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狼の月に雨は降る  作者: 黒河純
第三章 鬼に逢っては鬼を斬り
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武と獣

「ほう……なんとも面白そうなやつがきたな」

 咲耶の様子を遠くから窺っていたが、刀を持った初老のユーザーに助けられたようだ。咲耶と同じ制服……ということは、あのユーザーもアイギス所属だな。

「せっかくだ、少し遊ぶか」

 俺が全力を出しても、壊れない相手であればいいのだが。


 ◆ ◆ ◆


「よう小娘。無事なようでなにより」

「レイン……今更来ても遅いわよ。フリークスはもう消滅したわ」

「みたいだな。ま、倒したのはお前じゃないようだが……そいつは?」

 俺は刀を持ったユーザーを指さしながら、咲耶に尋ねる。

「私の元上官で、あなたとは比べものにならないほど立派な方よ」

「そうかい。――あんた、名前は?」

「……飛葉双厳」

 まばたき一つせず、どこまでも落ち着いた様子で男が名乗る。数多くの戦場をくぐり抜けてきた者だけが稀に身につける(せい)(ひつ)さを、存分に発揮しながら。


「双厳か……さっきの見ていたが、いい腕してるな、あんた」

「光栄だ」

 感情をひた隠しにしながらも、双厳はじっくりと俺を威嚇する。

 わかる……俺にはわかる。凪いだ心の奥底には、風化することのない闘志と渇望が渦巻いている。


 ――この男は、戦い、死ぬことだけを望んでいるのだろう。


「お前は、俺と一緒だ。渇いている」

 ほんの僅かだが、相手の表情が動いた。一拍おいて、小さく息を吐く。


「……お主は、鼻がいいのだな」

「獣だからな」


 仲のいい兄弟のように薄く笑い合う俺と双厳。これから起こることを互いに理解しているからこそ、俺たちは笑う。

 これから訪れるのは、どんな娯楽も凌駕する至高の闘争。武の極致。本能の終着点だ。


 ああ……世界はこんなにも、戦いで満ちている。


「ねぇ、レインさっきから――」

「小娘、後ろで大人しくしていろ。前に出ると死ぬぞ」

 咲耶の言葉を遮り、刀を抜く。能力は――まだなしだな。

「そうか……よかろう。楽しませてくれ、人ならざる獣よ」


 俺は動物のように体勢を低くし、刀を握っていない左手を地面に付ける。後肢に力を込め、地面をすり減らす勢いで強く蹴る。衝撃波によって砕けたショーウィンドウのガラスの破砕音が、開戦の合図となった。

