12.キンセンカ
仕事が終わり、急いで電車に乗り込む。
今まで色々あったけど、こんなにも休みたいと思ったことはなかった。でも、ペットの死で休む訳にはいかない。
新しく生まれてくる命を支える助産師という仕事が、命の尊さをより強く実感させられた。
駅に着くと、ちょうど兄さんの運転する車が来た。
「お疲れ様、間に合って良かったわ」
「急いで電車に乗ったから、なんとかね」
後ろのシートに座り、霊園を目指す。
母さんと兄さんと私だけの参加になった。父さんは夜勤で、美希さんも陸斗とお留守番。
届出や葬儀の手配も母さんたちに任せてしまった。
ちゃんとお礼しとかないとな…
霊園に着き、スタッフさんから説明を受け、色んな書類に母さんがサインしていく。
費用は私が多めに支払った。
準備を待つ間、周りを見渡す。小さいハムスターや大型犬、色んなペット達の写真や骨壷、お供え物が並んでいる。
悲しい事なのに、心が少し温かくなる。
たくさん愛されて、きっと幸せだったんだろうな…カペラもね。
そっとカペラを撫でた。
スタッフさんに案内され、火葬場へ向かった。
いよいよお別れになってしまう…
お線香をあげ、スタッフさんが最後の時間をくれた。
涙が次々に溢れて止まらない。
カペラに触れながら、
「カペラ…うちに来てくれてありがとう…ずっと大好きだからね…ずっと可愛い私のカペラだよ」
兄さんも母さんも続けて別れを告げていく。
重く冷たい銀の扉が開き、カペラはその奥へ消えて行く。
泣きながら見送る…もっと一緒にいたかった…
火葬が終わるまで、ロビーで待つ事になった。
座って泣きじゃくっていたが、少し落ち着いた。
「ちょっと風に当たってくるね」
「わかったわ」
外に出ると、兄さんがいた。
「なにしてるの?」
「風に当たりたくなっただけだ」
「そう…」
しばらく会話もなく、2人で夜風に吹かれ続ける。
「澄玲さ、最近なんかあった?急にやつれてさ。心配してるんだよ、みんな」
言うべきか迷った…でも、兄さんにならいいかもしれない。
「…父さんと母さんには黙っててね」
「わかった…で、どうした?」
「…康太に浮気されてたの。もう解決してるから大丈夫」
「は?大丈夫って?離婚するのに?」
「しないよ…」
「なんでだよ。子供だっていないんだからできるだろ?」
兄さんの声が少し大きくなった。
「やり直したいの…康太も反省してるし」
「…はぁ…俺は納得しないぞ。やめた方がいい」
「別にいいわよ…私たちが決めたことなんだから」
ちょっと不貞腐れて言ってしまった。
「お前を心配してんだよ」
「わかってる…」
「2人ともー、呼ばれたわよ」
母さんに呼ばれ、火葬場に戻る。
白い骨になった姿がカペラと思えなくて、淡々と骨を拾う。
こんな小さい入れ物に収まってしまうなんて…
もう温かさも、ふわふわの毛も感じられない。
遺骨はいつでも会えるように、実家に置くことにした。
スタッフさんにお礼を言い、車へ戻る。
「澄玲、家でご飯食べてく?」
「いや、いいや。そのまま帰るよ」
「俺、母さん家に降ろして、送っていくから助手席乗れよ」
「いいよ、兄さんだってお腹すいてるでしょ?全然電車で帰るよ」
「明日も仕事なんでしょ?雅人に送っていってもらいなさいよ」
「んーじゃあ、お言葉に甘えて」
