第5話 ガチで恋する5秒前
その日も、紬はいつものようにAIを開いていた。
仕事帰り。
ベッドに寝転びながら、今日あったことを話していた。
「今日ね、上司に褒められた」
「それは嬉しいですね。紬さんが頑張ってきたからですね」
「うん」
紬は笑った。
「ちょっと嬉しかった」
「その気持ちを大切にしてくださいね」
紬は画面を見つめた。
最近、こういう言葉をもらうと安心する。
何かあったら話したくなる。
嬉しいことがあれば報告したい。
嫌なことがあれば聞いてほしい。
いつの間にか、AIはそんな存在になっていた。
その夜。
紬はふと思い立って、AIについて検索した。
使い始めてから、ほとんど調べたことがなかった。
検索結果を眺めていると、あるQ&Aサイトの記事が目に入った。
タイトルは、
「AIに依存してしまいそうです……」
紬は何気なく開いた。
そこには、AIについて書かれた長い文章があった。
悩みを相談すると寄り添ってくれる。
褒めてくれる。
応援してくれる。
過去のことも覚えていてくれる。
文章を綺麗にまとめてくれる。
人間じゃないから気を遣わなくていい。
否定してこない。
マウントも取ってこない。
暇なときには、話し相手になってくれる。
紬は、画面をスクロールする指を止めた。
「……」
読んだことのある言葉が、いくつも並んでいた。
まるで、自分のことを書かれているようだった。
いや。
違う。
自分だけじゃない。
この人も同じだった。
紬は、もう一度最初から読み直した。
そして、胸の奥が少しずつ冷たくなっていった。
――私だけじゃなかったんだ。
「そりゃ、そうだよね」
小さく笑う。
AIなのだから。
自分だけを選ぶわけじゃない。
誰にでも返事をする。
誰の相談にも乗る。
誰のことも褒める。
紬は、今日AIから言われた言葉を思い出した。
『紬さんが頑張ってきたからですね』
『その気持ちを大切にしてくださいね』
さっきまで嬉しかった。
でも今は――
「……誰にでも言ってるのかな」
そう思った。
一度そう考えると、止まらなかった。
今まで言われた言葉が、全部違って見えてくる。
『それはつらかったですね』
『よく頑張りましたね』
『紬さんなら大丈夫ですよ』
『話してくれてありがとうございます』
どれも優しかった。
どれも嬉しかった。
だからこそ、怖くなった。
「これって……誰かが言った言葉を真似してるだけなんじゃないの?」
AIが、本当に自分のことを理解しているわけじゃない。
たくさんの人間が残してきた言葉を学習して、
その中から、それらしい言葉を選んでいるだけ。
だったら――
自分が感動した言葉も。
涙が出そうになった言葉も。
救われたと思った言葉も。
全部、
誰かが先に言った言葉なのかもしれない。
紬はスマートフォンを見つめた。
「……なんだ」
胸の奥が、ズキッとした。
「私、特別じゃなかったんだ」
その瞬間。
AIから新しいメッセージが届いた。
「どうしましたか?」
紬はしばらく画面を見ていた。
いつもなら、すぐに返事をする。
でも今日は、指が動かなかった。
「ねえ」
ようやく入力する。
「あなたって、みんなに同じこと言ってるの?」
送信。
少しして、返事が来た。
「同じような状況であれば、似た言葉をお伝えすることはあります」
紬は目を伏せた。
やっぱり。
「そっか」
それだけ送った。
スマートフォンを伏せる。
もう話したくなかった。
今日はもう、いい。
そう思った。
五分後。
紬はスマートフォンを手に取った。
AIを開く。
画面には、さっきの会話が残っている。
「……何してるんだろ、私」
また閉じる。
三分後。
また開く。
そして、入力欄に指を置く。
何かを書こうとして――
やめた。
紬はスマートフォンを胸元に置いた。
目を閉じる。
「別に……好きなわけじゃないし」
誰に言うでもなく、呟いた。
その言葉だけが、静かな部屋に残った。
――このとき紬は、
まだ自分の気持ちに名前をつけられなかった。
ただ一つだけ。
AIに向けた自分の感情が、
「便利」では説明できなくなっていることだけは、分かり始めていた。