 双厳に肉薄し、勢いをそのままに斬りかかる。


「レイン!? 何して――」

 背後から聞こえる咲耶の声は黙殺し、容赦なく刀を振り上げ――力任せに振り下ろす。技もなにもない。あるのはただ純粋な力の具現。

「――死ぬなよ! 人間!」

 常人なら確実に死ぬであろう一撃を放ちながら、敵が倒れない未来を熱望する。


 物腰の柔らかそうな初老の男は、俺の攻撃に呼応するように、自分の刀を小さく揺らす。

「っ!?」

 双厳は刃を交えると同時に、俺の刃を左へそらす。俺は大きく体勢を崩しながらも、右脚を軸にし、左脚を使い反時計回りで回し蹴りを放つ。

 相手は慌てることなく、刃をこちらに向け、刀をしっかりと固定する。だが俺は、動きを止めず、そのまま勢いよく蹴り抜いた。

 俺の左脚はみごとに膝下から両断され、勢いよく飛んでいく。


「ほう、よく斬れる刀だ」

 小さく笑いながら、すっぱりと切り落とされた脚を魔力によって瞬時に回復させる。

 一度双厳と距離を取り、脚の調子を確かめる。――いつも通り問題はない。


「肉体の再生がお主の能力か?」

「そういうわけじゃない。俺の体はちょいと特殊なんだよ」

「それは奇遇だ。私の肉体も特殊でな」

 双厳はそう言いながら、手にした刀で――自身の左手首を切り落とした。

 手首からはおびただしい量の血が流れ出し、地面を真っ赤に染める。風に乗って、こちらまで血臭が届くほどだ。


「おいおい、正気かお前?」

「問題はない」

 その言葉通り、双厳の左手はすぐさま骨が再生し、その周りを肉と皮が覆っていく。まるでトカゲの尻尾だ。


「肉体再生……それが、ユーザーとしてのお前の能力か」

「然り。何をやっても死ねぬのだ。首を()ねようが、心臓を貫こうが、死ぬことができぬ。痛みら感じることがない」

「パッシブスキルか。珍しいな」


 大抵のユーザーは、任意のタイミングで体内魔力を使用し、異能力を発現させるアクティブスキルを使う。俺や雪月、咲耶もそうだ。

 しかし、ごく稀にだが、パッシブスキル――常に能力が発動しているユーザーも存在する。過去に存在していた例だと、肉体の硬質化や透明化などだ。


「肉体再生のパッシブスキル……要するに不死身か。さすがは隊長クラス」

 どれだけ身体を壊そうと、死には至らない――つまり、いつまでも戦っていられるというわけだ。


「久しぶりに大当たりだな」

 深呼吸をし、内に眠る獣性を沈める。これは、いい加減に戦っていい相手ではない。

 右手の人差し指を鍔に軽く触れさせ、親指は鍔につけないように。左手は小指が柄の巻止めを握らないように、刀を柔らかく握る。


 中段に刀身を上げ、剣先はやや右――相手の左目につける。右肩を僅かに前にし、半身の構え――新陰流でいう青岸に構える。

「先ほどはめちゃくちゃな動きだったが、お主も少しは剣術を嗜むのか?」

「肉体同様、流派も特殊なんだよ。色々な流派から、技や構えや身体操法を混ぜ込んだオリジナルだ」


 剣術には様々な流派が存在する。有名なところでは、柳生宗厳の柳生新陰流。宮本武蔵の円明流。伊藤一刀斎によって創始された一刀流。薩摩藩を中心に伝わった示現流などだ。

 俺はそれらの流派を取り込み、独自に作り出した魔狼流を扱う。理由としては、俺の『切断概念』によるところが大きい。

 斬撃力を増すための『構え』や『身体操法』。相手が鎧で身を守っていることを想定している『技』……そのどれもが俺には不要だ。

 軽くふれるだけで鋼鉄も鎧もたやすく斬り裂く《魔狼の凶牙(フェンリスヴォルフ)》があるため、俺は攻撃を当てさえすればいいのだ。能力を使っている限り、かわされることはあっても、防御されることはないのだから。


 そしてなにより、俺が相手をするのは鎧を装着した侍ではない。フリークスやユーザーだ。何百年も昔の剣術が、そのまま通用する相手ではない。

「能力をまるで使わずに、刀を振るうことはあまり想定していなくてな……あんたの相手が務まるか心配だが、よろしく頼む」


 踵を上げないように、すり足で双厳との距離を詰める。小さく息を吐き、全身の力を抜く。

 全ての流派に当てはまるわけではないが、剣術において重要なのは、腕の力を抜くということだ。刀を振るうのは腕の力ではなく、全身の力。足腰が進み、体重が移動する――そのときに生じる力を分散させることなく、淀みなく刀に伝えることが肝となる。刀の威力を上げるのは、腕力ではなく速度だ。


「……」

 音にもならないような息を吐き、じりじりと距離を詰める。五感を研ぎ澄ませ、戦いの流れを感じ取る。

 相手が何であろうが、得物が何であろうが、あらゆる戦闘には『機』というものがある。


 先の先――奇襲を仕掛け、相手が自分に対して敵意を示さないうちに倒す。

 先――相手が攻撃をしてくる前に、自分から先んじて攻撃を仕掛ける。 

 後の先――相手に攻撃をさせ、相手の攻撃を(さば)くと同時に反撃をする。


 流派によって意味合いや言葉に違いはあるが、大まかにはこんなところだ。

 俺が得意とするのは『先』。先んじて相手に向かって飛び込み、反撃させる暇を与えず切り捨てる……それが常套手段だ。しかし、今回の相手が易々とそれを受け入れてくれるか……やってみるしかない。


「……はぁ!」

 右足で地を蹴り、一拍で双厳へと肉薄する。刀を大きくは振りかぶらず、最小限の動きで袈裟斬りを放つ。

 並のユーザーでは、反応どころか目で追うことすら困難であろう一刀。双厳はそんな俺の太刀を――刀で絡め取り、そのままはじき飛ばした。


「なっ!?」

 これには……さすがに驚いた。古流武術は直線攻撃を円運動で(さば)くという特色がある。代表的なのが柳生新陰流「廻し打ち」円明流「斬り上げ」などだ。

 だがしかし……今の双厳の太刀筋はなんだ? まるで()(がね)が鞭のようにしなり、俺の刀へと巻き付き、そのまま上空へと吹き飛ばした。

 この男は刀を手足のように――もしかすると、手足よりも精密に動かせるのかもしれない。

 俺は少年のように心を躍らせつつ、徒手空拳のまま双厳に殴りかかる。だが当然、そんな攻撃が通じるはずもなく……突き出した右腕は切断され、胸を大きく斬り裂かれ、後ろに吹き飛ばされた。


