第96話 神々の饗宴
刹那、中尉の愛刀『雷切』が、物理法則を無視した速度で閃く。
刀身にコーティングされた特殊高帯電導膜が高圧の電撃を撒き散らしながら、ピスケス(魚座)の両腕を肘から先を完全に切り飛ばした。
「アアアアアアッ! 私の、私の…………腕がぁぁッ! 」
「……開戦だ」
ジュリアン中尉の、低く、重苦しい声が湿った空気を切り裂いた。
中尉が蹴り飛ばしたピスケスは、両手がないまま、カプリコーンの近くに汚らしく転がる。
ピスケスの絶叫が、雨上がりの朝のハワイに響き渡る。
彼女の両腕の切り口からは、新鮮なオイルではなく、古びた回路から漏れ出すような黒い液体が飛び散った。
だが、その悲鳴こそが、さらなる地獄の蓋を開ける合図となった。
(アクエリアスがいる……。奴を殺すための、ドクターの執念――ヴェノム・ブレイズ……あれが欲しい)
中尉の背中を、刺すような戦慄が過ぎる。
アシュトン・ゾドリゲス海軍特務大佐。
アクエリアス(水瓶座)。
その流体装甲を内部から焼滅させる唯一の手段『ヴェノム・ブレイズ』は、ドクターFがこの地下の奥深くに隠したものだ。
(崩壊した通路を通り、三層下まで降りなければならん。……だが、今は一歩も引けん!)
(アリア!)
『右飛ぶ!ジャンプ!爺さん撃って!』
アリアの叫びと同時に、空間が鳴いた。
――キンッ!
鋭い高周波音と共に、カインの残像を陽電子レーザーカッターが正確に横切る。
触れた空気が対消滅を起こし、真空の裂け目が一瞬だけ火花を散らした。
ガン! ガン! ガン!
すでに上空へと跳ね上がっていたカインが、滞空姿勢のまま『ジャッジメント・リヴァイアサン』を連射する。
カプリコーンは老練な武芸者の如き無駄のない動きで回避を試みるが、カインの放ったACHR(対サイボーグ重量弾)二発が、そのリブ装甲へ吸い込まれるように着弾した。
超高硬度の重装甲が火花を散らし、弾き返す。
だが、弾頭に込められた凄まじい運動エネルギーまでは相殺しきれない。
「ぐっ……!」
内臓を直接揺さぶるような衝撃が、カプリコーンの人工肺から強制的に排気を促し、一瞬、その動きを止めさせた。
だが、老兵は止まらない。
即座に腕を払い、横薙ぎの一閃を放つ。
――キンッ!
『カイン! 陽電子レーザーカッターよ! 電磁バリアも意味ないわ。触れた場所から分子ごと対消滅して消されちゃう!』
アリアの警告に、カインは空中で無理やり身体をのけ反らせた。
鼻先を掠める死の光。カインの金髪の前髪が数筋、熱すら持たずに空間から消滅した。
ガンッ! ガンッ!
着地と同時に放たれたカインの追撃。
カプリコーンは流れるような独特の古武術的歩法で致命傷を避けるが、続く一発がその右膝を逃さず捉えた。
「……ぬうっ!」
ガギン!
剛剛たる金属音が響き、山羊座の体がわずかにバランスを崩す。
その刹那、カインは『ジャッジメント・リヴァイアサン』のシリンダーをスイングアウトし、排莢と装填をコンマ数秒で完了させた。
同時に、横で喚き散らしていたピスケスの顔面を、重い前蹴りで無造作に蹴り飛ばす。
肉と機械がひしゃげる不快な音が響くが、カインは一瞥もくれない。
『カイン!後2m飛ぶ!そこ!ジャンプ!撃って!』
刹那、再びカインが上空へと跳ね上がった。
――キンッ! キンッ!
二筋の陽電子の刃が、カインの足裏を掠めて地面を抉る。
直後、その一閃はUPL地下防衛用の陽電子バリアと接触。
凄まじい光を放ちながら「対消滅」の連鎖が起こり、一瞬だけ地面から風景が真っ白に塗りつぶされた。
カインはアリアの描く予測線に撃ち込んでいた。
ガン!ガン!
キン!キン!
