第92話 潜んでいた蠍達
中尉がふと、朝日が登り始めた空を見上げた。
直後、鼓膜を暴力的に震わせるソニックブーム(衝撃波)が地上を叩き、大気が震え、悲鳴を上げた。
マッハ2.2、推定速度2700km以上。
雲を切り裂き、死神の鎌のようなシルエットが青い空に躍り出る。
統一国家空軍が誇る最新鋭戦闘機『ウィンド・レイス』の編隊だ。
対サイボーグ特化戦闘機――。
それは、電脳を持たない対象には「広域制圧」を、そしてMFCSに対しては「ピンポイントの処刑」を執行する、統一国家空軍の冷徹なドクトリンそのものだった。
一機の有人母機に対し、三機のAI随伴RWD『イーグル・アイ』が、まるで親鳥に懐く雛鳥のように付き従う。
このAIには2100年から2492年の現代までのパイロット挙動を蓄積し続けている戦闘データが叩き込まれている。
「……始まったな」
中尉の呟きをかき消すように、母機から無数のミサイルが射出された。
当初、それらのミサイルは誘導を絶った無誘導ロケット弾として、目標から離れて時速8400kmで直進する。
だが、着弾のコンマ数秒前、急降下したドローンがターゲットのレッドスコルピオン兵に誘導レーザーを照射した瞬間、その「直進するだけのロケット弾」は意志を持ったミサイルへと変貌するのだ。
「ターゲットロック。エグゼキュート(処刑)」
ドローンの無機質な合成音声が響く。
逃走経路を先読みし、迎撃へ転じようとするレッドスコルピオンのMFCS。
その頭上から、別の随伴ドローンが対サイボーグ弾頭のバルカンを掃射する。
逃げ場を奪われ、機動が削がれた死角へと、マッハを越えるミサイルが吸い込まれた。
衝撃と共に弾頭に充填された重液体金属が爆砕する。
それはMFCSの強靭なフレームごと粉砕した。
敵の中には、正規軍のMFCSでありながら
『蠍』の構成員としての立場を隠匿し、正規兵として潜伏していた者が少なくなかった。
将官こそ居なかったものの、数多くの佐官までもが蠍に毒されていたのである。
彼らは「レッドスコルピオン内部での出世のチャンス」という甘い毒に酔いしれ、誇らしげに侵攻の先陣を切ったのだ。
彼らは信じていた。
自分たちが振るう「正規兵としての暴力」こそが、この世で唯一無二の力であると。
だが、いかに世界中の軍や警察に毒を回した『蠍』といえども、国家という巨人が長年積み上げてきた「純粋な暴力の結晶」――その底知れぬ深淵を、あまりにも甘く見ていた。
空軍による精密処刑と、海軍による重厚な破壊は、互いに干渉することなく戦場を鮮やかに蹂躙していた。
統合参謀本部AI空間火器管制システム。
それが全戦域のデータを並列処理し、艦砲の弾道と戦闘機の航跡が交差する一ミリの狂いすら許さない。
艦砲の轟鳴が大地を震わせる。
海軍の対サイボーグ戦ドクトリンでは、無駄な「面制圧」などは行われない。
ただ一点、標的のコアだけを確実に、最高の貫通力を持って撃ち抜く「一射一殺」。
空軍の軽快な動きに翻弄され、機動を奪われたサイボーグの強靭な結晶化チタンセラミック複合装甲フレームを、海軍が放つ流体金属弾頭が容易く、そして無慈悲に引き裂いていく。
圧倒的な物量による蹂躙が始まった。
だが、戦場は依然として、一筋縄ではいかない地獄の様相を呈していた。
忘れてはならない。
完全換装されたMFCSとは本来、たった一人で駆逐艦一隻分に相当する火力をその肉体に凝縮した、歩く戦略兵器なのだ。
「……ちっ、一匹落とすのにどれだけ弾を食わせればいいんだ!」
地上のAFV『アイアン・センチネル』から、若い少尉の悲鳴に近い通信が漏れる。
マッハを越えるミサイルの直撃を受け、重液体金属にフレームを爆砕されたはずの蠍のサイボーグが、千切れた左腕を火花とともに撒き散らしながら、なおも単身で装甲車へと肉薄する。
その狂気じみた駆動音――高周波モーターの咆哮が、周囲の大気を物理的に震わせていた。
素手で装甲車の装甲を抉り始めた個体の頭に30mm対サイボーグ炸裂弾頭が着弾して、ようやく一匹の動きが止まった。
戦域全体を俯瞰すれば正規軍の圧倒的優位は揺るがない。
しかし、局地的な接点では、少しずつ、だが確実に正規兵たちの損害が目立ち始めていた。
「第3小隊、反応消失! 車輌側面に隠匿してあったトラップだ! 奴ら、車輌にナノシリカ粉末を仕込んでやがった!」
無線から上がる怒号。
