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第87話 浸透していく毒

 深夜午前三時十三分。

 パールハーバー・ヒッカム基地の滑走路は、白い霧が這っていた。

 その静寂を切り裂いたのは、滑らかに降り立った、漆黒の戦術輸送機だ。

 超音速強襲輸送機『フレスベルグ』。

 その双発の「陽電子補完型ラムジェットエンジン」は、大気中の粒子を陽電子崩壊のエネルギーで強制燃焼させ、太平洋という距離の暴力を嘲笑っていた。


 月光さえも吸収するその特殊塗料は、機体の輪郭を曖昧にし、まるで夜の闇そのものが凝固して滑走しているかのような錯覚を抱かせる。


 一キロメートル以上離れた整備ハンガーの陰で、ディートリヒ・ザイフェルト中佐は、呼吸を止めてその光景を網膜に焼き付けていた。

 双眼鏡のデジタルズームが、輸送機の後部ハッチから吐き出される「獲物」を捉える。

 重厚な油圧音が遠くで響き、一台の漆黒のSUVが滑走路に降り立った。

 灯火は一切なく、自動運転特有の動きは見せない。

 車体は防弾・防電磁波加工が施され、夜の闇に溶け込みながら、一般の地図には存在しない「南西部森林地帯」へと続く未舗装路へと滑り出した。


(……見つけたぞ。ついに犬ども(UPL)の『巣箱』へ続く道を見つけた)


