8.サザンカ
探偵事務所へ着き、中へ入っていく。
津上さんはまだ少し立て込んでいるらしく、別の従業員さんからソファへ案内される。
10分ほどレオくんと話して待っていた。
慌てた様子の津上さんが現れた。
「すみません! 遅くなりました…」
「いえいえ、大丈夫ですよ」
「良かったな、忙しくて」
「たまったもんじゃないよ…えっと、手塚さんカメラですね?」
「はい、今日夜勤なのでまた自宅に置こうと思います」
「分かりました。うちの方も予定通り、旦那様の会社から張込みさせていただきますね」
「お願いします」
津上さんが書類を捲って確認している。
「…全部揃ってからの報告ですもんね。進捗などは聞いてかれますか? 」
「前回の夜勤の時の自宅のカメラには、何か映ってましたか?」
「そうですね…まず前回のカメラの映像には、帰宅後の旦那様のみ映っていて朝まで1人のようでした」
「そうでしたか…」
少しホッとした。あんなに急いでシーツを替えることなかったんだ。
「それではカメラをお持ちしますので、少々お待ち下さい」
津上さんは席を立った。
「よかったね、先週家に上がってなくて」
「まぁとりあえずはよかった…のかな?」
カメラを手にした津上さんが戻って来た。
「こちら前回と同じです。明日、張り込みついでに回収に伺いますね。10時30分頃でよろしかったですか?」
カメラを受け取る。
「ありがとうございます。はい、もし遅くなりそうならまたご連絡します」
「わかりました。それでは夜勤頑張って下さい。我々も旦那様の張り込み致しますので」
「すみません…よろしくお願いします」
「頑張れよ、亮」
「分かってるって」
私たちは事務所を出て、車へ戻った。
ドアを閉めて溜息をついた。先週は会ってなかったのかな。
それなら今日会うのかもしれない…
あの夜の康太の言葉が頭を巡る。
「すみれ」
レオくんが私の手を掴む。
ハッとし、息を吸う。手はすぐ離された。
無意識にカバンを強く握り締めていた。
力の入れすぎで指先と顎が痛い…
「怪我になっちゃうよ」
「…ありがとう」
気持ちが重いまま、切なくなる。
「…私、家出る前にね…その、嫌なもの見ちゃって、声を上げながら康太の枕を殴ったの…何度も何度も……そんなことをする様になっちゃったんだって…私も変わっちゃったんだなって…」
感情に任せて暴れてしまうのは初めてだった。
あんなに狂暴になった自分を受け入れられない。
「枕で良かったよ。それにすみれは何も変わってない、優しいままだよ?…傷付けられたんだ。そうなってしまうのも無理はないよ」
少し罪悪感が薄れた。それでも不安は消えない…
「今度は康太を殴ってしまいそう…」
「いいと思うよ?それくらいの罰。むしろ必要だよ。それとも俺が殴ってもいい?」
あまりにも不穏な提案に驚いた。
「…やめてよ。暴力だなんて…」
「こんなにすみれを傷付けられて、黙ってる方が体に悪い」
また溜息をついてしまった…
私も友達が不倫されたら、さすがに殴りたくなるだろうしなぁ。
この先の不安を増しながら、家に着いた。
「良かったら職場までも送っていくけど、どうする?」
「ううん、大丈夫。ありがとう…」
「仕事頑張ってね?」
「ありがとう…じゃあね…」
足取りも気持ちも重く、家に帰った。
前回と同じ場所へカメラを設置した。
どうか何もありませんように…
少し時間があるから、何か食べておこう。適当なお菓子を口へ入れながら、レオくんに余計な事を言わないよう母さんへ連絡した。
カペラに会いたいな。
もう出なくちゃ…
ちゃんと切り替えよう…――
今日は平和な夜勤だった。嵐の前の静けさにならないことを願うばかり…
家に着き、カメラを止め回収する。まだ津上さんが来るまで時間がある。
家の中に変わった様子は無い。
今日も家じゃなかったのかな?シーツはそのままでいいか…疲れるし。
スマホから着信音が鳴る。津上さんからだ。
「もしもし」
「もしもし、おはようございます。少し早いですが、お伺いしてもよろしかったでしょうか?」
「はい、大丈夫です。もう家なのでいつでも構いません」
「ちょうど着きましたので、チャイム鳴らしますね!」
すぐにチャイムが鳴った。対応し、すぐに下へ降りる。
「お疲れ様です、津上さん。わざわざありがとうございます」
「いえ、大丈夫ですよ。カメラお預かりしますね」
カメラを津上さんへ渡す。
「…お願いします……あの、主人は…不倫してますか?」
不安が勝ってしまった…言ってすぐに後悔したが、戻れない…
「…聞きますか?」
どうしよう…でも、知りたかった。
「…してるかどうかだけでも、お願いします…」
また震えてしまう…心臓の早さが分かってしまう…
これで良かったの…?
