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第95話 神々との邂逅

 ハワイの夜明けを支配していたのは、もはや南国の柔らかな湿り気ではなかった。  

 大気を焼き尽くした陽電子の焦げ付いた臭いと、血と鉄と焼けたオイル、そして電子機器が断末魔を上げる異質な静寂。

 UPL地下司令室。

 かつてはコンラートの軽口やノエルが淹れるコーヒーの香りが漂っていたその場所は、いまやひび割れたコンクリートの隙間から不気味な火花が散る、鉄の墓標へと変わり果てていた。


「独立憲兵隊第71中隊、全滅……。中隊長ミリア・アニエラ中尉、バイタル消失。……シャットダウン(機能停止)を確認」


 無機質なシステム音声が室内に響き渡った瞬間、ほのかの心の中で、かろうじて形を保っていた「何か」音を立てて粉々に砕け散った。


「嘘……。嘘よ、そんなの……! ミリア……ミリーが……! たまごくまちゃんのイベント、明日なのよ!? 二枚、チケット取れたんだよ!? 一緒に行くって、約束したのに……。限定版……大佐……一緒に買いに行くって……ミリー、すっごく楽しみにしてたのに……っ!あっあっあぁぁぁ……うふぅ……ぁぁああ……」


 両親と妹を理不尽なテロで失った時も、愛する妹はるかの面影を残す遺品が陽電子砲で消し炭に変わった時も、彼女はUPLエージェントとしての矜持で涙を食い止めてきた。

 だが、「たまごくまちゃん」を愛でる唯一無二の親友の死。

 その残酷な事実は、ほのかの精神を無慈悲に、そして徹底的に決壊させた。

「うっ、うう……。ミリー……ミリー! あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」

 床に崩れ落ち、喉をかきむしるようにして絶叫するほのか。

 床に四つん這いになり、激しく震える背中を、ノエルが痛ましいものを見るような瞳で、無言のまま強く、壊れ物を扱うように抱きしめた。

「ほのか…………」

 ノエルの声も、かすかに震えていた。

 慰めの言葉など、この地獄には一文字も存在しない。

 ただ、地獄を知る者同士、共に震えることしかできなかった。


 UPL警護を担う独立憲兵隊は、全五個中隊のうち、ミリア率いる第71中隊が当番隊として地上の盾となっていた。

 非番であった残り四個中隊が現在時、緊急招集により配置につき、壊滅した第71中隊を収容したとの報告が入る。

 しかし、それは「遺体の回収」報告であった。


 一方、地上。

 灼熱の硝煙を切り裂き、五つの「生身の男女」が、UPLエージェント五名の目前に殺到した。


「……最悪だ。全員がゾディアック(十二宮)だ……。いいか全員……死ぬな。今は殺そうとも思うな……! 目標はただ一つ……『味方全員の生存』だ。いつかは倒せる……だが、今じゃない……!」


 ジュリアン中尉の電脳から、全メンバーへ叩きつけられるような、悲鳴に近い警告が飛ぶ。

 それは、百戦錬磨の彼が初めて見せた、敗北への恐怖ではなく「家族」を失うことへの怯えだった。


「野郎ども、身構えろ! 生き残りたきゃ、瞬きすらするなッ!」


 カインが吠えた。

 常に氷のように冷徹な彼には似つかわしくない、剥き出しの怒号。

 だが、その声は戦場に満ちていた「五人のゾディアックという絶望」を強引に切り裂いた。

 恐怖で四肢を凍りつかせ、毒蛇に睨まれた蛙のように動けなくなっていた仲間たちが、その怒鳴り声によって物理的に「叩き起こされた」のだ。


 ラズロが、ランが、そしてコンラートが。

 カインの「言葉の杭」を打ち込まれたことで、怒りと恐怖に呑まれかけていた集中力をかろうじて手元に引き戻し、再び戦闘態勢へと沈み込む。


 その光景を横目で捉えたジュリアン中尉は、胸の内で密かに舌を巻いた。

(……カインか……リーダーの資質は見せていたが……。こいつはただのエクスキューショナー(処刑人)じゃない……絶望の中でも仲間を繋ぎ止める、稀有な指揮官の資質か)

 最前線に立ち続け、今、自らも死を覚悟した中尉の瞳に、自分亡き後のUPLを背負う「次代のリーダー」としての光が、カインの背中に重なって見えた。


『カイン……落ち着いて。『ベヒーモス』を抜く時は気をつけて。焦って一瞬でも隙を作れば、危ないよ……』


 電脳の底、精神の深淵から届いたアリアの囁き。

 その声は慈愛に満ちていたが、同時にカインが「怒りに呑まれる」ことへの、微かな、しかし切実な懸念を孕んでいた。


(……心配するな、アリア。他の奴らの身体の硬さを取りたかっただけだ。……集中するぞ)


