第79話 ラズロ・スタインという男
23:59。
太平洋の闇を切り裂き、二つの「黒い流星」が豪華客船『鳳凰Ⅸ』の広大なヘリポート甲板へと突き刺さった。
ドォォォォォォォンッ!
それは憤怒に染まった破壊の神の降臨。
鋼鉄の床板が悲鳴を上げ、凄まじい火花が夜の闇を赤く染める。
パラシュートも降下具も使わず、高度700メートルから重力に従順に自由落下したフルサイボーグ二名。
カインとラズロは、着地の衝撃を義体の慣性相殺システムで強引にねじ伏せた。
脚部のアクチュエーターが過負荷で排気音を鳴らし、硝煙の中から二人の処刑人が立ち上がる。
豪雨は激しさを増し、チタン合金の装甲を覆う生体皮膚パーツを洗う砥石のように叩きつけていた。
カインは顔を上げ、雨水に濡れた長い金髪を無造作に振り払う。
周囲を網膜スキャンが走る。
[ UPL EXECUTION PROTOCOL: ACTIVATED ]
--------------------------------------------------
>> SCANNING TARGET SIGNATURES...
>> DETECTING ILLEGAL MILITARY-GRADE COMPONENTS.
>> ID: MK-77 "SCORPION-STRIKE" ACTUATORS FOUND.
>> ID: VX-09 NEURO-LINK INTERFACE CONFIRMED.
>> CROSS-REFERENCING GLOBAL BOUNTY DATABASE...
>> MATCH FOUND: [WANTED] - BLACK MARKET SERIAL NO. B-4392
>> MATCH FOUND: [WANTED] - ILLEGAL COMBAT FRAME C-1105
>> STATUS: NO HUMAN LIFE SIGNS DETECTED inside CHASSIS.
>> VERDICT: ENEMY COMBATANTS CONFIRMED.
>> AUTHORIZATION: LETHAL FORCE APPROVED.
>> MISSION CODE: "EXTERMINATE ALL TARGETS."
--------------------------------------------------
[ PROCEED TO IMMEDIATE EXECUTION ]
「……一般人など一人もいやしない。カイン、状況は?」
「ああ、HUD(網膜)に出た。全個体、違法戦闘用多目的サイボーグ――MFCSが70体。うじゃうじゃ集まってきやがる。俺たちを歓迎するには、少々物騒すぎる連中だ」
カインがサングラスを指で押し上げ、愛銃『リヴァイアサン』のシリンダーを重々しくスライドさせる。
脚部排熱孔から漏れる微かな熱気が、雨の冷気と混ざり合い、白煙となって消えた。
二人の電脳に、150キロ後方に位置する旗艦『ヘルメス』から、ほのかの冷徹な、しかしどこか震える声が響いた。
『……ラズロさん、カインさん。エクスキュート(執行許可)が出たわ。船内に一般人IDはゼロ。……そこにいるのは、死を与えてもいい奴らだけよ』
ほのかは偵察用ドローンから送られてくる膨大なリアルタイム・メタデータを瞬時に処理し、二人へのオペレートを開始する。
二人の網膜には、ほのかから送られてくる船上の全動体反応が敵対的コードとして赤く塗りつぶされていた。
その刹那、カインの右眼、暗視システムのオーバーレイ・ディスプレイに血のような真紅の文字列が高速で流れる。
「異常MFCS反応か……」
『カイン!ゾディアックがいるわ』
アリアが落ち着いた様子で告げる。
「カイン……ゾディアックは……オレがやる。細切れにしてやる」
「ラズロ、落ち着け。ヴァルゴを思い出せ。一人で何とかできる相手じゃ無い」
カインが吐いた正論はラズロを苛立たせるだけであった。
「ちっ……」
「気をつけてください……異常MFCS(軍用フルサイボーグ・ソルジャー)なんて……今までのゾディアック(十二宮)じゃ無かったのに……罠です。気配を消せるのに曝け出してるんですよ。私たちUPLを誘ってます……これは……罠……そう、中尉ならこう言います。一度撤退です……」
ほのかの声には、UPLの家族であるマリアンヌを失った悲痛さが張り付いていた。
だが今は、戦場を支配するオペレーターとしての職務がそれを上書きしている。
「ダメだ、ほのか。……罠であろうと、ここにいるなら殺すチャンスだ。カイン。今日は悪いが、俺に話しかけるな。電脳リンクは維持するが、俺の意識を戦闘だけに固定させろ」
「……分かってるよ、相棒。撤退か……ほのか、悪いな。ラズロが聞き分けが悪いもんでな、オレは付き合うしかなさそうだ」
『カイン、絶対に罠よ。この船自体がアンタ達を殺すための罠。最悪沈めるつもりだろうから覚悟しなさい』
(さすがだな、オレの戦術AIは)
アリアの声は普段より緊張している。
「ほのか、この船ごと爆破されてもいいように、艦隊を近くに配置してくれ。20分で対艦攻撃能力は消失させてみせる」
「はい。カインさんお気をつけて……私、止めません……信じてますから」
ラズロの輪郭が、怒りと哀しみによって陽炎のように歪んで見えた。
次の瞬間、彼は「爆発」した。
「あああああああああああああッ!!」
咆哮と共に、ラズロがMFCSの群れへ肉弾となって突っ込む。
右手のショットガン『ケルベロス』が咆哮を上げ、近距離から放たれたACHS弾(対サイボーグスラッグ弾)が、先頭にいたMFCSの頭部を、ヘルメットごとスイカのように粉砕した。
ドゴォォォォォン!