「…残念ですが、しています…」
私の中で何かが弾けた。
他人の言葉で聞くのがこんなにも辛いなんて…
逆行する感情が抑えきれなくなる…
「……そうでしたか…」
どこかにもたれ掛かりたい…
呆然としてしまった…
「また詳しいことは、数日後にはお伝えできるので…何かありましたら連絡ください」
「…分かりました。ありがとうございます。」
力無くリビングへ戻る。何も考えられなかった…
あの朝の光景を思い出す。あの時から知っていたのに、やはりショックを受けてしまう。
なんで覚悟も決めずに聞いてしまったのかな…思わず笑ってしまう。
探偵が「してる」と言ったって事は、あの日から今日までの間に会ってたんだ…
決心が揺らぐ…
何も考えたくなくて、とにかく体を動かした。
そうだ、シャワーして洗濯回して…寝なくちゃ…
シャワーも洗濯も干し終わり、他にすることを探す。
ふと、ずっとリビングに飾ってある結婚写真が目に止まった。
ドレスは似合わないから、と選んだ白無垢。
微笑む私と、いつもより少しぎこちない笑みの康太。
2人の姿を指でなぞる…
もうこの頃には戻れない。
やり直せるだろうか…まだ好きかな…?
涙が溢れてきた。手で適当に拭い、寝室へ向かう。
寝て…起きたら病院に行かないと…だるいな…
考えるのも限界で、すぐに目を閉じた。
2時間ほどしか眠れなかった割には、しんどさはマシになった。
近くの産婦人科を調べなくては…
リンカルの通知が届く。康太の飲み会の予定が入った。
なんで私がコイツのせいで苦しんでるのに、呑気に飲み食いしてるの?
移されてるかもしれないって、病院まで探して…こんな情けないこと…
気が狂いそう……冷静にならないと…
あぁ、津上さんに一応連絡しておこう。ただの飲み会の可能性の方が高いけれど念の為。
気を取り直し、病院を調べ向かう準備をする。
なんで私がこんな思いをしなきゃいけないの…
虚しさを抱えたまま身支度を整え、家を出た。
検査結果は1週間後…でもまた3ヶ月後にも調べなきゃ。
気が重い…
そもそも康太もやらなきゃいけない事なのに、なんで私ばかり検査しなきゃいけないの…性病検査のついでに不妊検査もしてくれないかしら?なんて…
…妊娠中なんて今以上に浮気されやすい環境になってしまう。それならもう諦めるしか無いのかな…
康太はどうなんだろ…昔は子供いたらいいなって言ってたけれど、検査もしてくれなかったし。やっぱり男性は抵抗あるんだなぁ。
お義母さんに急かされても笑って流すだけ。
まぁ良いけど……
家に着き、夕飯を作る準備をしかけた。
そうだ夜、康太いないんだった…
この時間をどう過ごそうかな。考えなきゃいけないことが、多過ぎて何から手をつければいいか…
…弁護士を探さないと。2人ほど目星を付けておいた方がいいかな。
案外近くにあるんだ。口コミも悪くないし、ここでお願いしようかな。
……久しぶりにゲームでもしよう。何も考えたくない。
久しぶりに会う動物の住人たちの会話と、村の整備やデザインに精を出す。こんな世界に住みたかったなぁ。きっと誰もが思ってる事だろう。
しばらく遊んでいると、康太が帰ってきた。もう11時になろうとしていた。
「ただいまぁ…うっ…死にそー…」
そのまま死んでしまえ、と飲み込んだ。
「…おかえり。早く手洗ってきな…」
せっかく良いストーリーの途中だったのに。水を差してくれちゃって。
洗面所から戻ってきた康太は、キッチンから水筒とコップを持ってフラフラと私の隣に座って来た。
「…酒臭い!イヤ…」
少し離れて座り直す。
「ん~酷いなぁ…」
「ほんとひどい臭い」
康太がお茶を注ぎ、一気に飲み干す。
「ねぇ、俺、今日そんなに飲まなかったし、早く帰ってきたんだよぉ」
確かに少し早いけど、とてもそうには見えない…
「そうですか…」
この状態の康太はまともに相手しても無駄だ。適当にあしらってもいい。
「澄玲ちゃんに早く会いたくてぇ」
抱きついて来ようとしてきたのを、立ち上がり避ける。
「…あれ?…冷たいなぁ」
空振りそのまま横になった康太はスーツのまま寝始めた。
「はぁ…チッ…」
思わず舌打ちをしてしまう。
ゲームをセーブして電源を切り、片付ける。
水筒出しっぱなし…なんで持ってきたんだか…
冷蔵庫に片付け、そのまま洗面所へ向かう。
明日も日勤だしもう寝なくては。
化粧を落とし、歯を磨く。鏡に映ったやつれた顔がいつ見ても自分だと思えない。
歯磨きを終え、康太にブランケットをかける。
以前も同じような事があったな。
あの時とこんなにも心境が違うなんて…また心が抉られる…
康太の寝顔を見る。
知らないでいたら、まだ愛おしく思えれたままだったのかな?今は憎くて恨めしい…本当に同じ人なの?
