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第93話 推し仲間であり親友でもあり

 午前四時五十二分。

 ハワイの夜明け前を支配していたのは、南国の柔らかな風ではなく、大気を焼き尽くした陽電子の焦げ付いた臭いと、すべてを拒絶するような沈黙だった。


 先ほどパールハーバーの森の奥で、ザイフェルト中佐をその冷徹な眼光だけで追い返したミリア・アニエラ中尉は、いま、地獄のただ中に立っていた。


 あの時、野心という名の毒に瞳を濁らせていた怪しき中佐を、ミリアは見逃さなかった。

 彼女は彼を退けた直後、憲兵隊の通常報告ラインをバイパスし、「大統領ホットライン」へと直結。

 ザイフェルトがUPLの秘匿区域を探っているという「私見」を、一切の躊躇なく上申していた。

 UPLの守護者である彼女には、その権限が与えられているのだ。

 そして今、その予測は最悪の形で的中した。

 あの中佐が「蠍が放ったネズミ」であった事は、現状を見れば間違いない。


 だが、見方を変えれば、ミリアのその独断こそが唯一の希望を繋いだ。

 もし彼女がザイフェルトの異常性を察知し、事前に警告を発していなければ、統一国家軍の正規部隊が展開を完了する前に、UPLは「蠍」の軍勢に文字通り蹂躙され、この世から消滅していたに違いないのだ。


 彼女の冷徹なまでの洞察力が、UPLに生き延びるための「黄金の数分間」を勝ち取らせたのだ。


 彼女が率いる独立憲兵隊第71中隊――統一国家最強の一角と言われる「番犬」たちは、いまや血と煤にまみれ、主人の家を焼いた暴徒を狩る復讐の獣と化している。


「……掃討、完了。十五体目ね……」


 ミリアの低く、氷の刃のような声が響く。

 彼女の左腕。

 左手の生体皮膚内に隠匿された陽電子レーザーサーベルが、シュン、と独特の放電音と共に吸い込まれるように収納された。

 その足元には、レッド・スコルピオンが送り込んだ最新鋭MHCSミリタリー・フル・サイボーグ・ソルジャーが無残な骸を晒している。

 MBT(主力戦車)の正面装甲ですら抑圧対反応でぶち抜く出力を誇るその光刃は、敵の胸部を強化チタンリブ装甲ごと蒸発させ、背後のコンクリート壁まで一本の赤い線として焼き切っていた。


 ミリアは、返り血で汚れた左手の指先を僅かに震わせた。

 憲兵としての仮面の裏側で、一人の女性としてのミリア・アニエラが、胸を引き裂かれるような恐怖に悲鳴を上げていた。

 緑がかったブロンドの髪を束ねたローポニーテールが、爆風の名残に激しく揺れる。

 彼女の視線の先には、無残にひしゃげた数本の鉄骨しか見えず、炎を噴き上げるUPL司令部地上階の惨状があった。


(ほのか……。無事なの? ほのか……!)

 ミリアにとって、ほのかは任務で守るべき対象というだけの存在ではなかった。

 任務中、感情を殺し「UPLの守護者」として振る舞う彼女が、唯一、一人の少女に戻れる「聖域」。

 それが、たまごくまちゃん推し仲間であるほのかとの時間だった。


 場所は、ほのかのヴィラのリビング。

 休日の彼女は、軍服を脱ぎ捨て、水色と白の可愛らしい私服に身を包んでいた。

 フリルや柔らかな生地が、本来なら彼女の「年相応の女性」としての可憐さを引き立てるはずだった。

 だが、彼女がティーカップに残った紅茶の最後の一滴を睨みつけるその眼光は、あまりにも鋭く、そして冷徹だった。


 その視線は、優雅なティータイムを愉しむ者のそれではない。

 頑なに口を割らない尋問対象者の「庇護」――あるいは「致命的な矛盾を」暴き出そうとする、冷徹な憲兵将校のそれだった。


 可愛らしい私服を纏い、ただ紅茶を見つめているだけだというのに、その空間には重苦しい静寂が満ちていた。

 彼女がただそこに座っているだけで、周囲の空気がピンと張り詰め、まるで冷徹な憲兵隊の職務執行現場に迷い込んだかのような錯覚を抱かせる。


 その対極にいたのが、ヴィラの主であるほのかだ。

 対照的に、ほのかは実に行儀が悪かった。

 ふかふかのソファーにうつ伏せで転がり、まるで子供のように両足を交互にパタパタと跳ね上げている。

 その無防備な動作のせいで、お気に入りのスカートの裾は無残に捲り上がり、眩しいほどに白い太ももが露わになっていたが、本人には微塵もそれを気にする様子がない。


「ほのか、脚。……はしたないわよ……見えるわ……」

 ミリアは紅茶を睨みつけたまま、感情を削ぎ落とした声で注意を促す。

 だが、ほのかは「あはは、ミリーしか居ないしさ、いーじゃん!」と、その足を止めるどころか、さらに勢いよく弾ませていた。


 UPLの最深部という、統一国家の最高機密機関で世界の深淵にいる「レッド・スコルピオン」を追い続けるエージェントとしての顔などそこには無い。

 そこにあるのは、ただ夢中になって端末の画面を追いかけ、欲望に忠実な一人の少女の姿だった。


 憲兵将校としてのミリアの理性は、目の前のあまりに規律を欠いた光景に対し、反射的に「おこごと」を発していた。

 だが、ほのかにとってそれは、「細かいことが気になりすぎるミリーの、いつもの事」に過ぎない。

 小鳥のさえずりを聞き流すように、ほのかは意に介さず足をパタパタとさせ続けている。


 ミリアは小さく溜息をつき、再び紅茶に視線を落とした。

 しかしながら、憲兵隊という、軍の法と冷徹な論理が支配する世界で生きている彼女にとって、この「ほのかが醸し出す、救いようのないほどに緩みきった空気」こそが、何物にも代えがたい大切な日常だった。


