第99話 神では無い 鉄屑だ
戦場を支配していたのは、もはや「神」としての威厳ではなかった。
それは、絶対的な絶望の淵から這い上がってきたUPLという「BEHEMOTH」達の触れてはいけない逆鱗に触れてしまい、無様に逃げ惑う家畜たちの絶望的な悲鳴だった。
(こいつさえ……ジュリアン・ヴァルテールさえ消せば、ここ出られる……! 殺せ! そいつを殺して道を空けろ!)
アクエリアスは、全身のフレームから火花を散らし、流体装甲の維持もままならず、崩壊寸前の体で屈辱の電脳通信を飛ばす。
タウルスは内部予備ジェネレーターが機能停止。
膵臓、および肝臓ユニットも沈黙。
メイン・ジェネレーターの冷却を担うシン・タツガ社製・非生体型肺パーツ『Gt-644-f4』までもが停止へのカウントダウンを刻み始め、彼女は死の恐怖に震えていた。
ピスケスは両手と右足を失い、自慢の『重力制御グレネード・ローズ』は制御を失って地面に全て落下していた。
カプリコーンは、中尉に断たれた左腕からの冷却液流出停止プロトコルが『雷切』の電撃で故障し、冷却液が止まらず、その出血にも似た喪失に戦慄している。
そしてサジタリアスは、網膜に投影された無機質な文字列に絶望していた。
[ CRITICAL SYSTEM ALERT ]
>> MAIN GENERATOR: FATAL DAMAGE / OFFLINE
>> AUXILIARY GENERATOR: SEVERE DAMAGE / COMPROMISED
>> EMERGENCY POWER ROUTING... COMPLETE
>> SWITCHING TO AUXILIARY POWER DRIVE...
>> ESTIMATED OPERATIONAL TIME: 06:00:00
[ STATUS: MINIMAL POWER MODE ]
[ BARRIER INTEGRITY: MAINTAINING ]
(もう無理よ、逃げないと死んじゃうわ!)
タウルスの悲鳴が電脳空間に木霊する。
(あはは……くだらない人間なんて蹂躙しようよ……って言いたかったけど、私も、早く逃げないと死んじゃう……)
サジタリアスの胸部装甲は、カインに穿たれた傷により、自覚していた以上に致命的な損傷を負っていた。
そしてランとコンラートにより追撃された胸部パーツは、死へのカウントダウンを始めていた。
放った反物質は直撃せず、あの二人はおそらく気絶しているだけに過ぎない。
トドメを刺すにはジュリアン中尉とカインの殺意を孕んだ眼差しが鋭すぎた。
ランとコンラートが、いつ目覚め、再び牙を剥くか分からぬ恐怖が彼女を支配した。
(逃げますわよ……アクエリアス!)
ピスケスが地面を汚らしく這い回りながら、電脳通信で必死に訴える。
(すでに上空待機中の輸送機を呼んだ。収容までのカウントダウンは120秒……。だが、この男……ジュリアン・ヴァルテールを殺さねば、逃げ道は開かれん!)
それが、生存本能の出した最後の結論だった。
もはや五体満足な形状を保てず、泥を噛んで転がることしかできないピスケス。
中尉の放った漆黒のレーザーによって細胞レベルで焼かれ、超高速再生が追いつかずに醜い内部フレームを曝け出したアクエリアス。
生存という名の執念に突き動かされた五人のゾディアックは、残された全エネルギーを、たった一人の男――ジュリアン・ヴァルテール中尉へと集中させた。
しかし、中尉は止まらない。
「……終わりだ、偽物の神々よ。貴様らの玉座は、ここにはない」
「貴様らぁ!死ね!汚らしく死ねぇ!」
中尉の咆哮が大気を震わせる。
刹那、その手にした『雷切』が空間を断ち切る青白い電光となって一閃した。
「あ……っ!?」
サジタリアスは声を上げる暇さえなかった。
その可愛らしい首が鮮やかに宙を舞い、切断面からは極彩色の火花と冷却液が奔流となって噴き出す。
中尉は流れるような動作で雷切を十字に二閃。
アクエリアスの露出した胸部フレームを無慈悲に斬り裂いた。
「あ……兄貴ぃ!フレーム! フレームはやめろぉ! ひぎやぁぁぁッ!」
金属が悲鳴を上げ、アクエリアスの高分子フレームが塵芥のように飛び散る。
その直後、首を失ったサジタリアスの『イシュタル・ゲート』が暴発し、カプリコーンの陽電子レーザーカッターと共にジュリアンの胸へと迫った。
中尉が奇跡的な挙動で回避したその弾道は、背後にいたカインの胸部装甲を容易く貫通。
メインジェネレーターを掠め、複数のバイタルパートを寸断した。
その弾道は後ろに倒れていたメイシーの遺体をほとんど完全に消滅させていた。
しかしながら、地下を守る電磁バリア(メイシーの心)は揺るぎもせずに保たれていた。
「がっ……!」
カインは一瞬膝をつくが、止まらない。
『カイン!……カイーン……!!右!弾道(演算)は私に。すぐ後ろ飛ぶ!』
電脳から響くアリアの声が濡れている。
泣いているのだ。
『ベヒーモス・バスター』の銃口を突き出し、20mm徹甲炸裂弾(APHE)を連続して叩き込む。
ドゴォォォォォ!
