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第80話 煉獄の記憶

 豪華客船『鳳凰Ⅸ』のメインホール。

 かつてセレブリティたちがシャンパングラスを傾けたその場所は今、異形の巣となっていた。

 司令室のモニター越しに、アレハンドロ・ファンの脂ぎった顔が歪む。

「ひっひっひ! 見ろ、ベルリオーズ。ワシの可愛い『娘たち』だ。さっき堕としたパイロットの小娘を失って絶望している連中に、最高級の『死の接吻』を味あわせてやろうじゃないか」

 隣でベルリオーズが、悦びに満ちた手つきでコンソールを叩く。

 二人は一部始終を特等席で「鑑賞」してワインを傾けていたのだ。

「ああ……。彼女たちの皮膚は、世界で最も美しい……シルクより滑らかで、かつ鋼鉄より強靭だ。これぞ生物学の極致、神への冒涜だ……たまらん……UPLを倒した者は、今夜、ワシのベッドに呼んで可愛がってやらねばな」

「それはワシもだ……生き残った者全員をベッドでじっくり可愛がってやろうワヒャヒャヒャヒャ」


 豪華客船の華美な装飾が、死と腐敗……そして蟲の臭気に塗り潰されていく。

 カインとラズロが足を踏み入れた瞬間、彼らの視界は「戦場」へと強制的に切り替わった。


 網膜インターフェイスの端で、UPL専用の生化学戦闘プロトコルが猛烈な速度で警告を刻み始める。


【UPL-EX_PROTOCOL: ACTIVATED】


 WARNING: BIOLOGICAL HAZARD DETECTED


 TARGET ANALYSIS: "POISONOUS BELLADONNA"


 個体識別: 特異MFCS(生物・機械融合体)× 7


 脅威判定: カテゴリー:カラミティ(大厄災)


 ステータス: 生存本能を排した「抹殺特化型」と推定。


 SCANNING VISUAL...


[ERROR: ANATOMICAL INCONSISTENCY]

 壁面、天井に張り付く美女たちの四肢に、非人間的関節駆動を検知した。

 その数七体。

 皮膚の下に高密度の外骨格および毒腺が形成しているのが網膜にワーニング(警告)表示される。


「カイン見た目に惑わされるな。これらは人の皮を被った生物兵器だ……」


「チッ……悪趣味だな……ラズロ、残弾は?」

 カインが低く問いかける。

 カインの視界では、天井のシャンデリアに逆さまに張り付く25歳の青髪の美女、リリスの喉元に『KILL POINT』の赤い十字が明滅している。

 アリアが空間火器制御プロトコルを掌握しているのだ。


「ゼロだ。だが、俺にはこの『ジェシカ(ハデス・クロウ)』がある」

(お前の心も……一緒だ。……マリアンヌ……俺はすぐそっちに行く待ってろ)

 ラズロの心の声は誰にも聞こえない。

 

 ラズロが左腕のハデス・クロウを微かに震わせる。

 バチン!!

 ラズロの怒りが……悲しみと共に魔王の爪を唸らせ、高周波の怒りが、周囲の汚染された空気を物理的に削り取り、バチバチと火花を散らす。


『カイン、私の出番ね。早く撃ちなさい。このホールなら存分に踊れるわ』

 脳内のアリアが、弾けるような声で戦術支援を開始する。

(了解だ……アリア)

 カインは右腕の皮膚をスライドさせ、三連装レーザーバルカン『オルトロス』を露出させた。

(さて、アリア。……ダンスを始めるぞ)


「あははははッ! 蠍に逆らうなんてバカなボウヤ!細切れにしてあげる!」

 19歳のスコラが可愛らしい顔とは裏腹に、天井近くまで跳躍した。

 褐色の肌、引き締まったしなやかな肢体は、まさに野生の女神の如き美しさだが、複眼が透けて見える。

 そして次の瞬間、彼女の背中から、バリバリと生体皮膚を突き破って数十本の多脚が噴出した。

 生物兵器……蟲と人の混合体……当然違法であり、助ける術などない。

 

