13.オダマキ
妊娠してる?……なんの事?誰が?妊娠?
整理がつかない。
弁護士からは来週に直接事実を確認すると言われた。
嘘であって欲しい…
きっと康太を引き止める為の嘘だ…
どうしよう…わけが分からない…
ここでうろちょろしてもしょうがない。とりあえず買い物を済ませないと。
あぁ…ハンバーグの具だけで付け合せ買い忘れちゃった…
サラダまだ家にあったっけ?
家に着くまでの道がやけに長く感じた。
玄関のドアノブに手を伸ばす。
またあの感覚が蘇る…
ぐわんぐわんしてきた。
手が震える…心拍の速さが痛い…
倒れ込む様に家へ入る。暗い階段を見上げた。
あの時とは違う。同じ事にはならない。大丈夫。
息を吐き、心臓を落ち着かせる…
静かに階段を上っていく。
ダメだ…動悸が治まらない…
リビングのドアを開ける。
いつものリビングだ…よかった。
力が抜け倒れそうになった。
深く深呼吸する。
動揺しすぎだ…
まだ本当かも分からない。こんな振り回されたら、相手の思うつぼだ…
うまくいきそうだったのに、なんでこんな事に…
康太は…知ってる?それとも本当に知らない?
突き飛ばしたのはこれを知ったから?それとも知らずに?
色んな可能性が頭を巡って、吐き気がする…
もうどうして……
シラを切られないように、康太から聞くにはどうすればいい?……そうだ!
時計を確認する。
康太が帰ってくるまで1時間も無いけど、間に合う。
急いでスーパーへ行かなきゃ…
酔わせればいいんだ。
カゴに缶ビールやハイボールを数本入れる。
康太は大体ロング缶2〜3本で潰れてしまう。
幸い、今日は金曜日。康太は躊躇わず飲める。
私も飲むからと誘えば、康太は確実に乗ってくるだろう。
買い忘れてた付け合せと、適当なスナック菓子もカゴに入れ、すぐに会計を済ます。
家に着き、急いで準備を始める。
ハンバーグ自体は割と簡単に作れるけど、付け合せに時間がかかるのを見越して、順番考えないと。
どれも同じ事。
知ってたか知らなかったかを聞き出すだけに、こんな回りくどく準備しなくちゃいけない…
康太のことは信じてるけれど、一度嘘をついたら慣れてしまうものだ。
忙しなく手を動かしていると、康太が帰ってきた。
「ただいまぁ、あ!今日ハンバーグ?」
「おかえり、今日早く上がれたからハンバーグにしたんだ。久しぶりに一緒にお酒飲もうよ?」
「え?いいの?」
「もちろん。久しぶりに飲みたくなってさ。まだ時間かかるから、先にシャワーしてていいよ」
「はーい!」
にこやかに康太を迎える。
私も嘘が慣れてきた。
作り終わり、テーブルへ並べていく。
ちょうど康太も上がってきた。
「あ〜お腹空いた〜澄玲は、ハイボールとビールどっちにする?」
「ハイボールで。ご飯自分でよそって?あ、お箸も持ってきて」
「はーい」
イスに座り、康太から箸とハイボールを受け取る。
「ありがと。食べよ?」
「うん、いただきます!」
「いただきます」
ビールを飲む康太を静かに見つめながら、私もハイボールを口に運んだ。
康太も私もお酒が3本目に入った。
「なんで同じ本数なのに…顔色も変わらないねぇ?」
「康太は顔真っ赤だね。これでも酔ってはいるよ?」
「なんでだぁ〜」
またビールを飲む康太。
ほとんど酩酊している。最近飲んでなかったから酔いも早いんだろう。
今かな?