 ザイフェルトの心臓が、歓喜と野心で激しく脈打つ。

 彼は手元のコンソールを操作し、車両の自動追尾機能を「マニュアル」へと切り替えた。

 自動制御のネットワークに走行ログを残すのは、自殺行為と言えた。

 『レッドスコルピオン』は正規構成員の『無能』は消されるのだ。

 彼は数世紀前の兵士のように、増幅された夜間視界と自らの直感だけを頼りに、不審な車を追い続ける。


 SUVは基地の南西、古くから封鎖されている「特別軍事封鎖区域」へと続く鬱蒼とした森へ消えていく。

 ザイフェルトは車間距離を極限まで保ち、ヘッはドライトを消したまま、砂埃を上げないよう慎重にアクセルを操作した。

 十二宮の座。

 永遠の若さ。

 そして、世界を裏側から操る指先。

 それらが、あの黒い車体の先にぶら下がっている。

 ハンドルを握る自身の指が、すでに黄金の権力を掴んでいるかのような、熱い痺れが全身を支配していた。


 だが、その陶酔は、唐突に現れた「猟犬ども」によって物理的に遮断された。

 SUVが急勾配のカーブを曲がった直後、ザイフェルトの車体を、強烈な青白いサーチライトが貫いた。

 網膜が焼けるような光の奔流と共に、不可視の電磁波が車内へとなだれ込む。

 それは、プライバシーの一切を拒絶する、憲兵隊よる徹底的なスキャニングであった。


「……ッ!?」

 心臓が跳ね上がり、ザイフェルトは反射的にブレーキを踏み抜いた。

 アスファルトを噛むタイヤの悲鳴が、湿った夜の森に虚しく響く。

 光の向こう側――。

 そこには、温もりを微塵も感じさせない、憲兵隊という鋼鉄の規律が立ちはだかっていた。


 ライトの眩光の向こう側、青いプラズマを帯びた漆黒のバリケードと共に立っていたのは、数名の憲兵たちだった。


 彼らが纏う空気は、通常の基地警備兵のそれとは明らかに異なっていた。


 制服の下には、不自然なほどに隆起したバトルパワーアシスト・フレーム(戦闘用サイボーグ強化外骨格)が、持ち主の筋肉と同期して不気味に蠢いている。

 銃を構えるその挙動は、コンマ数ミリの狂いもなく、ザイフェルトの眉間を、心臓を、そして車両の駆動系を、無機質なレンズがロックオンし続けていた。

 そして彼らが背負うUPL警護役憲兵の権限は、ここでは軍の階級の壁など、紙細工のように容易く踏み越えてくる。


 一人の若い女性中尉が、サーチライトを背負い、死神のようなシルエットを夜の闇に揺らしながら歩み寄ってきた。

 その歩調には一切の迷いも、交渉の余地もない。


「……身分証の提示を。スキャンの結果ですと……ザイフェルト中佐殿、とお見受けしますが」


 窓越しに響いた中尉の声は、驚くほど平坦で、まるで録音された音声を再生しているかのように感情の欠片もなかった。

 ザイフェルトは内心の激しい動揺を覆い隠すように、階級による威圧的な笑みを顔に貼り付け、窓を開けた。


「……そうだ中尉。私は基地南西部の警備状況を直接視察する任務に就いている。緊急の案件だ、手間をかけさせるな。バリケードを開けろ」

 この言葉は、ザイフェルトに出来る精一杯のブラフだった。

 ザイフェルトの恫喝に対し、中尉は一切の表情を変えない。

 彼女は左手首の外骨格から迫り出した、ガラスプレートのような小型端末を、無機質な指の動きで操作した。

 そのプレートは満月を反射して青白く明滅している。

(MFCS「ミリタリー・フル・サイボーグ・ソルジャー」か……)


 ザイフェルトは思わず唾を飲み込んだ。

 憲兵隊というだけでも、軍隊では「相手が悪い」の代名詞だ。


 だが、目の前の女はそれ以上の存在――軍の倫理も法も、そして「暴力」でさえ、その身に宿したスペック(能力)で塗り替えてしまうサイボーグ将校だ。

 彼らにとって階級という人間社会の序列など、任務の参考欄に記される些事に過ぎない。

 この場における彼らの権限の前では、一般将校が振りかざす権威など、塵ほどの重みも持たぬ無意味な雑音に過ぎなかった。


 そして彼女達統一国家大統領直轄であるUPL警護役独立憲兵隊には、決められた区域内では将官すら令状無く拘束する権限が付与されている事などザイフェルトが知る由もなかった。


 十秒……二十秒。

 深夜の森に、風が木々を揺らす不気味なざわめきと、憲兵たちの強化フレームが発する微かな「キィィン」という高周波音だけが響く。

 そこでザイフェルトは、凍りつくような事実に気がついた。

 そこに並ぶ憲兵の全員が、中尉と同じMFCSであるということだ。


 それは、同数の戦車に包囲されるよりも遥かに絶望的な状況を意味していた。

 戦車ならばまだ、死角を探し、あるいは機動の隙を突いて、万が一にも逃れる道もあったかもしれない。

 だが、高度な演算能力をリンクさせ、コンマ数ミリ単位の射線を瞬時に網の目のように張り巡らせる事が出来る、鋼鉄の兵士たちに囲まれていると言う現実は、ザイフェルトの生身の脳で叩き出した演算結果は、生存の確率はゼロという結果に収束していた。


 やがて中尉は端末から目を離すと、静かに、だが絶対的な拒絶を込めて首を振った。

「……この先へは行けません、中佐殿。……即刻、お引き取りください」


「……何だと? 貴様、相手が誰だか分かって言っているのか! 私はこの基地の参謀職に属する中佐だぞ! 視察を拒むというのか!」


 ザイフェルトが怒声を上げ、威嚇のためにマニュアル操作のアクセルを吹かそうとした、その時だった。

 カチ、カチリ、という乾いた金属音が、重なり合うように周囲から響いた。


 中尉の周囲にいた憲兵たちが、一斉にアサルトライフルを構え、その銃口をザイフェルトの頭部へと固定した。

 ミリア・アニエラUPL警護役独立憲兵隊第71中隊長。

 彼女は無意味に吠える中佐という階級に屈するような、可愛らしい女ではない。

 そして、ライフルに装填されているのは、7.62mm対人弾などという生温い玩具ではなく、サイボーグの超硬質リブ装甲すらバターのように切り裂くCP-TAP(対サイボーグ用・単結晶純チタン芯徹甲弾)だ。

