25.ネコヤナギ
やっぱり2時間の通勤は思った以上に堪えた…
2週間前にあの通勤も終わったのに、まだ体に疲れが残ってる。
しばらくしたら、どこか温泉とか行くのもいいかも。
「澄玲!1週間目だからって油断しない!早くしなさい!」
母さんの甲高い声が、朝の家中に響く。
……すぐに仕事入れなくても良かったなぁ。
しんどい。
でも、遅刻して舐められるのは嫌だ。
毛布に顔を埋める。
「もうっ!」
家族経営に自分で選んだんだ。
すぐに顔を上げ、起き上がる。
ちゃんとしないと。
顔を洗って、リビングへ行く。
「しっかりしなさい!今日は予定もあるんだから!」
「母さん!…」
母さんからご飯茶碗を受け取りながら、小声で止めたのも意味はなかった。
「澄玲、なにかあるのか?」
「ほら…この間言った、お礼を今日するの。それだけ!10時前とかには帰ってくるから」
離婚して心配させてしまってるのに、レオくんとはいえ男性と会うなんて、母さんにも言えない。
しかも家に行くなんて。
それに前会った時に、変な気を起こしかけたことが勝手に気まずくなって、どんな顔で会うべきかまだ分からないし…
「車出そうか?お父さんからもお礼がしたい」
「そんな、大丈夫だよ…過保護だって笑われちゃう」
「澄玲が頼るなんて珍しいじゃないか」
「…たまたまだよ。それに仕事じゃ、いつも誰かに頼ってるし」
そう、たまたま…
自分に言い聞かせておかなきゃ、またおかしくなりそう。
少し急ぎ目にご飯を食べ進めた。
仕事を終え、すぐにシャワーを浴びる。
少し残業してしまった…急がなきゃ…!
なんだかいつも通りでいれる自信がない。
あくまでただの友人…幼馴染…
レオくんだって、そういう関係だから優しいだけ。
私だって逆の立場なら、何か手助けするもの。
髪をドライヤーで乾かしていく。
気が付いたら胸元まで伸びちゃったな。
前髪も邪魔くさい…
近いうちに切りに行こう。
時計を気にしながら乾かす。
もう大体乾かせただろう…
急いで部屋に行って、身支度を整える。
髪をセットする時間が無いまま、ヘアゴムを手首に着け、家を飛び出した。
待ち合わせのお花屋さんまで、汗をかかない程度の駆け足で向かう。
だんだんお花屋さんが近づいてきた。
少し上がった息を落ち着かせなきゃ…
気持ち早めに足を進める。
シャッターの前にレオくんと…女性が見えた。
笑顔で話している…
無意識に足が止まってしまった。
あの時と似たような、胸にチクリとした痛みが刺さった。
こんな思いしちゃいけない……
目を閉じ、少し冷たい夜風を吸い込む。
手の甲で顔を押さえ、口角を上げるのを意識させて、ゆっくり歩いていく。
レオくんが気付き、手を振ってくれる。
なるべく笑顔で振り返した。
女性は私をチラッと見たあと、レオくんと少し話をして去っていった。
「おまたせ…もうちょっと遅いほうがよかった?」
我ながら可愛くない物言いだな…
「そんなことないよ。ただのお客さんだし、それよりも久しぶりだね!」
少しホッとした。
「そうだね!2ヶ月経たないくらい?レオくん、元気だった?」
「まあまあかな?すみれは元気そうでよかったよ」
「おかげさまで、調子戻せたよ」
「じゃあ、買い出し行こうか」
「うん」
レオくんの後に続き、駐車場へ向かう。
良かった…
あんまり意識せずに話せる。
やっぱりちょっとした気の迷いだった。
久しぶりにこの車の助手席に座るなぁ。
なんだかちょっと懐かしい感じがする。
「どこのスーパーがいいとかある?」
「どこでも大丈夫だよ」
「じゃあ近くのにするね」
「うん…本当に生姜焼きでいいの?」
改めてお礼という気がしないリクエストを聞き返す。
簡単なのはありがたいけど。
「いいよ!俺、昔から好きだもん」
「好き?…あっ、生姜焼きが?珍しいね!」
バカみたいに反応しちゃった……
誤魔化せたよね?
