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狼の月に雨は降る  作者: 黒河純
第三章 鬼に逢っては鬼を斬り
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ロキ

「その能力……まさかロキか……」


 ロキ――北欧神話に出てくる、善悪混同の神。変身能力に長け、様々な悪事を働いたトリックスター。そして……フェンリルの父親でもある。

「こんなところで、親父殿と鉢合わせとは」

 なんとも嫌な運命だ。日頃の行いが悪すぎるのだろうか。


「押し潰してあげるよ!」

 黒い魔力が少年の全身に纏わりつき、徐々に大きさを増していく。現れたのは、全長五メートルはありそうな巨大な熊だった。

 黒い熊は口を大きく開き、俺を頭から丸呑みにしようとする。その俊敏さに驚きつつも後ろに下がり、それを回避。続いて、人間の胴ほどはありそうな腕をなぎ払う。咄嗟にしゃがみ、再び回避。


「あらよっ」


 低い姿勢のまま、熊の両足を切断する。熊の体が魔力でできた物だろうが、俺の刀は全てを斬り裂く。防ぐことなどできはしない。

 低い唸り声を響かせながら、足を失った熊は後方へと倒れ込む。しかし、すぐさま黒い魔力は雲のように形を変え、輪郭を曖昧にしていく。血の匂いがまったくしないということは、本体にダメージはないな。


「芸達者だこと」


 続いて現れたのは巨大な鷹だった。翼を大きく広げ、空へと舞い上がる。威嚇するように、鳥類特有の甲高い鳴き声を辺りに振りまく。


「本当に飛べるのか。すごいな」

 どうやら相手は、ただ動物の形の魔力を、着ぐるみのように着ているだけではないらしい。変身した動物の特徴なども再現可能なようだ。

「親父殿は、雌馬に変身して、馬の仔を産んだこともあるしな……」

 神の欠片本来の特性を、かなり濃く受け継いだユーザーなのだろう。そんな輩が野放しなのだから、時司が危険視するのも無理はない。


 鷹は太陽を背に二度大きく旋回し、低空から戦闘機のように襲いかかる。その速度はすでに、音速の一歩手前だ。


「雷刀の位」

 刀を上段――頭の上に構え、呼吸を整える。

 巨大な爪で俺を握り潰そうとする黒い鷹。俺は地を蹴って飛び上がり、その上ギリギリを跳び越える。俺と鷹が交差する瞬間に――


「魔狼流 弐ノ太刀 《(えん)(げつ)》」


 ――刀を振り下ろし、畳ほどはある翼を根本から斬り落とす。片翼の鷹は制御を失い、地面に体をこすりつけながら停止した。


「くそ……なんてやつだ……」

 鷹の中から、少年の苦しげな声が聞こえてくる。直接的なダメージはないが、魔力を削ってはいるらしい。

 即座に鷹は輪郭をぼかし、再度姿を変える。


「次は蛇か……弟のヨルムンガンドを思い出すな」

 黒い魔力は長く――どこまでも長く伸び、蛇の形を取る。蛇はグルリと俺と咲耶を取り囲み、何度もとぐろを巻く。体を壁のようにしながら、頭を上げ、チロチロと舌を出す。


「ちょっとレイン、これまずくない?」

「蛇ににらまれたカエルの気持ちがよくわかるな」

 波の音も、潮風さえも届かない、蛇体の密室ができあがった。胴回りが十トントラックほどもある蛇が、体で壁を形作るのはさすがに圧巻だ。


「どうせ頭を落とそうが無駄だろうな」

 敵は体を変化させているわけではない。魔力で覆い隠しているだけだ。首を斬っても、そこに本体がなければ無意味だろう。


「咲耶! 眼を使え! 魔力の中に隠されたユーザーを探り当てろ!」

「りょ、了解!」

 咲耶がすぐさま能力を発動させ、周囲を探る。


「――レイン、そこよ!」

 本体を探り当てた咲耶が、胴体の一部を指さす。こいつを連れてきたのは、正解だったかもしれないな。


「上出来だ小娘!」

 俺たちを押し潰さんと迫る蛇体の壁を駆け上がり、咲耶が指定した部位に向かって白刃を突き入れる。

 蛇の体を形成していた魔力が、急速に色を失い、形をも失う。術者の能力が解除されている証だ。


「あっ……がぁ」

 先ほどの少年が、産卵されたように魔力の中から出てくる。腹部が大きく裂かれており、大量の血が滝のように流れ出している。これでは、もう能力も使えないだろう。


「終わりだな。咲耶、よくやった」

「そんなことより、早く彼の治療を! まだ間に合う!」

 流れ出た血が、母なる存在に回帰するように、海へと向かって流れ出す。その血でできた一本道を、俺は踏みにじりぐちゃぐちゃにする。血の一滴すら逃がしたくないという獣性から。


「治療? このガキをか? お前は何を言っている。こいつはここで殺す」

「殺すって……相手はまだ子供よ!? アイギスで保護するわ!」

「保護してどうする? お前の弟にでもするのか?」

「能力も魔力もかなりのものよ。衣食住を提供して、可能であれば働いてもらうわ」

「本人にその気はないと、さっき言っていただろうが。それに、その気があってもこいつは無理だ。もうだいぶ欠片に汚染されている。些細なきっかけで、周囲の人間を皆殺しにするぞ。アイギスの任務を遂行できる状態じゃないし、これから回復する可能性も皆無だ」


 アイギスは基本的に個人ではなく部隊で動く。戦闘が得意なユーザー、咲耶のように探索が得意なユーザー、仲間を治療する能力を持ったユーザーなどを、バランスよく配置するためだ。


「こんなやつを部隊に入れてみろ。一日で全員お陀仏だ」

「まだわからないじゃない! やってみてからでも――」

「その結果、部隊の誰かが死んだ場合、お前は責任を取れるのか? 死んだ隊員の遺族になんて説明する? 私のわがままで息子さんが(さん)()しましたと、正直に伝えるのか?」

「それ、は……」

「こいつの面倒は全てお前が見て、何かあったときはお前が頭を下げるというのなら勝手にしろ。……ただな、人の命を預かるということを、軽く考えない方がいい。犬や猫とは違うんだ」

「……」

 咲耶は血を流しながらうめいている少年を、悲しげに見つめる。


「こいつを引き取るというのなら、俺の助手も終了だ。当然、お前の復讐に力を貸すこともなくなる。それでもいいなら勝手にしろ」

「私は……」

 恐らく咲耶は、この少年に自分の姿を重ねている。家族も仲間も居ないこの少年と、家族を目の前で奪われ自分を。


「私は、あのとき……絶対に復讐を遂げると誓ったのよ」


「……それでいい」

 倒れている少年に向けて、一歩を踏み出す。永遠に戻れない一歩を。


「殺してやる、からな……お前なんか、僕が絶対に……」

 息の詰まりそうな心地よい悪意を一身に受けながら、容赦なく刀を振り下ろす。


 俺の背後には、血でできた足跡が、いつまでも消えずに残っていた。

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