ロキ
「その能力……まさかロキか……」
ロキ――北欧神話に出てくる、善悪混同の神。変身能力に長け、様々な悪事を働いたトリックスター。そして……フェンリルの父親でもある。
「こんなところで、親父殿と鉢合わせとは」
なんとも嫌な運命だ。日頃の行いが悪すぎるのだろうか。
「押し潰してあげるよ!」
黒い魔力が少年の全身に纏わりつき、徐々に大きさを増していく。現れたのは、全長五メートルはありそうな巨大な熊だった。
黒い熊は口を大きく開き、俺を頭から丸呑みにしようとする。その俊敏さに驚きつつも後ろに下がり、それを回避。続いて、人間の胴ほどはありそうな腕をなぎ払う。咄嗟にしゃがみ、再び回避。
「あらよっ」
低い姿勢のまま、熊の両足を切断する。熊の体が魔力でできた物だろうが、俺の刀は全てを斬り裂く。防ぐことなどできはしない。
低い唸り声を響かせながら、足を失った熊は後方へと倒れ込む。しかし、すぐさま黒い魔力は雲のように形を変え、輪郭を曖昧にしていく。血の匂いがまったくしないということは、本体にダメージはないな。
「芸達者だこと」
続いて現れたのは巨大な鷹だった。翼を大きく広げ、空へと舞い上がる。威嚇するように、鳥類特有の甲高い鳴き声を辺りに振りまく。
「本当に飛べるのか。すごいな」
どうやら相手は、ただ動物の形の魔力を、着ぐるみのように着ているだけではないらしい。変身した動物の特徴なども再現可能なようだ。
「親父殿は、雌馬に変身して、馬の仔を産んだこともあるしな……」
神の欠片本来の特性を、かなり濃く受け継いだユーザーなのだろう。そんな輩が野放しなのだから、時司が危険視するのも無理はない。
鷹は太陽を背に二度大きく旋回し、低空から戦闘機のように襲いかかる。その速度はすでに、音速の一歩手前だ。
「雷刀の位」
刀を上段――頭の上に構え、呼吸を整える。
巨大な爪で俺を握り潰そうとする黒い鷹。俺は地を蹴って飛び上がり、その上ギリギリを跳び越える。俺と鷹が交差する瞬間に――
「魔狼流 弐ノ太刀 《偃月》」
――刀を振り下ろし、畳ほどはある翼を根本から斬り落とす。片翼の鷹は制御を失い、地面に体をこすりつけながら停止した。
「くそ……なんてやつだ……」
鷹の中から、少年の苦しげな声が聞こえてくる。直接的なダメージはないが、魔力を削ってはいるらしい。
即座に鷹は輪郭をぼかし、再度姿を変える。
「次は蛇か……弟のヨルムンガンドを思い出すな」
黒い魔力は長く――どこまでも長く伸び、蛇の形を取る。蛇はグルリと俺と咲耶を取り囲み、何度もとぐろを巻く。体を壁のようにしながら、頭を上げ、チロチロと舌を出す。
「ちょっとレイン、これまずくない?」
「蛇ににらまれたカエルの気持ちがよくわかるな」
波の音も、潮風さえも届かない、蛇体の密室ができあがった。胴回りが十トントラックほどもある蛇が、体で壁を形作るのはさすがに圧巻だ。
「どうせ頭を落とそうが無駄だろうな」
敵は体を変化させているわけではない。魔力で覆い隠しているだけだ。首を斬っても、そこに本体がなければ無意味だろう。
「咲耶! 眼を使え! 魔力の中に隠されたユーザーを探り当てろ!」
「りょ、了解!」
咲耶がすぐさま能力を発動させ、周囲を探る。
「――レイン、そこよ!」
本体を探り当てた咲耶が、胴体の一部を指さす。こいつを連れてきたのは、正解だったかもしれないな。
「上出来だ小娘!」
俺たちを押し潰さんと迫る蛇体の壁を駆け上がり、咲耶が指定した部位に向かって白刃を突き入れる。
蛇の体を形成していた魔力が、急速に色を失い、形をも失う。術者の能力が解除されている証だ。
「あっ……がぁ」
先ほどの少年が、産卵されたように魔力の中から出てくる。腹部が大きく裂かれており、大量の血が滝のように流れ出している。これでは、もう能力も使えないだろう。
「終わりだな。咲耶、よくやった」
「そんなことより、早く彼の治療を! まだ間に合う!」
流れ出た血が、母なる存在に回帰するように、海へと向かって流れ出す。その血でできた一本道を、俺は踏みにじりぐちゃぐちゃにする。血の一滴すら逃がしたくないという獣性から。
「治療? このガキをか? お前は何を言っている。こいつはここで殺す」
「殺すって……相手はまだ子供よ!? アイギスで保護するわ!」
「保護してどうする? お前の弟にでもするのか?」
「能力も魔力もかなりのものよ。衣食住を提供して、可能であれば働いてもらうわ」
「本人にその気はないと、さっき言っていただろうが。それに、その気があってもこいつは無理だ。もうだいぶ欠片に汚染されている。些細なきっかけで、周囲の人間を皆殺しにするぞ。アイギスの任務を遂行できる状態じゃないし、これから回復する可能性も皆無だ」
アイギスは基本的に個人ではなく部隊で動く。戦闘が得意なユーザー、咲耶のように探索が得意なユーザー、仲間を治療する能力を持ったユーザーなどを、バランスよく配置するためだ。
「こんなやつを部隊に入れてみろ。一日で全員お陀仏だ」
「まだわからないじゃない! やってみてからでも――」
「その結果、部隊の誰かが死んだ場合、お前は責任を取れるのか? 死んだ隊員の遺族になんて説明する? 私のわがままで息子さんが散華しましたと、正直に伝えるのか?」
「それ、は……」
「こいつの面倒は全てお前が見て、何かあったときはお前が頭を下げるというのなら勝手にしろ。……ただな、人の命を預かるということを、軽く考えない方がいい。犬や猫とは違うんだ」
「……」
咲耶は血を流しながらうめいている少年を、悲しげに見つめる。
「こいつを引き取るというのなら、俺の助手も終了だ。当然、お前の復讐に力を貸すこともなくなる。それでもいいなら勝手にしろ」
「私は……」
恐らく咲耶は、この少年に自分の姿を重ねている。家族も仲間も居ないこの少年と、家族を目の前で奪われ自分を。
「私は、あのとき……絶対に復讐を遂げると誓ったのよ」
「……それでいい」
倒れている少年に向けて、一歩を踏み出す。永遠に戻れない一歩を。
「殺してやる、からな……お前なんか、僕が絶対に……」
息の詰まりそうな心地よい悪意を一身に受けながら、容赦なく刀を振り下ろす。
俺の背後には、血でできた足跡が、いつまでも消えずに残っていた。