神速のボルト操作が空薬莢を弾き飛ばす。
カキィーン! ドゴォォォォォ!
カキィーン! ドゴォォォォォ!
カキィーン! ドゴォォォォォ!
アクエリアスの頸椎フレームがタングステン芯にぶち抜かれ、安定化ニトロの爆圧が極低温単チタンセラミック化鎖骨フレームを粉砕。
「ふひぁぁ!」
タウルスの右足が砕け散り、サジタリアスの右肘が跡形もなく吹き飛ぶ。
「ひぃぃん」
そのカインの直上、三メートルを飛翔したジュリアン中尉の左眼から漆黒のレーザーが放たれた。
カプリコーンの左脚を付け根から粉塵と化し、さらに空中からタウルスを捉える。
中尉は、重力制御鞭を構えようとしたタウルスの両手首を雷切で20m先まで切先だけで切り飛ばし、そのまま右胸部中央を解放。
葬送の三撃――『トリニティ・レクイエム(CODE: HMV-03-TRINITY)』を展開した。
ドバァァァァァァァン!!
至近距離で放たれた超高密度・重液体金属弾が、タウルスの装甲の継ぎ目へと侵食し、内部から焼き消すように胸部装甲を全損させる。
「ギャァァァァア」
「ヒィイ……た……助け……助けて」
首だけで転がったサジタリアスの懇願。
バランスを崩していたカプリコーン(山羊座)の胸部重装甲を、中尉の『雷切』が背中まで一気に貫くと、身を翻しながらカプリコーンを蹴り飛ばし、鞘に戻した。
刹那、カプリコーンの右手から「キン!」と音が響く。
ジュリアンの頭部中央を陽電子レーザーが貫く。
ジュリアン中尉は、何事も無かったかのように、カプリコーンの右腕を居合切りで切り飛ばした。
「ひ、ひっ……あ、あああ……! 怪物め! 来るな、いやぁ……来るな……!」と泣き叫ぶタウルス。
かつて人間を虫ケラのように見下し、その命を弄んでいた神々が、今は泥を啜り、瓦礫の中を這いずりながら、生まれて初めての醜い命乞いを始めた。
圧倒的な蹂躙。
そこには美学も慈悲もなく、ただ凄惨な「おもちゃの解体」のような光景が広がっていた。
中尉は無感情に、しかし確実に、神々のメッキを一枚ずつ剥ぎ取っていく。
今や目の前に散らかっているのは、神の欠片とも言えないガラクタである。
ジュリアン中尉の電脳は欠損し、通常であれば即座に全機能がシャットダウンするはずの致命傷。
それでも、彼は動いた。
論理も演算も超えた、ただ純粋な「部下を守る」という一念が彼を現世に留め置き続ける。
(情けない。貴様らをこれ以上使い続ける保証はないわよ)
その時、ゾディアックたちの電脳に、冷徹に響く双子座の声が届いた。
それは回収用輸送機が回収態勢に入ったことを意味していた。
絶対の支配者――Death Gemini
突如として上空の闇を切り裂き、巨大な輸送機がその影を落とす。
「早く!……死んじゃうわ!」
「早くしてぇ!」
「ワタクシを先に!ワタクシが先よぉー」
それは回収用の指向性重力制御システムを起動させ、敗走する「パーツ」たち――もはや戦闘不能となったゾディアックを強制的に吊り上げていく。
とどめを刺される寸前、彼らは自らが嘲笑っていた「人間」の恐怖に震えながら、夜の空へと回収され、敗走していった。
UPLメンバーたちには、輸送機を撃墜する余力などはあるはずが無かった。
静寂が、戦場を包み込む。
中尉は、全弾を撃ち尽くし、銃身から陽炎を立ち昇らせているカインの『ベヒーモス』に、ゆっくりと、愛おしむように視線を落とした。
カインは粉砕された脇腹を片手で押さえ、溢れ出すオイルを撒き散らしながら、荒い呼吸で中尉を見つめ返す。
