐに焼き切れるぞ」
俺を中心として、徐々に広がっていく蒼い魔力。周囲の植物が魔力に触発され、狂ったように成長を始める。
狼の血が、全身を駆け巡る。牙と爪が伸び、眼は黄金の輝きを放つ。脳裏に浮かぶ幻の満月が、俺の狂気を増していく。
人間の神経と狼の神経が混ざり合う。五感がより研ぎ澄まされ、頭の中がどんどん混沌としていく。
「さあ、来い。異常な存在が居るんだ。別の空間だろうが感じ取れるだろ? 一度来たことのある場所ならなおさらだ」
地上が魔力により、どんどん魔境と化す。触手のように動く植物、数秒ごとに色を変える花々。常人なら見ただけで発狂しそうな奇観を前にしながら、咲耶は呑まれないように叫ぶ。
「ああ、もう! なんなのよ! レイン、本当にこれでいいの!?」
「今に見ていろ。そろそろ……」
今回の相手は、わざわざ地上にまで人間を殺しに来るような、好戦的なやつだ。まだくたばっていなければ……絶対にやってくる。
「…………ほら、お出ましだぞ」
そのとき、地の底から、巨大な魔力の塊が浮かび上がってくるのを感じた。普段は感じることのない、強大な魔力が。
「え? ちょっと、レイン?」
放出していた魔力を再び体内へ取り込み、刀を強く握りしめる。
「さあ……お前の復讐に、幕を引こうか」
――目の前の空間がぐにゃりと歪み、黒い髪をたなびかせる、人型の何かが現れる。ボロ布のようなもので身を覆い、肌は透き通るほど白い『何か』が。
その姿を、その魔力を……俺は知っている。どれだけの時間が流れようと、忘れることはない。
「……驚いた。まさかお前が来るとはな――ヘル」
「驚いたのはこちらも同じです――兄さん」
そこには、フェンリルの妹であり、死の国・ヘルヘイムの支配者が、空中に浮かびながらこちらを見下ろしていた。