それは、内部に浸透していた『レッド・スコルピオン』の構成員たちが、あらかじめ己のいた原隊に置き土産として残していった、無数の卑劣なトラップだった。
味方車両の整備用ハッチを開ければ、潜んでいた高濃度の腐食性ガスが噴出し、進撃する強化外骨格装甲兵のフレームの隙間から周囲を溶かしていく霧が出る。
補給物資の中に紛れ込ませたそれは、起爆と共に『リキッド・クレイモア(液化金属指向性散弾)』へと変貌し、居合わせた正規兵の肉体と機械を等しく挽き肉へと変えた。
もはやそれは戦術などではない。
自らの正体を『蠍』だと明かした者たちが、かつての原隊に残していった「嫌がらせ」であった。
「中尉……。正規軍の輸送機が、サイボーグ兵の増援を投下し始めたぞ。なんと素早い援軍じゃ……。奴らの電脳リンクが、戦場を真っ青に塗り替えておるわい」
ドクターFの通信が、興奮と安堵で震えながら届く。
中尉は雷切の柄を握り直し、鼻で笑った。
「ああ……あのタヌキオヤジ……大統領だろう……」
中尉は「クックック」と笑うと「第39代統一国家大統領セロン・E・ハルフォードの差し金だろうな。UPL警護役の憲兵から、官邸のホットラインに報告が入ったに違いない。体裁を気にするあの男のことだ、UPLという『最強の聖剣』を蠍に叩き折られたとあっては、たまらんからな。我々にはとてつもない金が掛かっている……そういう事だ」と目を細めた。
その頃、UPL地下司令室の片隅では、負傷の手当てを終えた三人娘が互いの肩を寄せ合い、震える声で泣いていた。
「助かった……?もう……大丈夫なんだよね……?私たち死なずに済むのかな……?」
ほのかが、血と煤で汚れた手でノエルの服の裾をぎゅっと握りしめる。
その指先はまだ、死の恐怖に震えていた。
「……ええ、大丈夫よ。見て、正規軍が私たちの味方をしてる……援軍も増えてきている……」
ノエルが、涙を拭いながらモニターを指さした。
「死なないわ! 中尉がいる……。それに、見てなさい。私たちの家を焼いたあの連中が、これから『ゴミ』みたいに掃除されていくんだから……!死ね!蠍ども!」
メイシーが、唇を噛み締めながら、モニターの中で爆発四散する蠍の輸送機を見つめる。
その瞳には、恐怖を塗りつぶすほどの激しい殺意が宿っていた。
不意に、中国地区第55対衛星高度宇宙軍基地からの電文が、UPLの司令部通信に届いた。
『陽電子砲搭載攻撃衛星「バハムート」、叛乱のため撃墜。繰り返す、目標は完全に消失した』
「ひゃほーい」と思わず叫んだメイシー。
カールがガッツポーズをして、ドクターが笑う。
ノエルたちが、割れんばかりの歓喜の声を上げ、その報告を即座にUPLの戦術リンクへと転送した。
姿も見えぬ、どこか遠くの見知らぬ味方が、死の審判を下す『邪神の槍』を撃破してくれたのだ。
それは、もはや彼らの上に二度目の陽電子砲が降り注ぐことはないという、大きな勝利の予兆だった。
戦場には未だ多くのサイボーグ兵がひしめき、死に物狂いの抵抗を続けていた。
彼らは『レッド・スコルピオン構成員』としての正体を晒した以上、もはや引き返す道などない。
「戦果を挙げて組織内での栄達を掴む」か、あるいはここで朽ち果てるか。
その二択に突き動かされた、狂信的なまでの執着だった。
しかし、その足掻きを嘲笑うかのように、海空からの猛攻に加え、地平の彼方からは陸戦部隊による狙撃が開始された。
ボルトアクション式・電磁加速併用狙撃銃で射出されるのは、対サイボーグ固形電気弾頭。
放たれる一撃一撃が、確実に、そして事務的に『蠍』の息の根を止めていく。
「シュタイナー、距離2400。一匹、排除」
「グラハム、次弾装填。残存兵力散開……敵MFCS中隊、逃走開始と断定。後方から掃討を開始する」
無線から流れる正規軍スナイパーたちの淡々とした報告。
結局、レッドスコルピオンの精鋭兵たちは、ただの一人としてUPLの最終防衛エリア、その境界線に侵入する事すら叶わなかった。
彼らが踏み荒らそうとしたUPLという聖域は、「国家の暴力」によって、処刑場へと変貌していた。
ジュリアン・ヴァルテール中尉は、硝煙の向こうで繰り広げられる戦闘を、ただ静かに見守っていた。
UPLの五人は、未だ一歩も動いてはいない。
だが、これほどの規模で襲撃を仕掛けてきた『レッド・スコルピオン』が、ゾディアック(十二宮)の一人も投入せぬまま壊滅の道を選ぶなど、中尉には到底考えられなかった。
この戦闘の裏に、底知れぬ何かが潜んでいることを、彼の直感は告げていた。