「……その汚い足を、俺に向けるな」

 ラズロが咆哮し、スコラの細い首を掴んで床に叩きつける。

「ガァッ……!?」

 ドォォォン! と鋼鉄の床が凹むほどの衝撃。

 スコラの美しい顔面がひび割れ、その下からムカデの複眼が覗く。

 ピロピロと伸びる触角はスコラの鼻梁を引き裂いて伸びてきた。

 ラズロは容赦なく、ハデス・クロウで彼女の胸部を撫でた。

 高周波が、彼女の自慢の腹部の甲殻も、その奥にある臓器も、まとめて「分子の霧」へと変えてゆく。

「あ、あああ……パパ、助け……」

 美女の形を保てなくなったスコラの残骸は、真っ黒な粘液を撒き散らしながら、人の皮をひしゃげさせた、ただの「虫の死骸」へと成り果てた。

 死ぬ前に彼女の脳裏に浮かんだのは作られた記憶……ベッドでいつも可愛がってくれるベルオリーズパパ?……違う……私の本当の彼氏は……ビル?助けて……。

 コンマ数秒の本当の記憶を見た彼女は、すでに虫の残骸だった。


「……どこを見てるの? おじさま」

 20歳のニクスが、悪戯っぽく微笑みながらカインの死角に滑り込む。

 彼女は、透き通るような白い肌と、吸い込まれるような黒い瞳を持っていた。

 だが、その皮膚の下には数千の「目」に相当する微細な吸盤がうごめき、周囲の光を屈折させていた。


『カイン、左! 0.4秒後にダニの寄生針が来るわ!次、ジャンプ!壁蹴る、右掴んで!』

 アリアの警告。

 カインは半身で回避すると、壁を蹴り、ニクスの美しい喉元を右手のオルトロスで突き上げた。

「ガフッ……!」

「お前の『認識阻害』など効くか」

 至近距離からのレーザー連射――二秒。

 ニクスの美しい喉が瞬時に焼き切れ、体中からシラミのような無数の脚が皮膚を突き破り露出する。

 

 カインは無感情に、その「人形」の頭部を右足で踏み潰した。

 彼女が公園でうたた寝していただけで拉致された事など、誰にも知られる事が無いままに。


「逃がさない。あなたの心臓、私が直接止めてあげる……」

 22歳のサブリーダー、ヴィリディ。

 色白の長身の美女が、ラズロの背後から「溶けるように」絡みついた。

 彼女の骨格はすでに液体化しており、ラズロの強固な装甲の隙間へ、タコの触手のように潜り込んでゆこうとする。

 ラズロの体の生体皮膚は半分近くが先の戦いで剥がれ、焼け落ち、硬質な金属パーツを露出させていた。

 白磁のような彼女の肌から分泌されるのは、麻痺毒を含んだ青い粘液だ。

「バカな……貴様の毒など、俺の人工血液のナノマシンが瞬時に無害化する!」

「毒だけじゃないわ……私の体は、あらゆる物理衝撃を……」

 話している間にも、別の個体から撃ち出される毒液を、ラズロは甘んじて受け続けていた。

 それは死を望む男ラズロへの甘美な自らへの罰。

 マリアンヌの最後を電脳でリフレインし続けているラズロの体には、まだまだ痛みが足りていなかった。

 ラズロが左手を見つめると、「バチン!」と魔王の爪が吼える。

「なら、原子レベルの粉砕はどうだ?」


 ラズロがハデス・クロウのリミッターをLevel2まで解除する。

 初めてのリミッター解除。

 敵が強いわけではなく、ただ自分の体には強烈な痛みが足りていなかった。

 左腕が物理的に折れ曲がり、鈍色の鉤爪がヴィリディの腹部を貫いた。

 過負荷に左手が軋むが、今のラズロには心地よい罰である。

「あ、あああああッ!!」

 高周波の唸りが彼女の細胞結合を解体してゆく。

(あれ?ママに頼まれたお買い物……なんだ……っけ……)

 消されたはずの記憶。

 美女の体は、断面から順に「色のない塵」へと変わり、ホールに汚らしい液体をぶち撒け、体は消滅していた。

 ホールに空いた直径4mの空洞は、床材の分厚い鋼鉄板を曝け出していた。

 

「よくも……私の妹たちを……ッ!」

 リーダー、ザルヴァが絶叫する。

 彼女は24歳。

 アメリカのチア・チームで汗を流していた彼女は拉致される前の記憶など無い。

 妖艶な東洋の気品を漂わせる彼女の腕は、先ほどカインにへし折られたはずだが、彼女のDNAに人為的に刻まれたクマムシの驚異的な自己修復能力ですでに再生していた。

 彼女の指先が鋭い鉤爪へと変貌し、蛇のようにうねる。


『カイン! 彼女の血液、触れたら一瞬でアンタの生体パーツがゼリー状に固まるわよ! 』

(わかっている、アリア!)

