第81話 醜悪な頭脳
豪華客船『鳳凰Ⅸ』の最上層デッキ。
吹き荒れる時速21mの暴風雨は、うねり狂う海と共に、もはや神の怒りそのものだった。
叩きつけるような雨粒が、甲板にこびりついたMFCS達の焦げ跡や鉄錆を無慈悲に洗い流していく。
だが、その浄化の雨ですら、ホールから漂い出すあの何とも言えない悪臭を消し去ることはできない。
「ヒィィ……! 救命艇だ、早くしろベルリオーズ! 追いつかれる、あの『死神』どもに追いつかれるぞ!」
世界医師連盟会長、アレハンドロ・ファン。
かつて「スコーピオン(蠍座)」として恐れられた男の悲鳴は、いまや風の咆哮に虚しくかき消されるばかりだ。
「言われずとも……! このボートのロックが……雨のせいで……ッ!」
統一国家皇帝大学学長、ベルリオーズ・ヴォルシャニノフ。
アリエス(牡羊座)を冠する知性の最高峰を自称した男は、脂ぎった六本の腕を醜悪にうごめかせ、救命艇の展開レバーに必死に縋り付いていた。
彼らの身体は、もはや「人間」の形を維持してはいなかった。
一人はサディストにして、過去に何度もロリコンとの糾弾を受けながら、権力と工作で有耶無耶にしてきた外道。
一人は不老不死の研究の為に罪なき市民のボディさえも毒針の塊へと換装し、禁断のクローン研究で蟲と人を融合し続ける狂気。
特に若い女を蟲と融合させる事に性的興奮を覚えるのだ。
逃げ惑うその醜悪な背中からは、異形の六腕が生え、まるで巨大な虫が這いずっているかのようだった。
カインが、雨のカーテンを切り裂いて現れる。
金髪は濡れて額に張り付き、サングラスの奥の瞳は冷徹な殺意で凍りついていた。
「……逃がさん。貴様らの逃げ場はない」
カインが右腕の皮膚をスライドさせ、三連装レーザーバルカン『オルトロス』を露出させた。
ターゲット、アレハンドロ。
ロック完了。
だが、その熱光が空気を焼こうとした刹那――。
「どけぇ!!!! カインッ!!」
背後から響いたのは、獣の咆哮にも似たラズロの声だった。
ドォォォォンッ!
カインの背中に、加減の一切ないラズロの強烈な蹴りが叩き込まれる。
「なっ……!?」
カインの体は成層圏へ届かんばかりの勢いで吹き飛び、海上へと放出された。
空中を飛翔しながら、アリアの演算支援を受けて即座に視界を反転させる。
波間に鎮座するのは、第45ヘリ空母艦隊旗艦『ヘルメス』だ。
鉄の甲板へ鮮やかに着地したカインに、艦隊司令官フェリペ・J・アンダーソン少将と、顔を蒼白にしたほのかが駆け寄る。
「大丈夫か、カイン警部補!?」
少将の問いに答える間もなく、ほのかがカインの傷だらけの身体に恐る恐る抱きついた。
手は負傷部に当てられる。
「カインさん……! 酷い、こんなに……」
弾痕と焦げ跡に塗れたカインの身体に、彼女の温かい手が触れる。
その瞬間だった。
――キィィィィィィィィィンッ!!
空間そのものが悲鳴を上げるような高周波音が、一度だけ空を裂いた。
カインが振り返った先、『鳳凰Ⅸ』の左舷。
黒い旋風が駆け抜けた後には、直径25メートルにわたる巨大な「虚無」が口を開けていた。
鉄板も、救命ボートも、ゾディアックたちの身体があったはずの場所も、円形に抉り取られ、この世から消滅していたのだ。
残されたのは、甲板に転がる二つの「頭部」だけだった。
「……ペッ」
ラズロが、消滅を免れたアレハンドロの顔面に唾を吐きかける。
Lv4までリミッターを解除した『ハデス・クロウ』は、バチバチと彼の絶望と怒りを体現しているような電撃を纏っている。
彼は二つの頭部を強引に引き寄せ、重厚な義足のブーツで無慈悲に踏みつけた。
「……生きてるか? お前ら。死ねねえよなぁ、全身フルサイボーグの最高級パーツだもんなぁ」
「た、助けて……そうだ! ジェミニ(双子座)……十二宮の秘密は、全て話そう!」
踏みつけられたアレハンドロの眼球が、恐怖に震える。
ベルリオーズもまた、先端が千切れた舌を動かし、救いを乞うた。
「金も! 女も、好きなだけ自由にしていい! どんな幼い女でも、お前の好みの性格に洗脳して差し出そう! だから……体を……体をくれぇ……ッ!!」
その「ロリコン」としての本性が剥き出しになった言葉が、ラズロの逆鱗に触れた。
ラズロの口元に、魔王のような冷笑が浮かぶ。
「女、だと……? 貴様ら……外道が……さっきの蟲女もそうだろ?」
「はぁぁぁ……あれ?あれが欲しいのか?作るぞ!いくらでも……どんなに若くて美しい女でも言ってくれ!好きな虫を選ぶだけで、私が洗脳して最高の……」
醜悪な頭が話し終わる前に、ラズロが二つの頭部をサッカーボールのように蹴り上げた。
次の瞬間にはカインの膝の上で二つの醜悪な頭は踊っていた。
アリアの演算データを受け取った、寸分違わぬリフティング……蹴り飛ばす。
二つの醜悪な頭部はヘリ空母のヘリポーン・エレベーターへと吸い込まれ、そこにあった真っ黒な廃オイル缶の中へ、ボチャンと音を立てて沈んでいった。
「おい、整備の野郎ども!」
空母に飛び乗ったラズロがエレベーターに集まった整備兵たちを見下ろし、獰猛に命じる。
「そいつらを生命維持装置に繋いで、しばらく飾っておけ。『レッドスコルピオン』の親玉だ!死ななければ何をやっても構わん」
整備兵たちの間から、野獣のような歓声が上がった。
彼らの多くはテキサス出身。
スコーピオンの卑劣さを何よりも嫌う、最高に荒っぽく、そして一度敵と見なせば容赦のない男たちだ。
「了解だ! こいつらにはたっぷり借りがあるんでね!」
「死ななきゃ何してもいいんだろ? 最高に『汚い』もてなしをしてやるよ!」
整備用の生命維持装置が不気味な音を立てて接続される。
廃油に塗れ、汚物の中で永遠に近い生を強制されるゾディアック。
整備兵達の荒々しい笑い声が途切れない。
カインはほのかの肩を借りながら、艦隊に拿捕される豪華客船を見つめていた。
(……アリア。今夜は本当に、ワインが必要だな)
『ええ、今日は……あの虫にされた女の子達に献杯よ。……スキャンで気が付いてたでしょう?彼女たちの心は壊されて偽物の記憶で生きてたのよ……私と同じ……可哀想な娘たち……』
(そうだな……生体兵器はDNAレベルでいじられている……もはや……助けるのは不可能だ……しっかりと殺してやることしか出来ない)
大災厄の首謀者たちの断末魔は、ヘリ空母の格納庫から消してもらえる事はない。
殺してもらう事が出来ないのだ。




