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14.ヤブラン

 朝になり、目元を腫らした2人はそれぞれの行動をした。

私はいつも通りの出勤の準備を。康太は出勤と実家に帰る準備。

淡々と身支度を整えていく。もう涙も出なかった。

「ごめん、澄玲。この間買ったシャンプーどこ?」

「あー、取ってくるからちょっと待ってて」

「わかった」

化粧を終え、康太のシャンプーの詰め替えを持っていく。

「シャンプーだけだよね?」

「ありがと。うん、これだけ」

「私もう出るからね」

「…あっ…わかった…気を付けてね」

「いってきます…」

「…行ってらっしゃい」

いつも通りの時間、家を出た。


 寂しくない訳じゃない。でも、康太との関係を割り切って考えられた。

ただ負ったダメージは、あまりにも大きく心に響いている。

色んなことが頭を巡って止まらない。

昨日のミスの分を巻き返したいな…



 明日休みだからって、残業を請負過ぎちゃったかな…

あまり寝て無い体に少し堪えてしまった。

でも、ミスはしなくて良かった…


 家に着くと、現実が襲ってくる。

不倫されて、相手に子供ができて離婚する女。

……なんて惨めなんだろう。

静かな部屋に1人寂しくなる。

いつも康太が座っていたイスに触れた。

食欲もない。もうシャワーして、眠れないベッドに行こうかな…


――ピンポーン

宅配かな?康太の?