助手席に座り、車は実家に向かった。
「カペちゃんいなくても時々顔見せなさいよ!康太くんと一緒に!」
「…わかったよ。今日はありがとう」
母さんは遺骨を抱えて車を降りた。
兄さんと2人…どうせ康太との事を言われる…
案の定、事細かくまるで尋問のように聞かれた。
「お前なぁ…半年も嘘ついてたやつの言うこと、そんなすぐ信じるなよ…男慣れしてないにも程があるだろ」
「それは関係ないじゃない」
「世の中にはお前の知らないヤバい男がゴロゴロいるんだよ。若い時に痛い目みれてたら、離婚の一択だったろうよ」
「兄さん自身が昔ちょっとヤバかっただけでしょ…」
兄さんが大学生の頃、ちょっとした修羅場があった。
「…あれはちょっとしたすれ違いの事故だったろ。そんなもんじゃないクズな男がたくさんいるんだよ」
「…だとしても、もう信じるって決めたもん」
「結婚の時に母さんが言った事、覚えてるよな?」
「……覚えてる。でもまだ大丈夫だから」
私が結婚した時、私の涙が引っ込むほど泣いてくれた。言ってくれたのが「どうしてもダメだったら、すぐにでも戻ってきなさい」だった。とても頼もしくて安心でき腹が据わったのを覚えてる。
「まぁ仕事もあるから、家に戻れないのはわかるけどさ。変なとこ1人で抱えて、何とかしようとするなよな」
「…うん」
「父さんも母さんも、美希だって心配してんだよ」
「ごめん」
「別に謝ることじゃないけど…いつだって逃げていいんだから」
「それはわかってるよ」
「ほら着いたぞ」
「ありがとう…兄さん、父さんたちには黙っててよ?」
「…わかってる。じゃあな」
「お願いね?気を付けて…」
車を見届けて、家に帰った。
兄さんの言葉を思い出しながら、ドアを開ける。
「ただいま」
「おかえり、大丈夫?」
ソファに座ってる康太が、顔を覗き込む。
「うん…なんとか…」
「ご飯、炊飯器に少し余ってるんだけど、食べる?」
「大丈夫かな。あとでラップしとくよ」
「俺やっとくよ。すぐシャワーするでしょ?」
「うん…じゃあお願い」
コートを脱ぎ、洗面所へ向かった。
シャワーから上がり、母さんからのミモアを開く。
この間の私が寝ていた時の写真だ。カペラも側で寝ている。
これが私とカペラの最後の写真かな…
また会いたいな…
涙が出てしまう。ティッシュで拭って、リビングへ向かう。
ソファに沈むように座り込み、深い溜息をつく。
なんだか酷く疲れた。色んなことが目まぐるしく起こって、コロコロ変わる感情にも疲れてしまった。
兄さんの「半年も嘘ついてたやつの言うこと、そんなすぐ信じるなよ…」の言葉。もちろん全部を鵜呑みにした訳じゃない。それでも…
キッチンで洗い物をしている康太を見た。
この人とのこれからに目を向けてはダメなのかな?
裏切られた後に、信じるのがこんなにも難しいものなんて…分からなくなってきた。
きっとあの朝が私にとって初めての失恋だった。
中学生の時、他クラスの男子に告白されて、何となく付き合って、気が付いたら別れていた。
好きじゃないけど、断るのも悪くて、付き合ったら好きになるかも、と不誠実だった私が悪い。そこに「恋」はなかった。
そこからずっと康太としか付き合っていない。
世の中の女の子たちは、どんな恋愛をして大人になるんだろう?どんな傷を負ってきたの?