その隣で、電脳のアリアが、消えゆくカインの気配を察して悲痛な叫びを上げ続けていた。
『カイン!緊急リブートよ!……電脳が!アンタ!消えちゃう!早くしてぇ!』
「カイン……BEHEMOTHか……。金属の骨格を持つ、伝説の魔獣……。フッ……まるで……我々だな。人間であることを捨て、鉄の獣となってまで、無様に生き続けていた……だから……だからこそ、我々は護るのだ……」
中尉の口から、どす黒い血が溢れ出す。
その瞳の奥に宿っていた『アビス・フレイム』の輝きは、今や風前の灯火のように揺れていた。
彼は震える手で、カインの肩を強く掴んだ。
「お前の……戦闘センスは、大したものだ。絶望の淵に立っても、お前の弾丸は一度も迷わなかった。……お前が指揮を執れ。UPLは……お前に託す。カイン……『俺の……悲しみ』を受け取れ。それが、この世界を……蠍から人を守るための、唯一の力になる……」
刹那、中尉の目から光が完全に消滅した。
『中尉の電脳は完全に破壊されているわ……もう……カイン……貴方は生きて継がなきゃいけないの……緊急リブートをして……お願いよ……』
アリアの声は途中で消える。
刹那、死んだはずの中尉の電脳からカインの電脳へ、膨大な容量のデータが濁流となってダウンロードされていく。
UPLの機密、全権限、そして戦士たち……UPLの全記録……。
情報の洪水が……UPLの壮絶な歴史がカインの脳を焼く。
しかし、その最後、暗号化もされていない、最も深い場所に隠されていたフォルダが静かに開いた。
そこにあったのは、一枚の写真データだった。
若い銀髪の、まだ少しあどけなさを残した細身の女性と、全身が生身の人間であった頃の中尉。
二人はそれぞれ、瓜二つの顔をした幼い女の子を、腕の中に大切そうに抱きしめている。
中尉は同一人物とは思えないような笑顔で、その幼い女の子の頬に自らの顔をくっつけて笑っていた。
公園の木漏れ日の中、この三人がジュリアン中尉を「パパ」と呼ぶ声が、カインには確かに聞こえた。
音声データなど入っていないはずなのに。
中尉の口元が、わずかに、本当にわずかに、満足げな微笑みの形を作った。
カインは頷くと、中尉の腰から『雷切』を外し、自らの左腰に帯びる。
ジュリアン・ヴァルテールUPL中尉の最期の言葉は、電脳を介して、生き残ったUPLの戦士たち全員の耳に、静かに届いた。
「シン……シア……。待たせたな、これから……帰るよ。ユイ…………ユキ……。約束して……いた……プレゼ……が……あ……るんだ……た……んじょうび……おめで……と……」
中尉の首が、力なく垂れた。
BEHEMOTH (鋼鉄の骨格を持つ獣)としての過酷な生涯を終え、彼はようやく、ずっと帰りたかったあの日の木漏れ日の下へ、愛する者たちの元へと旅立った。
戦いの合間、地下施設には何度もゾディアックの狂気的な猛攻が叩き込まれていた。
だが、メイシー・トレントがその命を灯火にして再起動させたエメラルドグリーンのバリアは、神々のいかなる暴力も通さなかった。
あの日、あの瞬間、彼女が身を挺してケーブルを切り替えなければ、地下にいたほのかも、ノエルも、ドクターFも、全員が跡形もなく蒸発していたのだ。
静まり返った瓦礫の山の上で、カインは中尉の亡骸の前で膝をつく。
限界まで崩壊した電脳システムを守るための、強制リブート・シャットダウン。
その手には、託されたばかりの重すぎる「遺志」と、未来を繋ぐための血塗られた一振りの刀が握られていた。