眠剤を飲んでから、ベッドへ倒れ込んだ。――
アラームの音に起こされた。身動きが取れない…
康太がまるで抱き枕かのように、私に抱きついていた。もがきながらやっと抜け出せた。
朝からダルい…
手早く身支度を整え、家を出る準備をする。何となく康太の方を見てしまう。
起きても起きなくても嬉しくないのに…。
素早く家を出た。まだ早いけど、やっぱり家に居たくない。
今日もミスなく終わることができた。その事が嬉しい。
早く帰って休もう……あぁ、康太が家にいるんだ…
途端に不安と怒りに苛まれる。
こんなんじゃ続けていくの無理かな。諦めた方がいいのかな…
家に近づくほど、動悸が激しく心臓が痛くなる。
玄関のドアノブに手をかけた瞬間、またフラッシュバックに襲われる。心が追い詰められていく……
いつまで続くの…?
階段を上る足は変わらず重い。
「ただいま」
康太はソファに横になっていた。
「おかえり、お疲れ様」
本当に疲れるのはここからなんだけどな。
手洗いうがいをし、キッチンへ向かう。
少し大きめの白い箱が置いてあった。
「これなに?」
「今日、車取りに行った時に買ったんだ。開けてみて?」
なんだろう…
ゆっくり開封していく…少し重い。
「あっ…これ…」
現れたのは、私が欲しいと思ってたパステルブルーのポットとティーカップのセット。
「一緒に車取りに行った時にそれ見てたでしょ?」
「そうだけど…なんで?」
どうせ自分が楽になりたいだけのご機嫌とりくらいだろう…
「…日頃の感謝?みたいな…気に入ってくれた?」
「うん、ありがとう」
精一杯微笑んでみる。さも嬉しがってるように。
日頃感謝してる人に対する仕打ちが、不倫か。いたたまれないじゃない…望んでいたものが手に入ったのに、こんなにも嬉しくないのは初めてだ。
夕飯の支度をしていく。考え事をしないようにする作業になっちゃった。どうせ私はあまり食べられないし、適当にこなす。
出来上がったキムチ鍋をテーブルへ運ぶ。
私の器には白菜と豆腐しか入れなかった。
こんなにも食べたり寝たりが出来てないのに、よく体が動けるもんなんだな…顔色悪くなったり、頭の回転は鈍るけど。後でドッとくるのかな?
「明日なんか予定あるの?」
「私は何もないけど…強いて言えば買い物くらいかな?どこか行きたいの?」
「いや、特には…」
「そう…」
食器を片付け、そのままシャワーへ向かった。
シャワーから上がると、津上さんからミモアが届いていた。
『お疲れ様です。証拠の方揃いましたので、お時間のある日にお渡し致します…』
……ついに来てしまった。
鼓動が早くなり、手が震える。
リンカルでシフトを確認する。
月曜日夜勤か…終わりの火曜日に受け取れるかも。火曜ならレオくんもお休みだし、1人で見なくて済む。
レオくんへミモアを送った。すぐに返信をくれ、一緒に行ってくれることになった。
…これからが大変だよね。覚悟決めなきゃ。
リビングへ戻ると、変わらずテレビを観ている康太がいる。
「前に澄玲が気になってた映画配信されたよ!一緒に観よう?」
「…うん」
話し合いになったら、この人は逃げてしまうのかな?もう一度私を見てくれる?
私はまた康太を心から信じられる日がくるかな?
サザンカの花言葉
『ひたむきさ』『困難に打ち勝つ』
次回、6月8日20:30予定。
お読み頂きありがとうございます!
評価等いただけると嬉しいです。