 カインは電脳空間に、静かに強靭な意志を走らせた。

 カインは、一秒先に訪れる死の予兆すら見逃さないために、意識を極限まで研ぎ澄ませている。

 

『……ふふ。さすが私のダーリンね』

 アリアの意識はすでにカインの全感覚系に深く、優しく同期している。


『死なせない。……カインも、他の仲間も……』

 アリアの呟き。

 アリアが自分の中にいる。

 その確信だけが、この絶望的な戦場において、カインが人間として踏み止まり、そして「神」に抗うための最大の武器だった。


 カインは、アリアの形見である『ジャッジメント・リヴァイアサン』の重厚なグリップを、指が白くなるほど強く握り直した。

 ラズロは『ケルベロス』の銃口を向け、ランは指先一つの無駄も排してボルトを引く。

 だが、相手はゾディアック(十二宮)たちだ。


 地下では、ドクトルが、カールが、メイシーたちが「何か援護はできないか」と必死に、血に汚れた手でコンソールを叩き、司令室を駆け回る。

 親友を亡くしたばかりのほのかは、涙を止めないまま、生きている火器管制を探して火脹れた指で物理コンソールを叩き続けている。

 しかし、その必死の電子活動から漏れ出す微弱な熱量こそが、地上の「人工の神」たちに、愛すべき獲物の位置を正確に教えていた。


「お初にお目にかかります。私はアクエリアス(水瓶座)。……愚かなUPLの皆さん、初めまして。そして――さようなら」

 海軍大佐の制服を端正に着こなした蒼髪の男、アクエリアスが、極めて洗練された動作で一礼する。

 その瞳は凍てついた湖底のように冷たく、そこに慈悲の欠片など存在しない。

 地下のモニター越しにその姿を見たドクターFが、喉を潰さんばかりに叫んだ。

「アクエリアス! 貴様……! 殺してくれ、頼む! コイツを……コイツを殺せぇッ!!」

 ドクターがかつての悔恨から、この男を葬り去るためだけに開発していた「対Aquarius特殊兵器――ヴェノム・ブレイズ」。

 だが、その執念の結晶は、先ほどの陽電子砲がもたらした崩落の底、冷たい瓦礫の海に深く沈んでいた。


 全身をマイナス150度まで急速冷却される流体金属装甲で覆い、あらゆる物理攻撃を脆化させ、あらゆる物理弾を霧散させる破壊神、アクエリアス。

 その鉄壁を打ち破るための唯一の勝機は、もはや届かぬ深淵へと消え去っていたのだ。


「あらあら。可愛らしい男だわ……私と溶け合いましょう?」

 タウルス(牡牛座)が、カインを指差すと、ねばつくような妖艶な微笑を浮かべて舌なめずりをした。

「私はタウルス。ごきげんよう。……あの子、私、飼いたいわ。パーツを徹底的に換装して、しばらくは私の玩具として楽しめそう」

 三十代前半の官能を煮詰めたような妖艶な女であった。

 深く入った両足のスリットから覗く、瑞々しい生身の脚。

 彼女から漂う濃厚なフェロモンの香りは、生身の女以外の何者とも思えない。


「タウルス、意地汚いわよ。私の分も残しておいてくださるかしら? 初めまして、皆さん。私はサジタリアス(射手座)。私の奴隷ペットになるなら、たっぷり可愛がって差し上げますわ。クスクスクスクス」