 自分というMFCSミリタリー・フル・サイボーグ・ソルジャーの、氷のように凍てついた心を解かし、年相応の女の子の日常を取り戻させてくれる存在。

 それは世界でただ一人、この無防備でだらしない親友だけであることを、ミリアは誰よりも深く理解していた。


 次の瞬間、ほのかは奇声を上げてソファーから飛び跳ねた。


「ミリー! ミリー見てよこれ! 奇跡が起きたよ!」

「……どうしたの?ほのか。そんなに慌てて、端末のホログラムが乱れているから見えないわよ」


 ミリアは眉をひそめながらも、カップを置いて親友に向き直る。


『いいから見て! 夏の「フォード・ファンシティたまごくまちゃんフェスティバル」、目玉のビュッフェチケット、二枚取れたんだよ! UPL司令部の超高速回線をちょっとだけバイパスして、一秒の千分の一の戦いに勝ったんだから!』


「……! 本当に!? ほのか、あなた……なんて恐ろしい子。でも……これで、限定の『たまごくまちゃん大佐』の購入権も手に入るわけ!?」


 ミリアの声は、歓喜で震えていた。

 憲兵隊中尉としてのMFCSの精鋭中隊を冷徹に指揮する時ですら見せない、剥き出しの情熱。


『もちろん! 二人でビュッフェでお腹いっぱい食べて、大佐を抱っこして帰るんだ。ミリー、休み取れる?』

 ほのかの屈託のない笑顔が弾ける。

 

『夢みたい……。もちろん、その日は大丈夫。このイベントのせいで、期間中のハワイ行きエア・カーの予約が一切取れないってニュースでやっていたばかりなのに。それを、まさか軍用回線を私物化してまで……』


『えへへ、一秒の千分の一の戦いに勝ったんだから!司令部にもログは一文字も残ってないよ。 天才のカールが手伝ってくれたし……見てミリー、メニューも凄いの。「切っても切ってもたまごくまちゃんが出てくる、たまごくまちゃんローストビーフ」に、「小さなたまごくまちゃんラメがたっぷり入ったソース」だってさー。もう、一体どんなバイオ技術なのこれ!』


『ふふふ……ほのか。私たちは「勝者(チケットを手に入れた者)」として会場に行くのよ? そのローストビーフの構造、そこで存分に検分しましょう。……ああ、大佐が手に入るのね……』


 ミリアは、かつてザイフェルトを凍りつかせたあの絶対零度の瞳を、今はまだ見ぬ「たまごくまちゃん大佐」への純粋な思慕で潤わせていた。


『よし! ミリー。グッズ……ビュッフェ……展示に体験……当日の「たまごくまちゃんイベント満喫作戦」を練るよ。早速用意しなさい、中尉!』


 ほのかがソファーの上に立ち上がり、腰に手を当てると、ビシッとミリアを指差す。

 憲兵としての誇りも、中隊長中尉としての地位も、この愛すべき「親友命令」の前では意味をなさない。

 ミリアはティーカップを置くと、無意識に姿勢を正し、親友へと最高に真面目な敬礼を捧げた。


『サー・イエス・サー! 直ちに作戦行動を開始します!』


 あの時の、太陽のように明るいほのかの笑顔。

 「ミリア中尉」ではなく「ミリー」と呼んでくれる、世界でたった一人の親友。

 ミリアの切れ長の瞳から、一筋の熱い滴がこぼれ落ち、頬の煤を白く拭った。


「……約束したじゃない。限定版の大佐を買いに行くって……。レアチケットだって手に入れたのに……せっかく明日がイベントの日だったのに……ほのか……死んでないよね?……」 

 先ほど放たれた陽電子砲が生易しいものでは無いのは理解している。


 ミリアは電脳に意識を向けた。

 そこには、ほのかが送信してくれたペア電子チケットのバックアップが入っている。

 だが、その感傷を、不快極まりない「羽音」が切り裂いた。


 ブゥゥゥゥゥゥゥゥゥン……。


 空を覆うのは、雲ではない。

 高度四十メートルから五十メートル。重苦しく大気を掻き回し、低空を這うように進撃してくる影。

 レッド・スコルピオンが放った禁忌の生物兵器――人と昆虫を融合させた「装甲虫空挺部隊」。

 カブトムシやクワガタムシのような甲殻を全身に纏い、人間ほどのサイズに肥大化したその怪異たちが、十二体ほどの群れを成してUPL司令部へと向かっていた。


「……気色の悪い。あんな汚らわしい羽虫に、私たちの『英雄』を汚させはしない」


 ミリアの瞳から涙が消え、絶対零度の殺意が宿った。

 彼女は翻り、背後に控える第71中隊の精鋭たちに向き直った。

 全身をフルサイボーグ化した彼らは、かつて『蠍』によって故郷を、大事な人を、あるいは己の肉体を奪われた者たちが多い。

 彼らは、「蠍」を打ち倒す最強の刃であるUPLに強烈な忠誠心を抱いている。

 そして目の前で自分たち統一国家最強中隊を率いる、気高く美しいミリア中尉に、魂のすべてを捧げていた。

 正規軍最強MFCSというものは伊達ではない。

 そして、彼らはミリアのために、いくらでも修羅になり、喜んで死ねるのだ。


「中隊、各員に告ぐ! 標的、北北西より接近する羽虫共! 我が主の家を焼いた虫共を消し去りなさい……ただ一匹も残すな!」


「「「イエス! マム(Yes, Ma'am)!!」」」


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