インターホンを見ると、康太の両親と康太が映っていた。

慌てて、玄関まで降りて行った。

「あの…」

「「うちの康太申し訳ございません!」」

声の圧に圧倒されてしまった……

頭を下げる康太のご両親。

康太を見ると、眉を下げた表情で頬が赤く腫れていた。

お義父さんにやられたのだろうか。

「あの、お義父さん、お義母さん…やめてください…」

「…そうだよ、せめて…」

康太が制御してくれた。

「お前は黙ってろ!」

「あの、、外なので……」

お義父さんは止まらない…

「お父さん!」

お義母さんの声で、やっと落ち着いてくれた…

「澄玲ちゃん…すまない…」

「あの、散らかってますけど、上がってください」

無意識に康太とアイコンタクトを取ってしまう。


リビングへ案内する。

「本当に申し訳ない!康太が馬鹿なことを…申し訳ない、どうお詫びしたら良いか…」

お義父さんがまた頭を下げてくれた。

「本当にお義父さんたちは関係ないです…やめてください…頭を上げてください」

言ったそばから、お義母さんに腕を掴まれた。

「澄玲ちゃん…康太が本当にごめんなさい。でも、許してあげて?…」

「お母さん!」

「お前は何を言うか!」

康太とお義父さんの声が重なった。

あぁ、そうか……


「お義母さん、良かったですね。お孫さんが、やっとできて」

「澄玲!!」

康太が声を上げた。やっぱり言ってなかった。

「康太、ちゃんと両親には言わないと…」

「澄玲…違うだろ?…」

震える康太の声…

お義母さんとお義父さんたちは、目を丸くしていた。

やっぱりそこは伝えてなかったんだね。

「康太…あなた…どういう事?」

「ちゃんと説明しろ!」

両親に問い詰められて、あたふたする康太を冷ややかに見た。

家でやらないで欲しい…

明日が休みで良かった。早くシャワーしたいな…

あくびが出るのを我慢する。

日頃から孫を楽しみにしていたお義母さんには、吉報に違いない。

そろそろ帰宅を促したい…

「あの…その件はまた康太さんにお聞きください…今日はこのへんにして…」

「澄玲ちゃん、本当に申し訳ない…」

再び頭を下げるお義父さんに、私が申し訳なくなる。

「本当に大丈夫ですから…」

「お父さんお母さんもう帰ろう…ちゃんと話すから…」

康太たちはやっと玄関へ向かってくれた。

「あ、康太。明日夜8時に弁護士事務所来てね。後でまた連絡する」

「…わかったよ」

ご両親は、また頭を下げ帰って行った。


 嵐が去ったように静かになった部屋に戻った。

ソファに腰を沈める。

なんだか余計広く感じてしまう…

良い人たちで、一人息子の康太を大事にしてるのは分かるんだけど、昔からお義母さんが苦手だ。

心配なのは分かるけど、余計なお世話が多くて康太も私も振り回された。

もう関わることも無いだろう…

少しホッとする。

 スマホのから通知がきた。レオくんか…

『外騒がしかったけど、大丈夫?』

聞かれちゃってたか。

恥ずかしいな…

大丈夫、とだけ返しておこう。

とりあえずシャワーしちゃお。


 シャワーから上がり、ベッドに横になる。

眠れもしないから離婚について調べた。

あぁ、本当に別れちゃうんだ…

こんな日が来るなんて思ってもいなかった。

ずっと一緒にいれると信じてのに。

自分の選んだ選択に後悔はない。

でも、涙が止まらなかった。

初めて声をかけてくれた日も、一緒に行ったお祭も、この家を選んだ日のことも、全ての思い出が溢れて康太が恋しくなる…

同時に、写真でしか見たことの無いあの女の顔が思い浮かぶ。

康太も悪いが、あの女に邪魔されたんだ。

しかも酷い現実を突きつけられて。

どうしてあんな女が子供なんて…

神様なんてどこにもいないんだ。こんな仕打ちにあうなんて…

遣る瀬無くて、いっそ消えてしまいたい。

枕の濡れる範囲が広がっていく。――


 もうお昼すぎで全然食べてないのに、お腹も空かない。

休みだからいいか…

離婚届を取りに行ったけど、こんなにも惨めな思いなんだな…もう経験したくないけど、次は提出か…気が重くなる。


話があるから会いたい、と深夜、母さんに連絡したけど、返事がまだない。

…夜までだるいな。

あぁ、この家にいる必要もないから、実家に戻ろうかな。確か兄さん達はもう自分の家に戻ったはずだし。

今の職場も辞めて、父さんの病院に行こうかな…空いてれば。

もう何も考えたくない……


 少し早めに事務所に着き、弁護士と少し話を進めながら、康太が来るのを待った。

しばらくして康太が現れたが、昨日会った時よりなんだかやつれて見える。


前回の誓約書を元に離婚協議書を作成した。決めてたことが多かったから、あっけないほどすぐに済んだ。

離婚届は来月、私が提出する。

慰謝料も合わせて350万円。

こんなにも流れる様に、6年間が終わっていく。

離婚届の署名欄が、やけに白く眩しく見えた。

話し合いが終わり、事務所を後にする。


「澄玲!どうして昨日、あのこと言ったんだよ?大変だったんだぞ…」

「…自分で言った方が良かったんじゃない?」

なんで私が悪いみたいな言い方をするんだろう。

「親からは責められるし、アイツには付きまとわれるし…もう散々なんだよ」

「自業自得でしょ?…もういい?家の事は、また後日話そう。連絡するから」

「……わかったよ」

頭を掻きながら、康太は駐車場へ消えていった。


 正直、また会うと情に流されてしまうかも、と思っていた。

でも、何ともなかった。自分でもびっくり。

私が好きになって、結婚した康太はもういなくなってしまった。

康太との幸せな思い出だけが、頭の中を埋め尽くしていく。

涙が頬を伝う。

これが私の2(・)度(・)目(・)の(・)失(・)恋(・)だ。


 家に着き、さっき書いた離婚届を広げて見つめた。

終わるんだ。いや、もう終わってる…

胸が苦しくて、思わず押さえてしまう。

こんなもの書きたくなんて無かったのに。

ビリビリに破ったら、戻れるんじゃないか?…なんてね。

本当に破ってしまいそう。早くデスクにしまっておこう。


 スマホを見ると、いつの間にか母さんから返事が来ていた。

来週の日曜しか空いてないのか…夜勤明けだけどいいか。

その日を空けておくよう頼んだ。

もうシャワーして、横になろう…

今日何も食べてないな、あまり眠れてないし…

明日の夜勤、大丈夫かな…――



 今日は朝からなんだか体調が良くないな…

うっすら吐き気がする。

ここ1週間、まともに食事も睡眠も取れてないもんなぁ。

寝れても悪夢ばかり見て最悪で、全く休まらない。

鏡に映る顔は、今までで1番酷い顔色だった。

治りかけた中指の傷をなぞる…

休むか迷う…いや、行こう。

今日は日勤だ。

そのうちよくなるかもしれない。

それに、あと数週間で辞めるんだから、これ以上迷惑かけられない。

身支度を始めながら、再び鏡を見る。

やっぱり隠すには限度があるなぁ。

義務的にご飯を口に押し込み、食べた。

あぁ、もうこんな時間…

化粧に時間がかかりすぎてしまった。

急いで家を出る。


 産婦さんの手を握り『大丈夫』と励ます自分の声が、世界で一番空虚な嘘に聞こえて、吐き気がした。

記録を取ろうとした瞬間、酷い目眩に襲われる。

思わずよろけた。

「手塚さん、大丈夫ですか?」

「…すみません…ちょっと具合悪くなっちゃって…休憩行きます…」

足早に休憩室へ向かう。

真っ直ぐ歩けてない気がする。

何とかイスに座り込む…

どうしたんだろ……

冷や汗が出てる。吐き気も酷い…

生あくびが止まらない。

すぐに仮眠室へ行き、横になった。

低血圧だ…無理もないか…

ゆっくり目を閉じた。


 寝てしまった!

