善悪
『腐滅しろ――《腐滅炎》――』
雪月がいつも通り死体を跡形もなく腐らせる。肉体も、魂も、神の欠片も、あとには何も残らない。これで俺の仕事は終わりだ。
「……終わった、レイン」
「了解。帰るか」
敵は死んだ。もうここに用はない。
「……ねえレイン……例え相手が敵意を持っていたとしても、狂気に汚染されていても……子供を殺すことは正義なのかしら?」
ユーザーの少年がこの世から消え去る瞬間を見ていた咲耶が、波音にかき消されそうな声でそう問いかける。
「…………」
雪月には先に戻るよう合図をして、咲耶と向かい合う。
――こいつの考えは、限りなく危険だ。
「……俺は正義なんてもののために戦ったことはない。そもそも、戦いに善など存在しない」
「そんなことないわ。アイギスのみんなは、自分の信じる正義のために戦っている」
「そうしないと戦えないからだろう。自分の行いを正義だなんだと虚飾し、正当化しなければ、お前らは戦えないというだけの話だ」
俺はこれまでに、数多くの闘争と虐殺を繰り返してきた。
男を殺した。女を殺した。子供を殺した。老人を殺した。動物を殺した。植物を殺した。ユーザーを殺した。フリークスを殺した。神を殺した。
逃げ惑う女を、笑いながら殴殺した。泣きわめく子供の首を、刀で切り落とした。衰弱した老人の心臓を、えぐり出して丸呑みにした。大型犬ほどのフリークスを、手足を折って握り潰した。
数えるのが嫌になるほど、俺は戦い、命を奪ってきた。その全てに――一欠片も正義などなかった。
「なあ咲耶、お前らはよく『人を害する』ことを悪だと言う。『人を救う』ことを善だと言う。そして『人を害する人を害する』ことを善だという。なぜだ?」
「それは、結果的に誰かを救うことになるからよ」
「善良な一般市民を殺すことは悪行で、サイコパスな殺人鬼を殺すことは善行だと?」
「ええ。大勢の人が私と同じ意見だと思うわよ」
「確かに、誰かを害することで、誰かを救うことはできるだろう。殺人鬼を殺すことで、本来殺されるはずだった人は助かるだろう。……だが、その行いを善とは呼ばない。人を救うことが絶対に善であるという固定観念は捨てろ。相手がどれだけ悪人であろうが、自分がどれだけの免罪符を持っていようが、人を害した時点で正義なんてものは霧散する」
人を助けることは簡単だ。だが、正義を貫くことはこんなにも難しい。
「俺は今、人を殺した。自分の意思で、だ。誰かに押しつけられたのでもない。誰かを守ろうという正義心からでもなく、憎しみという悪心からでもない。俺には善も悪もない。戦いに、闘争に、殺害に――善だの悪だの、余計な装飾を施すのはやめろ。そんなことをしなければ戦えない輩など、そもそも戦う資格がない」
正義を掲げて戦わなければ、心が負けてしまう。
悪を掲げて戦わなければ、心が押し潰されてしまう。
――そんなもの、弱者の理だ。
「忘れるな。戦いには、善も悪もありはしない。あってはならないんだよ」
◆ ◆ ◆
「咲耶、雪月、お前らは先に休んでいろ」
「……ん。レインは?」
「適当にフラフラしてる。雪月、何かあれば携帯端末に連絡を」
「……わかった」
レインは本部に着いた途端、車を降りてどこかに行ってしまった。車内には、私と雪月さんだけが残される。
「本当に自由なんだから」
重たい沈黙を恐れて、とにかく口を開く。自然と、レインへの愚痴がこぼれた。
「……レインは昔からこう。……巣鴨さんもそろそろ慣れたんじゃない?」
「え? まあ……そうね」
雪月さんから話しかけられたのって、これが初ね。
今はレインも居ないし、少しくらい話をしてみても……悪いことにはならないだろう。
「あの、雪月さん、少しいいかしら」
「……ん。いいよ。なに?」
「レインについてなんだけど……付き合い長いのよね?」
「……十年以上の付き合い。長さでいえばわたしが一番長い。二番目は時司レイ」
十年以上もあの狂犬と付き合える、雪月さんの精神力はすさまじいと感服するほかない。
「なぜあなたは、そんなにもレインに付き従うの? もしかして、弱みでも握られてる?」
「……そんなことない。部下をしているのは自分の意思」
「よく付き合っていられるわね。疲れない?」
「……平気。わたしはレインのことが好きだから」
「――はぇ?」
私は今、今年一番の間抜けな声をあげただろう。
「好きって……レインが?」
「……うん」
「それはライク的な意味? それともラブ?」
「……どっちも」
「どっちも……ですか。そうですか」
あの男に、好きになれる要素が一つでもあるかしら。表情一つ変えずに人を殺す男なのに。
「……わたしは昔、悪い人にさらわれそうになった。そのとき、レインが助けてくれた。……あのとき助けられなかったら、たぶんわたしはもう死んでる」
レインが、誰かを助けた――というのが、どうにも信じられない。
「……きっと気まぐれだったんだと思う。それでもいいの」
「命を助けられたから、命をかけてレインに尽くすの?」
「……助けられたことはあくまでもきっかけ。レインも、嫌になったら抜けていいと言ってくれた。もう十分に働いたからって。……それでも、わたしはレインのそばに居たい。例え彼が人殺しでも、例え彼が獣でも、例え彼が人間じゃなかったとしても。……わたしが離れたら、誰がレインを支えてあげるの?」
「支える? レインを支える必要なんてあるの?」
――あの男は、世界で一番強いのに。
「……ある。だって、レインは世界で一番弱いから」