「トイレ行ってくる」
「んー」
スマホを持ってトイレへ向かう。
水洗と共に録音ボタンを押し、戻る。
「ポテチ食べる?」
「あ、食べる」
持っていき、イスに座る。
もう2、3口飲んだら切り出そう…
康太がまたビールに口をつける。3口目だ。
「色々あったけど、またこうやって康太と過ごせて幸せだよ」
「…俺も…澄玲に捨てられ無くてぇ、ホントに良かったよ」
康太の目が虚ろ気味になってきた。
「…ねぇ、もし相手が妊娠してたらどうしてたの?」
「…ん?…ははっ、ないってぇ…ゴムちゃんとしてんだもん…」
「妊娠してるかもじゃん?言われなかったの?」
「な〜いない…絶対生でなんてしたくなかったしぃ…澄玲と長くできな、できてないのに…そんな、すぐできない、じゃん…」
「そっか…」
しゃっくり混じりに話す康太。
多分、知らないんだろう…
「生でしたくない」も素面の時に言ってた事だし、この状態でさすがに嘘はつける状態じゃないだろう。デリカシーに欠ける発言もあったし。
はぁ…つけてたって妊娠することあるのに…
それをよく知っているのは、私だ。現場でたまに目にすることがある。
望まぬところに宿る命。
なんて皮肉なことだろうか…
どうか、嘘であってほしい。
ハイボールを流し込む。
でも、妊娠したから逃げたって訳じゃないのか…
じゃあやっぱり嘘?それとも…別の人?
こんなに私を蝕んでくるなんて…忘れてしまいたい。
康太みたいにすぐ酔えたらどんなにいいんだろう…
康太を見ると、もう目をつぶって寝ている。
大きい溜息をついてから、録音を終了させた。
テーブルの上を片付けて、シャワーを浴びる。
アルコールのせいなのか、心臓がいやにバクバクする。
切り替えないと。
明日仕事に行けば休みだ。
それまで…それまで……
私はどうしたらいいんだろう…
シャワーを終え、酔い潰れた康太を見下ろす。
「呑気に眠れて…いいね…」
ハッとし、唇を抑える。
気付いたら口にしてしまった…寝てるからいいか。
一応、起こそうとしてみるがダメそうだ。
この体制なら深夜に目を覚ますだろう。
構わずベッドへ向かうが、とても眠れそうにない。
あぁ、お酒なんて飲まなきゃ良かった。
カペラのことがあった後にこの仕打ち…
変に冴えてしまった頭を抑える。
……向こうの嘘だと思おう。
そう思い込んで過ごさなきゃ。
あぁ、ヤダヤダ。振り回されちゃって。
……一睡も出来ず、空が明るくなってしまった。――
眠れないのにも慣れてしまった。
このだるさと気持ち悪さも、いつも通りになってきた。
起き上がり、リビングへ行く。
康太はソファで眠っていた。限界だったのだろう。
なんか悪いことしちゃったな…
洗面所へ向かい、鏡を見た。
顔色が悪い上に、昨日のお酒で浮腫んだ顔が映る。
何となく目が開きにくいのはこのせいか。
手早く支度を始めた。
まだ寝ている康太に一応、声をかけてみよう。
「康太?…私もう行くからね?」
起きる気配はなかった。
罪悪感に後ろ髪を引かれつつ、家を出た。
職場に着くとやけに慌ただしかった。
昨日は嵐の前の静けさだったみたい…
「あぁ、手塚さん!今、第2分娩にいる人の1時間値とってもらえる?」
「わかりました!すぐ行きます!」
急いで着替えを済ませ、分娩室へ向かった。
今日はずっと慌ただしく、残業だった…
ロッカーを開け、ボディシートを手に取った。
もう少しでなくなっちゃうな…買っておかないと。
大雑把に体を拭い、着替える。
みんなへ挨拶をし、職場を後にした。
駅を降り、弁護士事務所の入ってるビルが目に入る。
いつ連絡が来るんだろ…
胸のざわつきが強まり、思わず唇を噛む。
考えるのはやめよう。どうせ嘘なんだから。
家へ向かう足を早めた。
家に帰ると、康太はまだ少しぐったりしていた。
「ただいま。まだ二日酔い?」
「おかえり…ちょっとね……なんでそんなに元気なの?俺より度数高いのに…」
「体質なんじゃない?…昨日のこと覚えてる?」
気が気じゃなかった。
覚えていたらどうしよう…