慌てて身を起こす。

時計を見るとまだ15分くらいしか経ってなかった…

危なかった…

――コンコン!

「入りますねー」

佐藤さんが入ってきた。

「佐藤さん、いきなりすみません」

「いえいえ!…それより手塚さん大丈夫ですか?まだ顔色悪いですよ?」

覗き込むように顔を見られる。

「んーちょっとダメですね…これは…」

「早退した方がいいですよ。無理しないでください…今日は人も足りてますし」

確かに今日は私いなくても足りそうだなぁ。

「そうしよっかな…すみません。ご迷惑おかけします…」

軽く頭を下げた。

「気にしないでください!私も今まで手塚さんに助けられたので!それじゃお大事にしてくださいね」

「ありがとうございます」

佐藤さんが戻って行った。

立ち上がろうとすると、また目眩がした。

もう少し横になってから、早退しよう…


 5分ほど横になって、ゆっくりと起き上がった。

多分大丈夫だろう。

先に報告書を記入しておこう。

主任へ早退報告をし、できる人にだけ挨拶をしていく。

また倒れないか不安に思いつつ、着替えをしていく。

明日、夜勤なのに大丈夫かな…

不安と申し訳なさを抱え、退勤した。


 駅を降りてしばらく歩いていると、また目眩が来た。

どうしよう…こんな道端で…


酷くなる前にしゃがみこむ。

震える手で水を飲む。

なんとか治まって…


ダメだ止まらない……

意を決して、早足気味に歩き出す。

手足が痺れてきた…

やっと家が見えてきたのに…!

肩で息をする…


その場に座り込んでしまった。どうしよう…


「大丈夫?しっかりして!」


誰かが私を抱え、立たせてくれた。


「すみれ?大丈夫?」


「レオ…くん…」

息をするのに必死で言葉が出ない。

手がしびれて鍵を取り出せない。


「とりあえず俺の家に運ぶよ?」


運ばれるがままにするしかなかった。


 ソファに寝かされ、少し落ち着いてきた。

「レオくん…ごめんね…」

「構わないよ、それより大丈夫?」

「ちょっと…低血圧になっちゃって…もう大丈夫」

何とか起き上がる。家に帰るには十分だろう。

息も落ち着いてきた。

「まだ休んでなよ?…水飲む?」

「ううん、さすがに悪いよ。お水もらおうかな」

「ちょっと待ってて」

レオくんがキッチンへ向かった。

手のしびれも目眩もマシになってきた。

「はい、どうぞ」

レオくんから水を受け取る。

「ごめん、ありがとう」

はしたないが、一気に飲み干してしまった。


 また助けられてしまったな…

「…そういえばこの間の…なんだったの?」

「この間?……あぁ、うるさくってごめんね。康太の、両親が来て…」

すっかり忘れてた。割と強烈な出来事だったのに。

「わざわざ来るなんて、律儀なんだね。良かったじゃん」

「あー、いや…離婚することにしたんだ。今、康太は実家にいるからそれで…」

「そうか…それがいいと思うよ」

レオくんもやっぱり再構築をよく思ってなかったんだ…

「兄さんにも離婚した方がいいって言われたよ。ホントそうだった…」

「…今日はどうしたの?仕事お休み?」

「仕事中に倒れちゃって早退したの…まぁ道でも倒れちゃったけど、本当にありがとうね?助かったよ」

「たまたま通りがかっただけで…でも助けられてよかったよ」

…なんかふわふわしてきた。おかしい…

「いつも…助けられて……ばかりで……やだ、なんか…眠た…く……」





 ――ちゃんと休まなきゃ。1人で無理しすぎだよ。

眠(・)ら(・)せ(・)た(・)すみれを抱きかかえ、ベッドへ横たわらせる。


あの頃から変わらない寝顔をそっと撫でた…

唇へいきたい気持ちをぐっと抑え、額に口付けを落とす。


やっとここまで来た。

「おやすみ…俺の天使…」

ヤブランの花言葉

『忍耐』『隠された心』


次回、6月14日20:30予定。

初のレオ視点になります!


お読み頂きありがとうございます!

評価等いただけると嬉しいです。

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