ドゴォォォォォン!
銃身下部の大型マズルブレーキから高圧ガスが噴出し、跳ね上がりを抑制する。
すぐさま隣にいた女の頸椎を消し飛ばす。
羽交締めにしようとした男の右腕を後ろに捻り上空に蹴り上げると、ACHS弾(対サイボーグスラッグ弾)が空中で男の頭を消し飛ばす。
機銃と拳銃、ライフルがラズロに向けられるが、彼は即座に右舷に飛び乗りホルスターから抜いたコルト・ニューヨーカー M247 "ピースメイカー・リバイバルオートマチックピストルを向けると「ガン!ガン!ガン、ガン!ガン!ガン!」と汚いサイボーグどもの頸椎を、眼窩を、脚部パーツの付け根、ライフルのスコープを次々と爆ぜさせ、細切れにさせていく。
弾薬が尽きれば、ホルスターにしまい、カチカチカチと、素早くACHSを装填したケルベロスが再び猛威を振るう。
ドゴォォォォォォン!
ドゴォォォォォドゴォォォォォン!!
狭い通路に殺到していたMFCSを数体まとめて貫通してゆく。
刹那、上層階から武器腕を振り翳した若い女が強襲するが、ラズロの足は一人目の首を正確に蹴り飛ばし、軽量型CQB特化型頭蓋パーツKPL286F2+ごと頭部を爆散させて、続く二人目の両手生体武器パーツを重量4キロを超える鉄塊を棍棒として振るい、敵サイボーグの首を武器ごと叩き折る。
女二人が上から降ってきてから、頭部を失うまでにかかった時間はわずか0.7秒。
カインは船体最上部の展望デッキに陣取り、愛銃『リヴァイアサン』の重厚なシリンダーを回転させていた。
ドン! ドン! ドン!
重厚な発砲音が豪雨を切り裂く。
雨に濡れて血飛沫を浴びるグリップに、馴染んだアリアの形見のウリン・グリップが、カインの掌をしっかりと保持させていた。
放たれたACHR(対サイボーグ重量弾)は、殺到するMFCSの胸部装甲を無慈悲に穿った。
短タングステン芯入りの弾丸は、強靭な強化リブの隙間を容易く通り抜け、背後の壁に汚い合金の破片とどす黒い人工血液を撒き散らす。
次にカインが手にしていたのは、もはや拳銃ではない。
それは固定砲台に等しい暴力だった。
甲板に数基設置されていた対艦兵装は、すでに彼の『ベヒーモス・バスター』によって、中身をぶち撒けた鉄屑へと成り果てている。
その時。
カキィィィィィィンッ!
鼓膜を刺すような、高く鋭い金属音が響いた。
展望デッキのさらに上、船橋の頂点――フライング・ブリッジ。
そこに、マリアンヌの命を、未来を、一瞬で鉄屑に変えた「スナイパー」が座していた。
狙撃者は、中年の脂ぎった女サイボーグだった。
最新鋭のスマート・リンクすら介さず、マニュアルのスコープ(光学照準器)を覗き込むその指先は、敵の接近を許した恐怖に震えている。
彼女の傍らには、旧式の電磁レールキャノン『40mmナイトメア・キャリパー』が鈍い光を放っていた。
放たれた弾丸はラズロの胸部を直撃していた。
だが、その弾丸はマリアンヌを貫いた時のような致命的な結果をもたらさなかった。
最新のプロトタイプサイボーグ骨格、ヘカトン・アームズ社製『HHP-DT337』。
ドクターFが、己の無念をラズロに託した執念のパーツの一つ。
ラズロの胸郭に内蔵された高出力の内部電磁バリアは、旧式電磁弾頭の運動エネルギーなど、火花と共に簡単にそれを弾き返したのだ。
「……マリアンヌを殺したのは、その錆び付いたガラクタか」
カインが冷徹な殺意を込め、『ベヒーモス・バスター』の銃口をゆっくりとフライング・ブリッジへ向けた。
だが。
カインが引き金を引くよりも、それは一瞬早かった。
ズガァァァァァァァンッ!!