「んー映画観たまでは覚えてるけど、何観たんだっけ?」
「そこからなんだ…ホラーゲームのやつだよ」
相当最初の方から記憶が無いみたい。
良かった…
手を洗いに洗面所へ向かう。
あ、ボディシート買うの忘れてた…
明日買わなくちゃ。
なんともないように過ごしたが、胸がつっかえるような感覚で、また食欲も無くなってしまった。
心配する康太に「疲れ過ぎ」と、だけ伝えた。――
上の空で過ごしてしまい仕事でもミスしてばかりだ…
さっきも滅菌パックのシールを貼り忘れていた。
お昼に弁護士から電話があった。
事務所に行かなければならない。
康太からもミモアが来ていた。返事はしていない。
きっと今日、話す内容は同じ事だ。
駅に近づくにつれ、手が震え、動悸が早くなる。
弁護士から見せられたのは、2つのコピー紙。
「妊娠届出書」と「エコー写真」のコピー。
本当だった。
片手で頭を抱える。
私の中で何かが崩れ落ち、粉々になった。
「…離婚することにします」
震える声で弁護士に告げた。
「わかりました。誓約書などは1度破棄で、また改めて作りましょう」
「はい…」
「旦那様との話し合いは大丈夫そうですか?」
弁護士の冷静さが落ち着きをくれる。
「…はい、大丈夫です」
また日を改めて来なくちゃいけない。
事務所を出てからも、涙は出なかった。
ただ手の震えと、やけに遅くデカく響く心臓が支配していた。
家で康太の帰りを待った。
ミモアでは、「佐野さんに絡まれた」とあった。
彼女は今日、話したのだろう。
くらくらと目眩がする…頭を支えてないと座っていられない。
その手だって震えている。
さっきからずっと深呼吸してばかり…
何も良くならない。
下から音がする……
康太が帰ってきた。
開くであろうドアをただ、じっと見つめた。
階段を上る重い足音と、自分の鼓動が重なる…
ガチャと開いたドア。
静かに康太の顔をみた。
「…ただいま」
呟くような暗い声だ。
表情もおどおどとし、目が泳いでいる。
「おかえりなさい。まず手を洗ってきて?」
まだどこか震える声で、淡々と告げた。
洗面所から戻ってきた康太へすぐに話した。
「彼女、妊娠したのね」
今までに無いくらい手が震えた。
「待って!だとしても俺の子じゃない!ちゃんとゴムは…」
「何言ってるの?ゴムしてたって、やることやったんだからできるに決まってるでしょ?なんでそう無責任なの?ありえない…」
「どう考えても他のやつだろ?澄玲と6年も出来なかったのに、こんなすぐおかしいだろ」
「えぇ、そうね…この6年間、何だったのかしらね…」
その言葉が胸を刺してゆく。
深呼吸して息を整えた…
「……離婚しよ…もう無理…」
涙が頬を濡らしていく…
康太は苦悶の表情で、私の元へ来て膝を着いた。
「…待ってよ……俺の子じゃない…関係ないよ…澄玲……離婚だなんて…これから俺らの子供作って…」
腕にしがみついてきた康太を振り払い、言葉を遮った。
「アナタの子供だとか、じゃないとかはどうでもいいの……あの女がアナタの子かもしれない子を妊娠したのが耐えられないの!」
ほとんど叫ぶ様な声だった。
もう限界だった。
「この先、一緒にいたって、その子のことを思い出すし、たとえ…堕ろしたって、私は思い出して苦しむわ……もう無理なの…」
「…DNA検査すれば、俺の子じゃないって分かるだろ?」
「…もう、そういうことじゃないの……アナタが半年も裏切って、その上あの女が妊娠した…それ自体が、私のこの6年間を否定するの…不条理だと思わない?……」
言っていて傷付く…
顔を覆う手がずっと濡れる。
「……もうやり直せないの…不誠実で、無責任なアナタを許せないのよ…」
イスから立ち上がり、康太を見下ろす。
「誓約書もまた新しいの作るわ…明後日休みだから、離婚届取ってくるね」
立ち去ろうとすると、立ち上がった康太に腕を掴まれた。
「待ってよ!納得できないよ…離婚なんて…」
「何が納得できないのよ?アナタが不倫した。それだけでも十分じゃない!」
思わず声を荒らげてしまう…
この人は何を言ってるの?
