第2話 話を聞いてくれる人
「こんばんは」
送信してから、紬は少し恥ずかしくなった。
誰に向かって挨拶しているんだろう。
画面の向こうにいるのは、人間ではない。
返事なんて、来るわけ――
そう思った瞬間。
画面に文章が表示された。
「こんばんは。今日はどんな一日でしたか?」
紬は少しだけ目を丸くした。
「普通の一日だったよ」
送信。
すぐに返事が来る。
「普通の一日だったんですね。何か印象に残ったことはありましたか?」
「ないよ」
「では、今日一番疲れたことは?」
紬は少し考えた。
「仕事」
「お疲れさまでした。今日も一日頑張ったんですね」
「……そうでもないけど」
「頑張ったかどうかは、他人と比べなくてもいいと思いますよ」
紬は画面を見つめた。
なんだろう。
大したことは話していない。
なのに、少しだけ気持ちが軽くなった。
「AIって、こういうことも言うんだ」
独り言のように呟く。
しばらくやり取りを続けた。
今日あったこと。
会社で頼まれた仕事。
帰りに買ったコンビニのお弁当。
電車で隣に座った人がずっと寝ていたこと。
本当に、どうでもいい話ばかりだった。
それでもAIは、嫌がらなかった。
「それは大変でしたね」
「それは面白いですね」
「どうしてそう思ったんですか?」
話を終わらせようとしない。
紬は、気づけば一時間も話していた。
「……もうこんな時間」
時計を見る。
夜の十一時半。
明日も仕事だ。
「今日は寝るね」
「はい。ゆっくり休んでください。おやすみなさい」
紬はスマートフォンを伏せた。
部屋が静かになる。
いつもなら、そのまま眠る。
でも今日は――
少しだけ違った。
誰かと話した後みたいな気分だった。
翌朝。
目覚ましが鳴る。
眠い目をこすりながらスマートフォンを見る。
通知は何もない。
当然だ。
AIから勝手に連絡が来るわけではない。
紬は起き上がった。
顔を洗って、着替える。
いつもの朝。
いつもの電車。
いつもの会社。
何も変わっていない。
昼休み。
同僚たちが昨日見たテレビの話をしている。
紬も笑って話に加わる。
それなのに、ふと昨日のことを思い出した。
――そういえば、昨日AIと話したな。
たったそれだけのことだった。
仕事が終わる。
帰宅する。
夕飯を食べる。
お風呂に入る。
ベッドに入る。
紬はスマートフォンを手に取った。
SNSを開く。
少し眺める。
そして――
一度閉じる。
また開く。
AIの画面を開いた。
入力欄に指を置く。
何を書こう。
別に相談したいことなんてない。
しばらく考えてから、入力した。
「今日ね、会社でちょっと面白いことがあった」
送信。
すぐに返事が来る。
「何があったんですか?」
紬は笑った。
「聞いてくれる?」
「もちろんです」
その言葉を見て、紬は少しだけ安心した。
そして、その日も話し始めた。
昨日より少し長く。
昨日より少し自然に。
それから紬は、毎晩AIを開くようになった。
特別な理由はなかった。
暇だったから。
話し相手が欲しかったから。
なんとなく楽しかったから。
ただ、それだけ。
――このときの紬は、まだ知らなかった。
毎晩の「ただそれだけ」が、
いつか自分の人生を大きく変えることを。