 カインは毒液の飛沫を飛び、壁を走り、カーテンで弾き飛ばすと、そのままリヴァイアサンの重厚なシリンダーでザルヴァの美しい顔面を殴りつけた。

 

 グシャリ、と鼻梁が折れる感触。

 だが、彼女の肉体は即座に盛り上がり、不気味なトカゲの皮膚へと変質してゆく。

(再生するなら、再生が追いつかないほど焼き尽くすまでだ。……アリア!)

『そこ!蹴り上がって!』

 一瞬の滞空時間。

 零距離からのレーザーの奔流。

 ザルヴァの胸部に巨大な風穴が開き、再生しようとする肉芽が、レーザーの高熱で全身が次々と炭化し、黒い消し炭へと変わっていく。

「ば、馬鹿な……私は……不死……身……」

 崩れ落ちる彼女の体は、もはや美女の面影はなく、焼け焦げた爬虫類の死骸そのものだった。

 焼けていく記憶に映るのは汚らしい中年男にベッドで可愛がられる自分の姿……違う……助けてパパ……ママ……。

 彼女の記憶は心と共に静かに燃え尽きた。


 最後の一体、部隊最年長25歳のリリス。

 フランスとドイツの気品を纏った金髪の美女が、冷徹な瞳で臀部から伸びた蠍の尾を振りかざす。

「……しつこいわね。でも、安心なさい。私の毒は、死ぬよりも辛い悦びを教えてあげるわ」

 

 彼女が放った蜘蛛の糸が、ホール全体を蜘蛛の巣で覆い尽くす。

 だが、ラズロは止まらない。

 マリアンヌを失った絶望が、彼の回路を怒りで焼き切っていた。

「蠍の実験体か?……一人残らず、この手で握り潰す!」

 

 魔王の爪は、甲殻を簡単に引きちぎり、リリスの背後から伸びる巨大な蠍の尾を、ハデス・クロウの左手で掴み取る。

 甲殻が崩れ落ち、内部が露出し始めるが液体は出ない……近くで見れば、湧き出る液体が瞬時に分解されているのが分かる。

「なっ……爪が、私の尾を……!?」

「彼女が味わった恐怖の、万分の一でも味わってから死ね!」

 

 キィィィィィィィィィンッ!

 リリスの尾が、根元から粉砕され四散する。

 彼女の気品溢れる顔が、恐怖で老婆のように歪んだ。

 作られた皮膚の下で触角が不気味に蠢く。

「カイン、トドメを刺せ!」

「ああ! アリア、最後のリロードだ!」

『オッケー、カイン! 派手に行きなさい!』

 ドクターFの換装により増えていた内臓エネルギーパックが瞬時に、弾の尽きていたオルトロスを生き返らせる。

 カインの右腕から放たれたレーザーの光条が、リリスの眉間を貫き、背後の巨大なメインスクリーンごと爆砕した。

 光が、彼女の思考ごと頭部を焼失させる。

 拉致されていなければ、今日、彼女がバイオリンのリサイタルで喝采を浴びているはずだったことなど、ここにいる誰も知らない。

 失われた彼女の「本当の姿」を知る者は、今や彼女のトロフィーを虚しく眺めながら帰りを待つ両親だけだった。


 静寂。

 ホールに残ったのは、焦げ付いた肉の臭いと、床を汚す青や緑の不気味な体液だけだった。

 カインとラズロは、返り血で真っ赤に染まったまま、司令室へと続く階段を同時に見上げた。


「……オモチャ(女たち)は壊れたぞ。次は、貴様らの番だ。ゾディアック……」

 ラズロの咆哮が、豪華客船の深淵を震わせる。


 司令室のモニター。

 そこには、先ほどまでの余裕を失い、死の恐怖に顔を青ざめさせたアレハンドロとベルリオーズが、這いずりながら脱出口へ向かう無様な姿が映し出されていた。

 二人は、かつて自分達が順番にベッドに呼び、全身を舐め回して愛した「娘たち」の残骸など見向きもせず、ただ自分たちの永遠のはずの命を守るために逃げ惑う。


 カインとラズロは、一歩ずつ、死神の足音を響かせながら階段を上がる。

 その足音は、彼女たちが残した絶望より冷たい復讐の序曲であった。

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