チラッとレオくんを見る。
「えぇ〜そうかな?普通だと思うけど」
なんとか誤魔化せた…
「なんかもっと、こう…ハンバーグとか、カレーとかさ?」
「あ〜!そっちもよかったなぁ」
「…なんでもいいんじゃん」
そんな会話をしながらスーパーに着いた。
買い物を終え、車に戻り、ふと気になった。
というか、なんで今まで気付かなかったんだろう。
「ねぇ…康太ってまだあのアパートにいる?」
「見ないから分からないな…でも、車はあった気がする…」
「んー…」
会ったらどうしよう…
家の方が良かったかな…いや、ゆっくり出来るわけないもんなぁ。
「まぁ、隠れて家に入っちゃえば大丈夫だよ」
「そんな笑いながら言わないでよ〜他人事だからって〜」
イタズラっ子みたいに笑うレオくんに呆れてしまう。
見慣れた道が見えてきた。
どうか会いませんように……
車を停め、レオくんが先に降り、周りを見に行ってくれる。
ドアを開けてくれた。
「たぶん大丈夫だよ」
「ありがと」
小声で話してしまう。
ゆっくり周りを見ながら、部屋まで向かって行く。
レオくんが玄関のドアを開けるやいなや、2人して素早く入った。
思わず顔を見合って笑ってしまう。
「まるで悪いことしてるみたいね」
「ホントだよ!…まぁ、ちょっとは悪いとは思うけどね」
「なにが?」
「ん?なんでもない…早く行こう?お腹すいちゃったよ。すみれのご飯、楽しみ」
「そんなに期待しないで…お邪魔します」
靴を脱ぎ、キッチンへ向かう。
レオくんに炊飯と、調味料や道具も出しておいてもらった。
「作ってる間、暇でしょ?シャワーとかしちゃっててもいいよ」
袋から買った食材たちを出していく。
大きい溜息が聞こえた。
レオくんを見上げると、固い表情で少し眉間に皺を寄せている。
「あ、ごめん!ここに置いちゃダメだった?すぐに――」
手首を掴まれた。
「それはいいんだけど…もうちょっと警戒心持って?」
「え?」
まつ毛の影を落とした琥珀色の瞳が近付いてきた…
思わず息を飲む。
心臓の音がレオくんにも聞こえてしまいそう。
「はぁ…無防備なんだから…」
鼻先が触れそうなほど近かった。
レオくんの手が頭を撫で、少し微笑んでから顔が離れていく。
やっと息ができた…
心臓はまだバクバクしておさまらない。
「じゃあ、お言葉に甘えてシャワーしてくるね」
「…わかった」
何とか声を絞り出す。
そのままレオくんは洗面所へ消えていった。
今のは……なに?…警戒心って?
鼓動を抑えるように、胸に手を置く。
もう料理どころでは無い。
一体、なにが…どうして?……
胸は高鳴ったまま、何とか冷静になる事に集中する。
……そうよ…あの顔が近付いてきちゃ、誰だってこうなってしまうに違いない。
あんなに近付いてきたのも、きっとからかってたんだろう。
それを私は真に受けちゃって…
もう…恥ずかしい…
熱くなった頬を冷ますように押さえた。
しっかりしなきゃ。
シャワーの音が聞こえてくる。
早く作らないと。
スマホにレシピを映し出す。
ヘアゴムで髪を結び、調理に移った。
自分の失言に気が付いたのは、料理の完成間際だった。
ドライヤーの音を聞きながら、菜箸を動かす。
ちょうどいいタイミングで出来上がりそう。
ご飯も炊き上がり、混ぜていく。
「ちょっと通るよー」
声の方向に向いてしまった。
「あっ…」
腰にバスタオルを巻いただけのレオくんがこっちにきた。
急いで顔を逸らす。
肩に手を置かれ、見えなくても顔が近付くのを感じる。
ご飯の蒸気も相まって、顔が熱い…
「こうなると思わなかった?…まぁ、着替えるだけだけどね、俺は」
からかうように言われ、自分の想像力の無さを思い知った。
そのままレオくんは寝室へ向かっていく。
たしかに迂闊だった。
信頼がゆえに、割ととんでもない事を言ってしまったな。
これがレオくんじゃなかったら…
いくらなんでも気を付けなくちゃいけないな。
手早く手を動かし、フライパンに戻る。
皿に盛り付けていると、着替えたレオくんが戻ってきた。
「めっちゃ美味そう!サラダ持っていくね!」
「…うん、ありがと」
さっきの火照りが冷めないまま、平常を装う。
いつもおでこを見せてるヘアスタイルなのに、風呂上がりで前髪が下ろしてあるのが新鮮だった。
2人でテーブルへ料理を運んでいく。
ソファに並んで座る。
よかった…横だからあまり顔を見ないで済む。
「お礼の生姜焼きです。召し上がってください」
「それじゃあ、いただきます!」
レオくんが大きいめの一口を口へ運んだ。
味見した時は大丈夫だったけど…
「…どうかな?」
「すごく美味しい!すみれ天才だよ!」
「褒めすぎ。味、濃くない?」
「全然!毎日食べたいよ!」
大袈裟に喜んでくれるレオくんに少し戸惑いながら、私も食べ進める。
本当にこれでいいのかな?
