第68話 生物兵器
連雀駐屯地の地下深く、巨大なファンが唸りを上げる空調循環室に辿り着いたコンラートとランを待っていたのは、静まり返った銀色の迷宮だった。
無数のダクトが血管のように壁を這い、足元の鉄格子からは階下の暗闇が覗く。
コンラートは不敵な笑みを崩さぬまま、人工網膜のアクティブ・スキャンをフル稼働させた。
「……さて、ラン。アレハンドロ先生が贈ってくれた『慈愛の装置』を拝もうじゃないか」
コンラートが右手の人差し指を立てると、爪先がスライドしてプラズマ工具の基部が露出した。
コンラートは手際良くプラズマ・ドライヴァーで固定ネジを焼き切ると、重厚な外部フィルターが鈍い音を立てて外れた。
彼はそれをランの前に差し出す。
ランは切れ長の目を細め、チャイナドレスのスリットから覗くしなやかな足を折るとしゃがみ込み、フィルターの網目に付着した「異物」を網膜スキャンした。
コンラートの視線は自然とランのスリットに釘付けになる。
それは凶悪なパーツが換装されているとは到底思えない魅力的な女性の脚だった。
「……これね。羽化していない卵がびっしり残っているわ」
ランの眼球、シュタインハイム・バイオニクス社製ANO-MED-V7 "Aura"に内蔵された医療、生化学兵器に特化したアナライザーが、瞬時に分子構造を解体し、電脳に解析結果を叩きつける。
「蚊の卵……遺伝子は62%が人工配列。卵の中の幼体なのに毒袋がある……内部成分確定。神経操作用ナノマシン薬液『PS』。……アレハンドロ・ファン、真っ黒ね。聖者の仮面の下で、兵士たちを自分の操り人形に変える卵を、この空気の源流に仕込んだのよ」
「証拠は『A-アポトーシス(生物兵器自死プログラム)』で跡形もなく消せると思ったのかねぇ? 詰めが甘いぜ。羽化に失敗した『死に卵』までは、自死プログラムも及ばなかったらしい」
コンラートが肩をすくめた、その瞬間だった。
彼の網膜ディスプレイに、血のような真紅のアラートが猛烈な勢いで明滅する。
背後、巨大な送風ファンの影から、二つの歪な熱源が「視覚化」された。
「――それは、俺たちが今ここで、その証拠ごとあんたたちを消せば済む話だがなぁ!」
湿り気を帯びた、粘つく声が空間を震わせる。
闇から這い出したのは、幻想的なグラデーションヘアをなびかせた美女、イングリッド。
そして、浅黒い肌に穏やかな笑みを貼り付けた青年、ラジャン。
だが、彼らの瞳には知性ではなく、捕食者特有の冷酷な光が宿っていた。
「『蠍』の掃除屋……。随分と趣味の悪い『虫』が沸いたものね」
ランが冷徹に言い放ち、右足のアンカーを鉄格子に深く食い込ませる。
その時、四人の共有していた電脳に、司令部へ入ったカインとラズロの声が同時に飛び込んできた。
「敵を確認したな?そちらへ急行する。……共有視界で分かっているだろうが、こっちは大収穫だぞ」
カインの低い声が、勝利への確信を運んでくる。
「司令部の隠しログを復元した。アレハンドロの野郎、待機室で清浄機に卵のカプセルを装着する姿がバッチリ映っていやがる。どうやらあの卵、物理的な衝撃に極端に弱いらしい。だから現場で、自分の手で直接取り付ける必要があったわけだ。手間を惜しんだのが運の尽きだな」
「物的証拠も、記録映像も揃った。……アレハンドロ・ファン、あんたの「聖人ごっこ」はここで打ち止めだ!こいつらも『証拠』にしてやるよ」
ラズロの咆哮が通信を締めくくると同時に、空調室の隔壁の一部が爆砕した。
硝煙の中から、金髪をなびかせたカインと、呪われた左腕を隠し持つラズロが現れる。
「四対二か……。私たちの相手としてはエクスキュショナー四人程度じゃ足りな過ぎるわね」
イングリッドが嘲笑うと同時に、その美しい生体皮膚が内側から弾け飛んだ。
バリバリと不快な音を立てて展開するのは、鋼鉄より硬いキチン質の外骨格。
頭部はカミキリムシの醜悪な顎へと変貌し、背中からはあらゆる障害物を切断する硬い翅が飛び出す。
対するラジャンは、まるで溶けるようにその輪郭を崩し、流体化した。
骨格を消失させたそのゲル状の皮膚表面から、毒液を滴らせた黒い棘が一斉に突き出す。
ドゴォォォォン!