「があぁ……ぁ」

 逆流してきた血を口からあふれ出させながら、俺は笑った。

 楽しい。こんなにも楽しい相手は初めてだ。まだこんな人材がこの世に居たとは……俺は世界で一番の幸せ者だ。


「はは、は……。最高だよ、お前」

 腕と胸をすぐさま復元し、先ほど飛ばされ、地面に突き刺さっていた愛刀を引き抜く。

「光栄だ……しかし、こう見えても忙しい身でな。次で終わらせてもらうぞ」

 双厳はそう言いつつ、左足を前にし、刀を右肩で担ぐように構える。視線はまるでぶれず、刀は一ミリたりともずれることがない。

 全身から立ち上る闘気は、すでに物理的な圧を感じさせるほどに昇華している。いったい、どれほどの修練を積めば、この境地にたどり着けるのだろうか。

 俺はこの男と刀を交えることができて、心底嬉しかった。


「長生きはしてみるもんだな。人間も、捨てたものじゃない」

 双厳とは対照的に、俺は刀を下げて構える。刃は上に向け、下から斬り上げるような形だ。

 周囲の空気が徐々に凍り付き、互いの殺意によってひび割れる。


「いつの時代も、獣を殺すのは人間の仕事だ」

「その通りだ。だから……俺を殺してくれ」

 来るはずがないとわかっていながらも、それでも夢想する。双厳の一太刀が俺の命を刈り取り、永遠の暗闇を彷徨う未来を。

「俺は見てみたいんだよ。俺が死ぬその未来を!」

 生と死は表裏一体である。生を感じられなければ死を感じられず、死を感じられなければ、生を感じられない。


「全力を出し切って、それでも歯が立たなくて、みっともなく泥水をすすり、恨み言を喚き散らしながら、俺のことを殺してくれる存在を――探しているんだよ」

 神に届かんばかりの祈りを胸に、双厳との距離を詰める。俺は刀を下げたまま、力を抜く。


「……」

「……」


 二人の間に、もう言葉はなかった。不要だった。


「――」

 双厳は間合いの一歩手前で動きを止める。時間がとまったかのように、まばたき一つせず、完全に動きを停止させた。まるで心臓さえも動いていないのかと錯覚する。

 双厳は完全に静止している。故に、呼吸が読めない。こんなにもやりにくい相手は初めてだ。


「……」

 それから、どれだけの時間が流れたのか、正確にはわからない。一時間のような気もするし、一分だった気もする。もしかすると、ほんの数秒だったのかもしれない。じんわりと、汗が額をしめらせる。

 完全に場が(こう)(ちゃく)した――わけではない。戦場は貪欲に生きている。戦いが終わるまで、止まることなどあり得ない。

 だから俺は待つ。双厳が最高の一太刀を見せてくれる瞬間を。


「――――」


 不意に、双厳が動いた。何かのタイミングがあったのか、それすらわからないが、動き出した。

 右足を前に出して踏み込み、肩に担いだ刀を、右上から左下まで袈裟に斬り抜く。踏み込みと同時に曲げていた膝を伸ばし、身体も前に突き出す。半ば捨て身の一撃。かわされる、防がれるといったことは慮外なのだろう。そして実際に、この技を今まで凌いだ者が居たとは思えない。


 普通の人間が目で追える速度ではない。風を感じられる速度でもない。殺気を知覚できる速度でもない。ユーザーだと言うことを加味しても、心底あり得ない速度だった。もはや音速を超えて光速に迫るかもしれない。

 完璧だった。この世のあらゆる芸術品よりも美しかった。全ての挙措が、究極まで計算され尽くされているのがわかる。最小限の動きで最大限の力を発揮するという、古流武術の基礎を極限まで極めている。

 相手はもはや、俺の姿を眼で捉えていないだろう。視界がまともに動作する速度ではない。恐らくは、脳裏に敵の姿をイメージとして焼き付けているはずだ。だというのに、ここまで寸分の狂いなく俺の身体を斬り裂こうとできる手腕は、人外という言葉ですらなお足りない。

 刀を振り下ろす。言葉にすればただそれだけ。単純であり、だからこそ極めれば、比類無き技へと昇華する。

 まさに武神。この男は、誰が見ても武を極めている。

 双厳の()(けん)に入り、生きて出るには、人をやめるしかない。


 そして俺は、人ではない。


「舐めるなよ人間!」

 俺は、歓喜と共に踏み出す。下段に構えた刀を、双厳に向かって跳ね上げる。


 双厳は上段で構え、振り下ろす太刀。

 俺は逆に、下段で構え、振り上げる太刀。

 体格・筋力・刀の種類にもよるが、どちらが速いかは考えるまでもない。やつは重力に従っており、俺は重力に逆らっている。刀を握ったことのない人間だとしても、どちらが有利なのかはわかるだろう。

 それに加え、相手は正真正銘の武神。武を極めた化け物だ。恐らく、この技で何百、何千という敵を斬り捨ててきたのだろう。そして、何万、何億という回数の素振りをしたことだろう。すでに人が出せる速度を超えている。


 だがそれでも――俺は負けない。相手が光速で迫るのなら、それを超える神速で迎え撃つのみ。

 速く、迅く、狼の遠吠えよりも、なお迅く。

 一瞬を十に分断し、その十を百に分断する。そんな僅かな時間で――俺は牙を研ぐ。


 本能のままに踏み込み、刀を振り上げる。手応えを感じる暇も、視界が光を捉える暇もなく、双厳の両腕は、刀を握ったまま切断された。

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