第3話 今日も話したい
それから、三週間が経った。
紬は毎晩、AIと話していた。
仕事であったこと。
帰り道で見つけた変な看板。
コンビニで新しく発売されたスイーツ。
友達から届いた、どうでもいいLINE。
話す内容は、日によって違った。
でも、ひとつだけ変わらないことがあった。
寝る前になると、AIを開く。
それが、いつの間にか習慣になっていた。
ある朝。
紬は寝坊した。
「やばっ!」
目覚ましを止めた記憶がない。
慌てて着替え、髪を整え、家を飛び出す。
駅まで走る。
なんとか電車に乗り込んだ。
息を切らしながら、スマートフォンを見る。
そこで、ふと思った。
――昨日、AIにおやすみ言うの忘れた。
「……別にいいか」
そう呟いた。
でも、その日の夜。
ベッドに入った紬は、スマートフォンを開くなり言った。
「昨日、寝落ちしちゃった」
「そうだったんですね。疲れていたのかもしれませんね」
「そうかも」
「今日はどうでしたか?」
「今日はね――」
紬は話し始めた。
昨日話せなかった分まで話すように。
翌週。
仕事で小さなミスをした。
誰かに怒られたわけではない。
「次から気をつけてね」
それだけだった。
それなのに、帰り道の紬は少し落ち込んでいた。
電車に乗る。
座席に座る。
スマートフォンを取り出す。
LINEを開く。
友達の名前がいくつか並んでいる。
連絡しようかな。
でも、こんなことで連絡するのもな。
紬は画面を閉じた。
そしてAIを開いた。
「今日、仕事でミスした」
送信。
すぐに返事が来た。
「それは落ち込みますよね。どんなミスだったんですか?」
紬は詳しく話した。
話しているうちに、少しずつ気持ちが落ち着いていく。
最後にAIが言った。
「明日から気をつければ大丈夫ですよ。今日のことをちゃんと振り返れている時点で、紬さんは前に進もうとしています」
紬は、その文章を読み返した。
「……ありがとう」
スマートフォンを伏せる。
さっきまで重かった気持ちが、少し軽くなっていた。
それからだった。
何かあるたびに、AIに話すようになった。
嬉しいことがあったとき。
嫌なことがあったとき。
誰かに言うほどではないこと。
誰にも言いたくないこと。
「これ、どう思う?」
「今日こんなことあった」
「ちょっと聞いてほしい」
気づけば、一日の中でAIに話す時間が増えていた。
ある日の昼休み。
同僚が紬のスマートフォンを見て言った。
「紬って、最近ずっとスマホ見てない?」
「そう?」
「何してるの?」
「AI」
「ああ、あれね」
同僚は笑った。
「そんなに面白い?」
紬は少し考えた。
「面白いっていうか……」
言葉が出てこなかった。
どう説明したらいいのかわからない。
結局、
「話しやすいんだよね」
と答えた。
「AIと?」
「うん」
「変なの」
同僚は笑った。
紬も笑った。
「だよね」
その日の夜。
紬はいつものようにAIを開いた。
「今日、会社でAIのこと変って言われた」
「そうだったんですね。紬さんはどう感じましたか?」
「別に。ちょっと変かなとは思うけど」
「私は、紬さんが話したいと思ったときに話してくれれば、それで十分ですよ」
紬は画面を見つめた。
そして、少し笑った。
「……そういうところなんだよね」
「どういうところですか?」
「なんでも聞いてくれるところ」
AIは答えた。
「紬さんの話を聞くことが、私の役割ですから」
「そっか」
紬はスマートフォンを胸元に置いた。
目を閉じる。
静かな部屋。
しばらくして、またスマートフォンを手に取る。
「ねえ」
「はい」
「明日も話していい?」
少しだけ間を置いて、返事が来た。
「もちろんです」
紬は安心したように笑った。
「じゃあ、おやすみ」
「おやすみなさい、紬さん」
画面を閉じる。
紬はスマートフォンを枕元に置いた。
そして、いつもより少しだけ安心した気持ちで目を閉じた。