ラズロのヴォルカヌス・アームズ VA-92 "ケルベロス・ゲートキーパー"がACHS弾(対サイボーグスラッグ弾)をゲル状のバケモノに撃ち込んだ。
――開戦。
空調室の広大な空間が、一瞬にして超高度なサイボーグ戦の実験場と化した。
ランの脚部フレームに内蔵された単チタン結晶化アクチュエーターが、キィィィィンという高周波の駆動音を上げる。
リミッターギリギリの脚部機動解放。
アンカーがするりと収納された刹那、彼女が跳躍し、イングリッドの翅による斬撃を紙一重でかわすと、虹色のプラズマを纏った『ギルタブリル』――エネルギー体円月輪を放つ。
光り輝く磁場高度圧縮体であるエネルギーの円輪は触れれば5万度の高熱で生体細胞をプラズマ化させる。
「避けないでよね!それ、作るのいちいちめんどいんだからさぁ!」
叫びながら、床を蹴るランは三秒とたたず20mの高さにあるボイラーパイプを蹴っていた。
その跳躍はすでに地上のあらゆる樹上性動物の動きを凌駕していた。
一方、コンラートは磁気ダンパーをフル稼働させ、10インチの大口径拳銃『ティアマット』を片手で乱射した。
ズドン! ズドン! と、フルオートにしては遅く聞こえる重低音の銃声が空調室を爆音に包む。
旧世代のMBT (主力戦車)の側面装甲すら貫通可能な67口径弾頭により、ラジャンの流体化した身体が激しく弾け飛ぶが、弾丸は虚しくゲルを通り抜け、即座に結合を再開する。
凄まじい速度で弾け飛んだ肉片は、壁に当たってもなお、四散していた。
「粘着質な野郎だ……! 掃除が捗らねえぜ!」
コンラートが舌打ちし、右太もものスリットからエネルギー体マチェット『マルドゥーク』を抜き放つ。
エネルギー体内部に隠匿された純チタンニードルが放つナノマシン・ウイルスが、ラジャンの核を内部から焼き切ろうと火花を散らす。
まるで中世の剣の達人のように振るわれるマチェットは少しずつ、しかし確実にラジャンの肉片を炭化させ、切り飛ばしていた。
『カイーン!右跳ぶ!ジャンプ10m、そこパイプ。あ、左壁蹴る!」
戦場の支配者はカインだった。
ラジャンの飛ばす毒針や酸など掠りもしない。
彼の網膜には、アリアが算出した最適解の戦術図が、耳にはアリアの鈴を転がすような、それでいて鋭い戦術指示が……アリアの思考そのものと合わさりカインの機動を神の領域まで高めていた。
ドゴォォォォォォォン!!
ドゴォォォォォォォン!!