カプリコーンの頑丈な脚部装甲をカインの弾が掠め、カインの頬に二筋の傷がついた。
カインの背後では、防御電磁バリア膜が過負荷で霧散した刹那、残った刃の余波がUPL地下最深部に至る鋼鉄の隔壁を直撃する。
いかなる物理兵器も受け付けないはずの装甲板に、熱ですらなく、ただ物質が削り取られたことによる二筋の赤い「線」が、生々しく刻まれた。
カインの網膜には、アリアが演算し続ける数百の機動演算が流れ続けていた。
山羊座が次に放つであろう陽電子の斬撃軌道……死の未来予測が、青白い光の奔流となってカインの網膜に滝のように流れ続ける。
『カイン撃って!すぐ左飛ぶ!山羊座の爺さんが狙ってる! 止まったらダメ!」
脳内のアリアが叫ぶ。
カプリコーン(山羊座)の手の甲が青白く光り、陽電子レーザーが放たれる。
カプリコーンの手をACHR弾が強制的に跳ね上げる。
ガン!
キン!
触れたものすべてを「無」に還す対消滅の光の刃が、バランスを崩したカプリコーンにより上空に放たれる。
カインは空中で身を捩り、着地と同時にヘカトンケイル・アームズ LV-04 『ベヒーモス・バスター』を抜き放つ。
ガキン!
対サイボーグ用EX弾頭――ライフル規格の20mm徹甲炸裂弾(20mm Anti-Cyborg APHE (Armor Piercing High Explosive)が、カインの素早いボルト操作により薬室に装填される重厚な金属音。
ドゴォォォォォ!
銃声というよりは、もはや空間そのものが爆砕したかのような衝撃波。
タングステン芯を飲み込んだ安定化ニトロ弾頭という狂気の20mm徹甲炸裂弾は、死の直線を引いて山羊座の眉間へと吸い込まれていく。
カプリコーンは、ギリギリの挙動で頭部をわずかに傾ける。
直後、侍たる彼の回路に、かつてない強烈な戦慄が奔った。
油断などという生易しいものではない。
目の前のこの若造――カイン・ヴィラールは、神の一角たる己の命を一瞬で、かつ無造作に刈り取ることのできる「死神」なのだ。
超音速で空気を引き裂く二発目の弾丸が、再び山羊座の耳元を掠めていく。
ドォォォォンッ!
後方の強化壁が爆発的に粉砕され、コンクリートの礫が周囲を襲った。
今の回避は、もはや山羊座の卓越した技量によるものではない。
ただの「運」でしかなかったことを、山羊座自身が最も深く理解していた。
――キンッ! キンッ!
続けざまに放たれた陽電子の一閃。
だが、空間に穿たれたはずの死の線は、空しく虚空を裂くのみ。
まただ。
この若造は、回避不能であるはずの亜光速の斬撃を、まるで未来を知っているかのように避け続けている。
「……何という事だ……物理限界を超えた反応速度……達人(TATSUJIN )か……」
神の権威が、泥臭い火薬の煙と、計算不能な「執念」によって汚されていく。
カプリコーンの胸中に、初めて「敗北」という不吉な二文字が、冷たい毒のように広がり始めていた。
カインは、止まれない。
止まれば次の瞬間に、陽電子の刃によって細胞の一つまで細切れにされることを、野生の嗅覚が理解していた。
そして、カインには陽電子レーザーカッターの軌道は読めなかった。
アリアの超空間演算を持ってして、ギリギリの回避をしている。
だが――それは、カプリコーンも同じだった。
この戦場で誰よりも多くの死を見てきた山羊座の演算電脳は、カインが放つ『ベヒーモス』の一撃一撃に、自身の「終焉」を予感していた。
25世紀の最新装甲といえど、至近距離から叩き込まれる20mm弾の質量と炸薬の暴力の前では、一撃で頭部スケルトンユニットを全損させられ、シャットダウン(電脳破壊)へ向かうのだ。
死神と死神が、コンマ数秒の刹那を削り合う。
一歩でも踏み込みを誤れば、そこが墓標となる――そんな絶対的な虚無の淵を、二人の修羅は踊り続けていた。
「くそ!!なんだこれは」
様々な色の薔薇が中空を舞い、ラズロの進路を阻んでいた。