 ピンク色のサイドテールをゆらした、二十歳そこらに見えるロリータファッションの女が、幼い残酷さを孕んだ笑い声を上げる。

 彼女が右腕の生体皮膚を音もなくせり上げると、そこには36mm口径の、およそ人道から外れた巨大な砲口が露出していた。


「……私はカプリコーン(山羊座)。少々、楽しませていただこうか」

 東洋の古風な着物を纏った、剃刀のように痩せた初老の男が、静かに一礼する。

 彼の両手の甲からも、生体皮膚のスリットから4mm口径の高出力レーザー銃口が鋭くせり上がる。


「あら、ワタクシも混ぜて。私はピスケス(魚座)。本当に可愛い子たちが揃っているわねぇ」


 腰まで届く蒼い長髪を風に揺らし、聖母のような慈愛を湛えた微笑を浮かべて、ピスケスが歩み出る。

 彼女の周囲には、色とりどりの薔薇が、物理法則を無視して不自然に浮遊し、甘美な死の香りを振りまいていた。


 白く透けた絹の衣から覗くのは、瑞々しく豊満な女の肉体。

 しかし、その肌の質感や曲線はあまりにも完璧に整いすぎており、見る者に「精巧だがバランスがおかしい人形」を直視した時のような、根源的な生理的違和感を抱かせる。


「これほど十二宮が集まるのは、組織の歴史上初めてのことなのよ。殺してしまうなんて勿体ないわ……。あなたたちはワタクシの奴隷。神たるワタクシに可愛がってもらえるなんて、これ以上の幸福はないでしょう?」


 十代にしか見えないその瑞々しい肢体の主が、実際には八十代後半に達した老婆であることを知る者は、ここには誰もいない。

 若さという名の殻を纏い、美を貪り尽くすその姿は、まさに神話から抜け出した悍ましき魔女そのものであった。


「私、最近奴隷が少なくて寂しいんだから、今回は譲ってよ」

 サジタリアスが、まるでお気に入りのドレスをねだる少女のように口を尖らせる。

「そうはいきませんわ。こんな上玉、めったに手に入りませんもの」

 ピスケスが、慈悲深い笑みのまま一歩も譲らない。

 彼女たちにとって、UPLの精鋭たちは、奪い合い、コレクションにする「トロフィー」でしか無かった。


 ハワイの日差しが本格的に朝を迎えた。

「ほのかさん! 落ち着いて聞いてください!」


 地下でカールが、泣きながらコンソールを叩くほのかの肩を強引に掴んで揺さぶった。

「ミリア中尉からの、最期の電脳通信が記録されています……。『ほのか、逃げて。ゾディアックが来る』……ノイズまみれですが、間違いなく彼女の声です!」

「ミリー……ミリーィ! 嫌だよ、死んじゃうなんて……ひどい……ひどいょぉ……」

 ほのかは、モニターに映る凄惨な戦場を直視できず、再び絶叫する。


「待ってください! 落ち着いて!落ち着いてください!まだ続きがあるんです、よく見て!」

 カールの指が、猛烈な速度で残存データをサルベージしていく。

「ミリア中尉は……首を切断されました。システム上は機能停止です。しかし、MFCS戦死プロトコルが発動していません! なぜなら……首に、誰かがMFCS緊急生命維持装置を接続しています! 電脳、メイン・ジェネレータ共にオールグリーン……彼女は、まだ消えていません!」


「……え? ミリーが……生きてる、の?」

 ほのかの虚ろな瞳に、一筋の、針の穴ほどの光が戻る。


「はい! 今、非番の中隊に収容ポッドを現場へ急行させるよう指示を送りました。私の能力なら……技術なら……私なら、必ずミリア中尉を元に戻せます! 彼女の電脳は、まだ無傷だ! だから……あなたも生きるんです、ほのかさん! 絶望している暇なんてない!」


 ノエルが、力強く、今度は震えるほのかを叱咤するように抱き起こした。

「聞いたわね、ほのか。ミリアはまだ生きてるの。 私たちが生き延びて、何としても択捉えとろふノードへ辿り着くのよ! そこで私が……ドクターとカールと一緒に彼女を完璧に治してみせるわ!そのためにも、コイツら(ゾディアック)をなんとかして、ミリアの身体を回収する必要があるの。分かるわね?」


「ミリー……生きてる……。まだ、間に合うんだね……」

 ほのかの頬を伝う涙は、無力感によるそれから、灼熱の復讐心と生存への執念へと変わった。 

 煤と血で汚れた顔で、彼女は歯を食いしばる。

「あいつら……あの神様ぶった化け物……ミリー!助けなきゃ!」


 地下の最奥で、小さな、しかし消えない火が灯った。

 再び叩き始めるコンソール。

 火脹れた指からの出血は止まらない。

 だが、地上には五人の絶対的な神。

 カインは、電脳の奥で沈黙しつつも牙を研ぐアリアの意志を感じ、蒼い燐光を宿した義眼でゾディアックを睨みつけていた。

 電脳で全員に送る。

(油断している……初撃がチャンスだ。最大限にダメージを与えたい)

 中尉が即座に返す。

(私がやる。私の一撃を合図に一斉にかかれ。いいか……繰り返すが殺そうとするな。生き残れ)


 作られた神々に対する、人に作られたベヒーモス(金属の骨格を持つ者)の反逆。

 その血塗られた戦いの幕が今、上がる。

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