「許してくれただろ?それに俺の子じゃないのに、どうして…」
「許してなんかない!これ以上私を殺さないで!もう何もかも変わったのよ!全部、壊れちゃったの…」
「変わってないよ…俺は今でも優しくて可愛い澄玲が好きで…」
掴まれた腕を振り払い、キッチンへ向かう。
飾っていた結婚写真とパステルブルーのポットを康太の足元へ投げつける。
「澄玲!やめて!」
写真立てもポットも、大きな音を立てて粉々に砕け、割れていく。
「アンタの身勝手は、私を壊すのに十分だった!もう優しい私も、可愛い私もいないの……アンタが全部変えたんだよ!」
クローゼット部屋に逃げ込んだ。
あんなことをしちゃうなんて…
自分が嫌になる。あんな風に物に当たるなんて…
酷い事を…本当に変わってしまった……
康太だけじゃない。私もこんなにも変わってしまったんだ…
デスクに顔を伏せて、考え込む。
離婚か……
最初からそうしとけば良かったかな…
父さんたちになんて言おう?これからどうしよう?
…考えていても仕方ない。
あ、スマホ…リビングに置きっぱなしだ。
気が重いけど、取りに行かなきゃ…
リビングへ行くと、康太は頭を抱えソファに座っていた。
割れた写真立てとポット…
まずこれらを片付けないと。
キッチンから袋と雑紙を持ってきて、欠片を拾い集める。
「…物投げてごめんなさい」
康太の方を向かず、拾いながら謝ったが返事はない。
写真も袋へ捨てた。
陶器やガラスを集める音だけが冷たく響く…
「痛っ!」
大きい欠片を取った瞬間、痛みに襲われる。
ガラスの破片が中指に刺さっていた。死角になって見えてなかった…
結構深くまで刺さっている。
急いでシンクへ行き、輪ゴムを指に巻きつける。
康太が駆けつけてきた。
「大丈夫?」
「…大丈夫…」
一瞬、破片を抜くのを躊躇う…
意を決して破片を抜く。
血が流れ出てきた。深かったが、破片の形的にすぐ治りそうだ。
軽く流水で流し、輪ゴムを取ってすぐに傷口を圧迫した。
「ごめん、絆創膏持ってきて」
「あ、あぁ…」
なんて頼りないんだろう…昔はこんなじゃなかったのに。
絆創膏をもらい、キツく巻き付ける。
また片付けを再開した。今度は慎重に。
「俺もやるよ…」
「大丈夫!」
威嚇するような声で言ってしまった。
「…私がやったことだから、触らないで…」
あらかた取れる欠片はとり、掃除機をかける。
スマホを手に取り、立ち去ろうとした。
「澄玲!…そばにいて欲しい…」
「…もういれない」
「今日だけでも!一緒に寝てほしい…明日から俺、実家に行くから…」
「……わかった」
まだ情がある。
完全に嫌いになれた訳じゃない。
それから特に言葉を交わすことなく、最後の時間を過ごした。
どちらともなくシャワーを浴び、ベッドへ横になる。
康太に背を向けるよう寝返りをうつと、康太が抱きついてきた。
中指がジンジンと痛む。
2つの咽び泣く声が寝室に静かに響いた。――
オダマキの花言葉
『愚か』『真実の愛』
次回、6月12日20:30予定。
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