 強化フレームの補助なくしては運用すらままならない、重すぎるペネトレーター(侵徹体)を備えた殺戮の弾丸。

 憲兵たちのサイバー・アイ(義眼)から伸びる自動追尾レーザーが、真紅の刺青のようにザイフェルトの全身へ吸い付いた。

 それは頭を狙うなどと言う生易しい警告ではない。

 彼らの指先一つで、いつ、どこから、どの部位を消し飛ばすか――その全権を掌握されたという絶望の宣告だった。


「……何だと…参謀の………私に銃を向けるのか……!」


 ザイフェルトの言葉は、もはや狩られる寸前の小動物のように消え掛かっている。

 憲兵中尉の瞳は、サーチライトの光を反射して、無機質なガラス玉のようにしか見えない。


 あとわずか。

 その距離さえ詰めれば、世界最高の栄達――ゾディアック(十二宮)の座が手に入る。

 その甘美な予感が、ザイフェルトの脳裏から『撤退』という二文字を強引に削り取っていた。

 約束される永遠の命、尽きることのない富、そして意のままに弄べる女たち。

 あと一歩……その指先が「神の領域」に触れようとしている今、彼にとって退路など存在しないも同然であった。


「……中佐殿……警告に従って頂けないのは残念です……貴殿のこの独断による『視察』は、許されるものではありません。………もはや報告は直属の上官のさらに上まで届いています。原隊では即刻の出頭が命ぜられるはずです」

 中尉の口元が、わずかに歪んだ。


「あと十秒だけ待ちましょう。……これは忠告ではなく、射殺の前段としての警告です。我々には、この防衛ラインを無断侵犯する者に対し、階級のいかんに関わらず即座に射殺できる権限が与えられています。……九、八……」


 背筋を、巨大な氷の剣で貫かれたような戦慄がザイフェルトを襲った。

 彼ら憲兵が守っている「何か」は、統一国家軍の『階級』という法さえも超越している事を意味していた。

 この女たちは、本気で自分を消そうとしている――。


 ザイフェルトの心は不意に折れた。

「………すまない、中尉……殿」

 ザイフェルトは、引き攣った笑みを無理やり顔に貼り付け、震える手足を懸命に隠す。

 冷や汗が目に入り、視界が滲む。


「どうやら……私が行かなければならない道とは、一本曲がるところを勘違いしていたようだ。……夜道は暗いからな。すまない中尉……失礼するよ」


 逃げるように車を反転させ、ザイフェルトはアクセルを深く踏み込んだ。

 バックミラー越しに、冷徹に自分を見送る憲兵たちのシルエットが、地獄の門番のように小さくなっていく。

 しかしながらどれだけ走っても、赤いレーザーはザイフェルトの全身を包み続けていた。

 喉まで出かかった悲鳴を抑え込み、彼は一般車が走るのが見える一般幹線道路まで戻ると、激しく震える拳でダッシュボードを叩きつけた。

 気がつくと、ようやく死神の抱擁のような赤い光はザイフェルトの体から消えていた。


 屈辱。

 自分より20歳は若く見える女に、完全に屈するしかなかったのだ。

 死への恐怖。

 そして、気が付いた。


(……間違いない。あの過剰なまでの防衛、あの法を無視した殺人権限……。あの道の先に、奴らがいる。ブタ(UPL)どもの『巣箱』が、あそこに隠されている!)


 ザイフェルトは車両を路肩に止めると、即座薄く蒼いガラスプレートを軍服の胸ポケットから取り出すと、『スコーピオン』のネットワークへと直結させた。

 

 そこに、全『レッド・スコルピオン』が震撼する致命的な一撃が書き込まれた。


『UPLの巣箱を特定。パールハーバー南西森林地帯、特別軍事保護区域内。過剰防衛を確認。座標データ添付』

 完璧に隠蔽された『蠍』のネットワークに隠語などは必要なかった。


 これが本物であれば、ザイフェルトのログは評価されるはずだった。

 蠍のネットワークを通じて、そのデータは世界中へと、瞬時に拡散されていく。


 夜明けまで、あと三時間。

 パールハーバーの美しい海で、絶望のカウントダウンが静かに始まった。

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