突如として、堅牢なフライング・ブリッジが、まるで見えない巨人の手に捻り潰された飴細工のように、不自然な角度で歪んだ。
爆発音ではない。空間そのものが悲鳴を上げ、物質の結合が崩壊する音。
「――が、ぁっ……!?」
女サイボーグの叫びは、喉に達する前に消えた。
彼女の右半身は、ブリッジの装甲板ごと「消失」していた。
断面は切断されたのではない。
高周波の暴力によって分子レベルで粉砕され、霧となって夜の海へ消えたのだ。
硝煙と粉塵が豪雨に洗われる中、歪んだ鉄板の上に一人の男が着地した。
ラズロ・スタイン。
その左腕は、もはや人間のそれとは似ても似つかぬ姿に変貌していた。
二の腕から物理的に折れ曲がり、内部から突き出した三本の鈍色の鉤爪。
ジェシカの遺品であり、空間を穿つ呪われた兵器――『ハデス・クロウ』。
ラズロの瞳には、もはや慈悲の欠片も残っていない。
彼は震える左腕の爪を、半身を失ってもなお、息のある女サイボーグの顔面に突きつけた。
高周波の唸りが、彼女の最期の悲鳴を無機質にかき消していく。
「醜い……お前のせいで……」
ラズロの声は、あまりに静かで、地獄の底よりも冷たかった。
カインは奥歯を噛み締めた。
(マリアンヌの生存の可能性は?)
『0.046%よカイン。爆発のノイズに紛れた何かの奇跡でもあれば助かっているのかも……ねえカイン……言いづらいんだけど……』
(分かっているさ、アリア……演算の数値は実質は0%だって事くらいは……)
AH-99J "ヴェノム・ワイバーン・ストライカー"の撃墜。
高度700からの爆砕。
生体反応ロスト。
本来なら、そこにあるのは「死」という結論だけだ。
だが、今のラズロにその事実を突きつければ、彼の精神は四散する。
戦闘後に行われるであろう捜索という名の「地獄の儀式」。
それは、死んでいると分かっている者を探し続ける、絶望よりつらい希望の光であった。
その頃、メインフロアでは、カメラを通じて、二人の男がこの惨劇を見下ろしていた。
世界医師連盟会長、アレハンドロ・ファン。
そして、ベルリオーズ・ヴォルシャニノフ。
栄光ある『ゾディアック』の一柱として君臨している男たち。
男たちは今、自分たちの終わりを予感し、震えていた。
「最高執行者ジェミニ様からの最後通牒だ……。『次しくじれば、ゾディアックから外す』。……これは死刑宣告と変わらん」
アレハンドロが、震える手でワイングラスを握りしめる。
ゾディアックから外される――それは引退ではない。
体中の特異超高性能パーツをすべて奪われ、ただの肉の塊に戻されること。
替えの換装などされず、残った肉片など海にばら撒かれて終わりだ。
双子座の怒りに触れた者に用意されるのは、廃棄物以下の末路だ。
「『赤い蠍に逆らった愚かなUPLへの見せしめを見せよ』だと……。ジェミニ様は、俺たちを処刑用のエサにしたんだ。三ヶ月以内にUPLを一人殺せなければ、俺たちがパーツを剥がされる番だ」
ベルリオーズが吐き捨てる。
彼らが日本で行った生物兵器テロ。
完璧な隠滅プログラム『A-アポトーシス』を過信し、自らの手でカプセルを装着した「手間」が仇となった。
UPLによってその無様な姿を克明に記録され、今や彼らは指名手配犯として、この海を惨めに逃げ惑う羽目になっている。
世界中で連日報道されている屈辱のニュースには彼らの顔と名前、犯行の記録が鮮やかにばら撒かれていた。
世界最大規模のシンジケート『レッド・スコルピオン』にとって、新しい身分を用意することなど容易いはずだ。
だが、これはジェミニから彼らに対する明確な「処罰」であった。
失態を犯した星座は『忠誠を見せなければ』廃棄される。
だからこそ、彼らは自分たちで動く必要があった。
保身のために用意したこの船は、彼らにとっての最後の「UPLをおびき寄せる死刑執行台」だった。