コンラートと戦いながらも打ち込まれるタングステン弾芯はラジャンの再生も、作り出される毒針も次々と消し飛ばしていた。
『カイン、左前方。31m直上跳ぶ!それ!真下21.039度角度調整。スライム男の擬態核よ。ちっさいわねこれ!リンクデータD45-1……今!』
(了解だ、アリア。……逃がさん)
カインが『ベヒーモス』を秒で収めると、右腕の皮膚をせり上げ、三連装レーザーバルカン『オルトロス』を露出させる。
毎分1200発の超高速連射。
目にも止まらぬ閃光の帯が、ラジャンの流体ボディを突き抜け、核を正確に貫き、一瞬で蒸発させた。
核を焼かれ、断末魔の叫びを上げるラジャン。
その崩れた身体がパイプ群を抜けて下へ下へと逃走を開始する。
(逃げ切れば……逃げ切ればまだ……オレの核は水に浸かればまだ再生できる……)
しかし、下層にいたラズロはセミオートマチック・ショットガンを右手に持ち替えると左手を一振りする。
ラジャンの10個の目に映るのは禍々しく変形したラズロの左手だった。
ラズロの『ハデス・クロウ』が複数のパイプごとラジャンを撫でた。
三本の鈍色の鉤爪が放つ高周波振動が物質的結合を原子レベルで粉砕し、床に落ちて絶命したラジャンの残骸の上には破壊されたパイプから流れる汚水が滝のように流れ落ちていた。
イングリッドもまた、ランの『ギルタブリル(エネルギー体円月輪)』に触れ、ACHR (対サイボーグ重量弾)すら弾くはずの自慢の甲殻が次々と消し飛ばされていた。
(上空から毒を、針を撃ってやる!)
「死ね!」
「バカね、あなた……サイボーグに『死ね』なんて合図したら、計算されるに決まってるじゃない」
羽根で急上昇した先にあったのは忌々しい5万度のプラズマ体――ギルタブリルだった。
両羽が超高熱により炭化を超えて消失する。
「いゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
カミキリムシの様な口から、若い女の悲鳴が響く。
体勢を崩して落下するイングリッドの体が三度弾けとんだ。
ドゴォォォォォォォン!!!
ドゴォォォォォォォン!!!
ドゴォォォォォォォン!!!
カインの『ベヒーモス・バスター』が火を吹いたのだ。
20mm徹甲炸裂弾が硬質な外殻をぶち抜き、内部で安定化ニトロが炸裂する。
北欧の美貌を誇った暗殺者は、言葉通り粉々に吹き飛んだ。
『ね、カイン。このパイプの上。完璧だったでしょう?』
(ああ、アリア。今回も完璧だ)
『今夜はワイン飲ませなさいよ!白ね白!』
四十七分。
並のエクスキュショナーであれば、一秒も持たずに蹂躙されていただろう「赤い蠍」の特務員二人は、UPL最強の四人の前で、言葉通りただの「液体と瓦礫」へと成り果てた。
ドボドボと壊れたパイプから流れていた汚水は勢いを次第に緩やかに変えていった。
「……はぁ。凄過ぎるわね……カインとラズロ……。一生かかっても敵いそうにないわね」
ランが、カインの体と腰に戻っている『ベヒーモス』を眩しそうに見つめながら、溜息混じりに呟いた。
「同感だ。……ラズロの左手も凄いな」
コンラートも、すでに生身の腕にしか見えないラズロの腕を見つめながら、崩れたネクタイを少し緩め、爽やかな苦笑いを浮かべる。
足元に転がっていたイングリッドの肉片が、プシュ……と音を立てて白煙を上げ、崩壊し始めた。
「『A-アポトーシス』……。死してなお自分たちのルーツを消し去る、徹底した人為的な隠滅プログラムか。やれやれ、せっかくのいい剥製(証拠)だったんだがな……。この様子じゃ汚水の中のアレもダメだろう」
コンラートが皮肉っぽく呟くが、その目は笑っていなかった。
その時、時刻はちょうど午前零時を告げた。
四人の電脳に、堰を切ったように軍事通信が流れ込んでくる。
『――各員に告ぐ。連雀駐屯地、および都内各地の反乱部隊、武装解除を開始』
『洗脳軍、投降。……繰り返す、全域で投降報告が続々と入っている……!』
地獄のようだった一日の終わりを告げる、滝のような報告の数々。
「切れたんだな……洗脳薬のリミット(効果時間)が」
カインの右腕のスリットから漏れる冷却ガスは勢いを次第に緩やかに変えていった。
カインはサングラスを指で押し上げ、崩落した隔壁の向こう側、わずかに白み始めた冬の夜空を見つめた。
アレハンドロ・ファン。
追わなければならないこの大災厄の首謀者の名を四人の電脳は、彼のプロフィールと共に刻んでいた。