もっとお世話になったと思うんだけどな……
夕食を食べ終わり、食器をシンクへ下げる。
「今日は私が洗うからね?」
「はいはい。俺は拭いていくよ」
宥めるように言う声が嬉しそうに聞こえ、少し昔を思い出す。
洗っている最中に、髪が垂れてきてしまった。
腕で何とかしようとするが、余計酷くなってしまった。
「頼ればいいのに…」
レオくんが垂れた髪を耳にかけてくれた。
一瞬、息が止まる。
「…あ、ありがとう」
顔が熱い…
バレてないといいな…
洗い物を終え、買っておいた少し高いデザートのプリンを2人で食べた。
「ねぇ、レオくん。本当にこんなんでいいの?大がかりなお礼もできないけど…」
しつこいかもしれないけど、さすがに不安になる。
「もちろん!…なにか不満?」
「不満というか…もっとお世話になったから、これだけじゃ割に合わない気がして…」
「んー、いれたらそれでいいんだけどなぁ」
「えっ?」
思わず固まってしまう。
今のはどういう?
……今日は私もレオくんも、おかしい日なの?
こんな状態の時に、そんな言葉を言わないで欲しい。
余計意識してしまいそう。
「そうだなぁ……あっ!一緒に旅行に行こうよ!」
「…旅行?…私と?」
「うん!もちろん割り勘でさ…どう?」
どう?、と言われても…
部屋別々としても、男女で旅行はアリなの?
あぁ、そんな輝くような顔で見ないで欲しい…
勘違いが加速しそう。
旅行くらいならいいのかなぁ。
「…どこ行きたいの?」
「んー、俺暑いのダメなんだよね。でも、これから暑くなるしなぁ」
「私も暑いのは苦手だけど…日帰り?」
「えー、そんなのつまんないじゃん?2泊3日とかさ」
あ、結構長い…
そんな長くいていいのだろうか…
「東北の方とか?」
「あ、北海道行きたい!」
「…あぁ、いいね」
康太と行ったのは冬の時期だ…
それにあの時の約束はもう無い。
思い出を塗り替える意味でもいいかもしれないな。
「じゃあ車借りてさ、色んな所行こうよ?」
「…はぁ、いいよ。どこ行こうか?広いから計画的にしないと」
そこから旅行について軽く話し合った。
すぐに時計が22時になろうとしていた。
「…あ、いけない。もう帰らなくちゃ……また話し合おうね?」
「そうだね!いつでも会えるし…あ、送っていくよ!」
「そんな!大丈夫だよ…お礼で来たんだから…それこそまたお世話になっちゃう」
帰る支度を進めていく。
「夜道を1人で歩かせる訳にはいかないよ」
「そんなに遅くないし大丈夫!」
私の顔を覗き込むように、レオくんの顔が近付く。
「頼ってよ?」
照明で輝く宝石のような瞳に飲まれてしまいそう…
「…お願いしよっかな」
「それじゃあ、行こうか」
優しく微笑んだ顔に、また心臓が跳ね上がってしまった。
なんだか、手のひらの上で転がされてるみたい。
ゆっくりとレオくんの家を出た。
家の明かりがまだついている。
この時間に起きてるのは母さんだろう。
「今日はありがとう。生姜焼き美味しかったよ」
「あれくらいなら、いつだって作ってあげるよ」
「はぁ…またそういう事を言う」
口角は上がっているのに、眉間に皺を寄せて遠くを見ている。
「…なにが?」
「なんでもないよ」
表情がまた柔らかくなった。
やっぱり、今日は2人ともおかしいんだ。
「そう?送り迎えありがとうね。助かったよ」
「ううん。それじゃ、また」
「うん、またね!気を付けて帰ってね」
車を降り、見えなくなるまで手を振った。
家に入り、すぐに化粧を落とした。
また流されちゃったな…
それに、離婚したばかりなのに、知ってる人にこんな思い抱いちゃうなんて…
溜息が出ちゃう。
リビングへ行くと、母さんがいた。
「あら、帰ってきてたの。お母さんたちもう寝るからね」
「分かってるよ。おやすみ」
「おやすみー」
寝室へ消えていった。
冷蔵庫からお茶を取り出し、コップに少し注ぐ。
まだ火照ってるみたい…
一気にお茶を飲み、2階へ行く。
ベッドへ横になり、今日を振り返る。
レオくんに振り回されてしまったなぁ…
ふと、タオル姿のレオくんを思い出してしまった。
前にジムで鍛えてるって聞いてたけど、あそこまで鍛えてるとは思ってなかったな。
あぁ、ダメだ……忘れないと!
こんなんでどうやって旅行行くのよ…
今夜は素直に寝れそうにないな……――
ネコヤナギの花言葉
『親切』『思いのまま』『努力が報われる』
次回、6月25日20:30予定。
残りあと数話になってきました。
お読み頂きありがとうございます!
評価等いただけると嬉しいです。