だが、その舞台に現れたのは、目覚めてしまった「真の修羅」だった。
処刑のために集めた組織の兵も、トラップも、生体兵器、化学兵器トラップさえも……全て砕かれ、破壊されていた。
ラズロの動きは不可解だった。
いつもよりも被弾が多い。
MFCSの放つレーザーや弾丸が、彼のチタン装甲を焼き、引き裂く。
避けられるはずの銃弾を強固な装甲パーツで受け止め続けていた。
だが、ラズロは止まらない。
貫通さえしなければいい。
この痛み、この灼熱こそが、今の彼には心地よかった。
(マリアンヌ……お前は、これどころじゃない痛みの中で操縦桿を握り続けたんだな。俺を、カインを救うために……)
思考の深淵で、ラズロは己を鞭打つ。
蠍の放つ銃弾や雨の中のレーザーなど、『罰』として足りるものでは無かった。
(ヴェノム・ワイバーンにミサイルなど換装しなければ……。機動性を捨てて火力を積もうなんて、俺がもっと反対していれば……。彼女の腕なら全部避けられたはずだ。俺は、死んだジェシカを裏切ってマリアンヌを選び、そしてマリアンヌすら失ったんだ! 救いようのない、愚かな裏切り者だ!)
絶望が己への殺意へと転火し、ラズロの咆哮が甲板を震わせる。
「さあ、俺を殺してみろ! どうした? その程度の攻撃で、この俺を、ラズロ・スタインを殺せると思っているのか!」
その叫びに呼応し、MFCSの増援が波のように押し寄せる。
さらに増えた240体。
甲板は、ちぎれた人工筋肉と冷却液、鋼鉄の残骸で埋め尽くされた。
それは修羅の戦いであった。
弾け飛び続ける血と肉……そして金属塊。
弾薬が尽きた。
ラズロはショットガンの銃身を捨てると、左手の『ハデス・クロウ』を限定展開する。
キィィィィィィィンッ!
通常は生身の腕に見える左腕が、二の腕から物理的に折れ曲がり、内部から三本の鈍色の鉤爪を露出させる。
高周波振動が物質的結合を原子レベルで粉砕する。
ラズロが腕を一閃させるたび、MFCSの重装甲骨格は紙細工のように切り裂かれ、火花を散らして沈黙していく。
刹那。
ガン!ガン!ガン!ガン!ガン!
ゴガン!ゴガン!ゴガン!
艦隊からの援護射撃が始まり、ラズロの周囲が掃討されていく。
AI管制による対人・対サイボーグ射撃は正確に蠍のサイボーグだけを粉砕してゆく。
「カインさん!ラズロさん!大丈夫ですか?」
ほのかの声が聞こえるが、カインはそれを拒絶した。
「ほのか!早く艦隊を下げさせろ!」
「はい!分かりました……理由は後で教えてくれますよね……」
カインの口から出たのは明確な返答では無かったが、不気味な予感を秘めていた。
「艦隊の火器が使えるのは対雑魚サイボーグまでだ……。今までのゾディアックは、異常な能力を持っていた……艦隊すら破壊しかねない……」
ほのかは、艦隊司令に肩を優しく叩かれると頷いた。
「分かりました、せめて対サイボーグ砲射程ギリギリで待機します。死なないで……カインさん……」
「当然だ……」
『あれ?カイン照れてる?』とアリア。
(集中するぞアリア。雑魚は終わった……次はゾディアックだ)
『弾が全部さっぱり無くなった状態でゾディアックなんてステキじゃない?カイン』
(お前のオルトロスは全弾残ってるさ。使わせてもらうぞアリア)
『……雨だけどね……カイン……多分、超近距離でも厳しいかもよ』
ラズロの体からは火花が散り、内部装甲が露出し、顔の半分は生体皮膚がちぎり飛んでいた。
正確にラズロに脆弱部を破砕され、海へと投げ捨てられていった「人形」たちの山。
ラズロは返り血で真っ赤に染まった視界の先、ブリッジの奥……メインホールに潜む二つの「ゴミ」の気配を捉えていた。
「蠍は……殺してやる。一人残らず、跡形もなくな」
その呟きは、豪雨の轟音にかき消されたが、彼の左腕が放つ呪われた振動音だけは、確実に死の訪れを告げていた。