ラズロが悪態をつく。
左腕の『ハデス・クロウ』が展開され、三本の鈍色の鉤爪が高周波振動を始めた。
「死ねぇッ!」
ハデス・クロウが空を切る。
触れた物質を分子レベルで粉砕するその一撃が、様々な色の薔薇を分子へと還元し、ピスケスの右足を消し飛ばし、分子へと変えた。
「きゃぁぁぁぁぁぁ」
しかし、その背後から、絶対零度の冷気が忍び寄る。
「……不潔な鼠め。身の程を知れ」
アクエリアス(水瓶座)、アシュトン大佐が静かに歩み出る。
その全身を覆う液体金属が、鏡のように周囲の惨劇を映し出していた。
「おい、ラズロ! 離れろ!」
中尉の警告は、一歩遅かった。
アクエリアスが振るった腕が、鞭のようにしなやかに伸長した。
液体金属の奔流が瞬時にラズロの右腕を捕らえ、直後、吸い込まれるような速度で元の形状へと回帰する。
触れられた刹那、ラズロの右腕を覆う単結晶チタンの装甲が、生体皮膚ごと一気に白濁した。
「クソッ、右手が……! 感覚がねぇ、凍りついてやがる!」
超合金のフレームすら芯まで凍てつかせる絶対零度の抱擁。
ラズロが叫ぶが、その腕はもはや自らの意思で動かすことのできない「氷柱」と化していた。
しかしながらラズロは怯まない。
隙を見せていたタウラスの後頭部に左手……ハデス・クロウを振り抜こうと肉薄した。
『クスクス……』
戦場の喧騒を嘲笑うような、場違いに可憐な笑い声。
サジタリアスが愉悦に瞳を細めて右腕から何かを発射した。
――ダァーーン!
放たれた何かが、白く結晶化したラズロの右腕に吸い込まれる。
サジタリアスの右手からせり出した36mm口径の銃口から放たれたのは、多段階加速式・反物質砲 『イシュタル・ゲート』。
『ハハハ! 壊れちゃった! きれーい!』
――パリンッ!
それは、重厚な金属がひしゃげる音ではなかった。
薄氷が路面に叩きつけられた時のような、あまりに脆いものが終わりを告げる破砕音。
ラズロの右腕は肘から先が、宝石の欠片のように無数の破片となって虚空へ霧散し、後に残されたのは火花を吹く無残な切断面だけだった。
「ラズロ!アクエリアスに触れるなッ!」
中尉が割って入り、ラズロの身体を突き飛ばした。
アクエリアスの手が、中尉の胸元に伸びる。
瞬時に裁断されたアクエリアスの触手は地面に落ちると、アクエリアスの足に戻る。
「クソが、ジュリアン。……お前の二人の娘を覚えているか?あの悲鳴は素晴らしかったぞ」
アクエリアスが、聖職者のような穏やかな顔で、残酷な言葉を吐く。
「……貴様ッ!!」
ジュリアンの左目が一瞬、漆黒の光を湛える。
『アビス・フレイム』が、サングラスの奥で紅蓮に燃え上がった。
キィィィィィィィィ!
超短波レーザーが至近距離からアクエリアスを襲う。
「シュウシュウ」と、アクエリアスの流体金属装甲が音を立ててメタルガス(気化金属)となり、霧散する。
液体金属の装甲が瞬時に蒸発し、頭部のメインフレームが半分剥き出しになった。
「うがぁ!あの時潰してやった目かぁ!」
同時に中尉は、右胸の中央から超重量液体弾頭『トリニティ・レクイエム』を展開。
ガキン!ガギン!
至近距離で撃ち込まれた液体重金属弾がAquariusの腹部へ浸透し、流体装甲を炸裂させ、基礎フレームに超重圧をかけて、その機能を内側から崩壊させていく。
「こ……この雑魚がぁぁ!!神に……不敬だぁ!」
振り回す、液体金属装甲が刃となり、触手となるが、中尉の刀……『雷切』が高電圧の咆哮を上げながら切り飛ばす。
すぐさま「バチン!」と鞘に入れた雷切が「妻と娘二人を惨殺したアクエリアスを殺せ」と叫ぶ。
そこをサジタリアスが中尉を狙う。
『カイン! 射手座の隙を突いて! 中尉が危ない!』
カインは身を低くして疾走すると、右手の『オルトロス』を露出し、毎分1200発のレーザーバルカンを射手座に浴びせる。
ガン!ギン!ガン!ガン!ギン!