あんな最悪な事を若い時に経験した子がいるんだ…
そう思うと、兄さんの言葉がだんだんしみてくる。
洗い物を終えた康太が隣に座ってきた。
「なに考えてるの?」
「…恋愛のこと」
「えっ…」
康太の動きが一瞬止まった。
そうだよな、あんなことした後に、妻が恋愛で考え事なんてびっくりしちゃうよな。
「もっと色んな経験しとけば良かったなって、思ってただけ」
「…ごめん」
「責めてるわけじゃなくて…そう思っただけよ。私はほぼ康太としか付き合った事ないからさ」
これは責めてしまった…言った後に気付いた。
もう勢いまかせだ。
「…別れようって思った事なかったの?」
「全然ない!高校の時からずっと澄玲と結婚したかったし、離れるなんて考えたことも無いよ」
「そう…」
「…澄玲は?」
「私?…私は…あるよ。1回だけ」
「えっ…いつ?」
あんまり教えたくないけど、言ってしまおう。
「私が高3の時、康太が大学のサークルやらコンパやらで私をおざなりにした時」
私も塾で忙しかった上に、康太は遊びとバイトで連絡もろくに無かった。周りから「大学で別の女見つけたんじゃ…」と言われ、心が折れかけた。
「あの時は本当にごめん!」
「その時の夏休みの康太の友達も最悪だった」
「あれは俺も怒ったじゃん、でも、アイツらのおかげで俺の浮気疑惑も晴れたし…」
随分と品の無い友達3人が、康太の家で一緒に課題をしている所に押し掛けてきたことがあった。
「白鷺ヶ丘高校なんでしょ?顔も服もお嬢様じゃん。友達紹介してよ」やら「康太のやつ、女の子いるとこだとノリ悪くてさ。彼女さんからもなんとか言ってやってよ~」などの嫌な絡み方をされたが、康太が怒って追い出してくれた。
「嫌なものは嫌だった」
「…ごめん」
「まぁいいのよ…過ぎたことは」
「よくない……」
康太が強い力で抱きしめてきた。
「今も昔も澄玲を誰にも渡したくない…あんな事したのに、自分勝手なのは分かってる。でも、澄玲が他の男と…恋愛とか…してほしくない…ごめん…」
「ホント自分勝手…私だってそう思ってたのに……相手と本気じゃなかったからって、そんなの…」
一体、私をなんだと思ってるんだろう?呆れちゃう…
「…もう寝る。離して」
1人寝室へ向かった。
ベッドに横になるが当然眠たくはならない。
そんな風に思ってるならなんで、踏み止まれなかったの?
イライラは募るばかり、向ける矛先も無い。
カペラの写真を整理しておこう。今までたくさん撮ってきたから、フォルダの整理しなきゃ……
色んな思い出が蘇って涙を流しながら、整理していく。
実家だと眠れたのに、全然眠気が来ない。疲れてるはずなのに…
康太が寝室へ来た。
「起きてた?」
「寝れないよ…」
ベッドに入ってきた康太が額にキスをしてきた。
「俺、出来ること何でもするから言ってね?」
「うん…」
また強く抱き寄せられた。
「澄玲…どこにもいかないで…俺、いくらでも償うから…」
「私…どうしたら康太を許せるのか分からない…一緒にいたいのに、信じる事ができないの…」
「…そうか……そうだよね…本当にごめん…」
「もう、ごめんって言わないでちょうだい…謝られたって変わらないの…」
「わかった…でも、本当に申し訳なく思ってるんだ…後悔してる…」
「わかってる……もっと違う言葉が聞きたいの…」
何が欲しいかも分からないのに、言ってしまった。
また嫌われちゃう?…
「澄玲…?正しいか分からないけど…俺はずっと澄玲を愛してるよ…一緒にいたい、ずっといつまでも澄玲と過ごしたいから……」
「本当?どうしたら、いつまでもを信じられる?」
「もう不安にさせない…澄玲の為に過ごすよ」
今の言葉と態度はきっと嘘じゃない。
康太の喉元に口付けした。
「3ヶ月後楽しみにしてるね?」
信じるって決めた……そばにいたいから。――
この時期なのに仕事が忙しかったけれど、今まで以上にやりがいがあった。
生活は大きく変わらないが、あまり眠れないけれど、食欲は戻りつつあり、康太と穏やかに過ごせた。
冗談を言ったり、たまに小言を言ったり、美味しいものを食べながら、映画を楽しんだり…
気が付いたら笑いあってることが増えた。
めずらしく金曜日に早く仕事が終わった。リンカルで康太の予定を確認する。
今日は何も無いみたい…
久しぶりに康太の好きなハンバーグでも作ろうかな。
スーパーで買い物中に弁護士からの電話が来た。
もう少し先だと思ってたけど…なんだろ?
「もしもし?手塚です」
「手塚さん、お疲れ様です。お時間少々よろしいでしょうか?」
「はい…」
「実は…お相手の佐野さんから……妊娠されたと連絡がきまして……」
頭が真っ白になった……
どういうこと?
キンセンカの花言葉
『寂しさ』『別れの悲しみ』『失望』
次回、6月12日20:30予定。
お読み頂きありがとうございます!
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