「あぁあ!痛い!痛い!」
「美しい私に……神に!傷をつけたわね!」
サジタリアスが叫ぶが、カインの左手に持たれた神殺し……『BEHEMOTH』がその胸部装甲をぶち抜いた。
至近距離の着弾による内部での炸裂。
容赦なく放たれる二発目。
ドゴォォォォォン!
サジタリアスの左腕が、肩から無残に吹き飛ぶ。
だが、執念深い射手座の一撃が、カインの右足を膝から下を狙う。
必殺の距離――バキィン!
ランがサジタリアスの腕を蹴り上げると同時に、サジタリアスの一矢は天空に吸い込まれる。
「まだだ! 逃がさん!」
タウルス(牡牛座)が、重力制御鞭を荒れ狂わせる。
数トンの質量を持った八本の鞭が、ランの背中に刺さった。
「あぁ!」
ランの強化骨格がきしむ音が響く。
「お嬢、跳べ! 」
顔を苦痛で歪めながらもランは飛び退く。
ガガン!ガガガン!
ギン!バキィン!
コンラートが『ティアマット』を片手で連射し、牡牛座の注意を引く。
「ありが……と……コンラート…ゲホッ……ガハッ……」
好機と見たアクエリアスがランに肉薄した。 「惨たらしく死ね!女!」
刹那、ランのチャイナドレスのスリットから、伸びたしなやかな脚の先……単チタン結晶化アクチュエーターが露出し、ひしゃげた鋼鉄の床に美しいくるぶしから露出したアンカーを打ち込む。
「ガキィン!」と響く音にアクエリアスが一瞬戸惑う。
反動を完全に殺した『グラム・レイ・ジークフリード』が火を吹き、水瓶座の腹部、脚部、牡牛座の脇腹を穿った。
ガァン!ガァン!ガァン!ガァン!
しかし、不意に戦況を絶望が支配する。
射手座が放った不意の一撃が、UPL地下区画最後の防衛の要である電磁バリアのメインケーブルを断ち切ったのだ。
「メインバリア、消失! ダメ……間に合わない!」
オペレーター室から、ノエルの悲鳴が通信機越しに届く。
バリアが消えた今、十二宮の攻撃が逸れれば、その先にはメイシー、ほのか、カール、そしてドクターFがいる。
彼らは生身に近い、あるいは非武装のサイボーグだ。
ゾディアックの一撃で、跡形もなく消滅する。
「……ジュリアン……バリアが無くなったなぁ」
液体金属を波打たせ、失った足を瞬時に再生させながら、アクエリアスが狂気に満ちた笑みを深める。
ジュリアン中尉は、血とオイルが混じり合った濁った唾を無造作に吐き捨てた。
過負荷に震える指先で『雷切』の柄を強引に握り直し、重心を深く落とした低い居合の姿勢をとる。
――ジジ、ジジジ……。
左眼の奥底から漏れ出す不吉な駆動音は、奥義『冥界の炎』の再チャージが未だ完了していないことを残酷に物語っていた。
剥き出しの回路が放電し、中尉の視界をノイズが赤く塗り潰していく。
電磁バリアという最後の殻を失い、仲間の命を曝け出した壊滅寸前の地下施設。
カインが、ラズロが、そしてコンラートとランも――。
戦士たちの視線の端が、無意識のうちに背後の地下施設を捉え始めていた。
剥き出しになった非戦闘員達のゆりかご。
バリアを失ったその先に、戦う術を持たない仲間たちの「命」が置かれているという事実は、彼らの鋼鉄の理性に、拭い去れない焦燥を生じさせる。
だが、それはゾディアックらにとって、煩わしく抗う獣たちの動きを止めるための、あまりに明白な「急所」でしかなかった。
彼らの眼に宿るのは、戦士としての敬意ではない。
それは、追い詰めた弱者を蹂躙し、その絶望を愛でようとする、非戦闘員の虐殺を「絶好の愉悦」と捉える邪なる神々の瞳だった。
天上の玉座から降り立った「神々」と、泥を啜りながら牙を剥く「BEHEMOTH(鋼鉄の骨格を持つ獣)」たちの饗宴は、今、最も凄惨にして苛烈なフィナーレへと突入しようとしていた。




