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第66話 調布空港

 調布飛行場の滑走路。

 その上空の夜雲を、青白いプラズマの軌跡が切り裂いた。

 降臨したのは、UPLが誇る戦略機動の極致――2490年ロールアウトモデル、超音速強襲輸送機『フレスベルグ』。

 その双発の「陽電子補完型ラムジェットエンジン」は、大気中の粒子を陽電子崩壊のエネルギーで強制燃焼させ、物理法則をあざ笑うような減速機動を見せつける。

 機体表面には、レーダー波を完全に減衰させる特殊電磁吸収タイルが隙間なく敷き詰められ、秘匿部隊の鉄則として、所属を示す紋章や識別番号は一切刻まれていない。

 ただ、闇よりも深い「虚無の黒」を纏ったその機体は、そこに存在するだけで周囲の空間を圧迫する死神の鎌のようだった。


 キィィィィィィン……という、鼓膜を震わせる高周波の冷却音が響く中、機体後部のカーゴハッチが重厚な油圧音と共に開く。

 内部の赤いアラートに照らされ、二人の男が生身では不可能な高度4000からの降下具無しの直接降下で降り立った。


 一人は、流れるような金髪を夜風になびかせ、サングラスをかけた男。

 カイン・ヴィラールだ。

 その左脇には、22mm徹甲炸裂弾を呑み込んだ怪物、『ベヒーモス・バスター』が鈍い光を放っている。

 右手の皮膚の下には、すでに亡きアリアの形見である三連装レーザーバルカン『オルトロス』が、主の脈動を待つように潜んでいる。


 もう一人は、黒に近いブロンドを無造作に束ねた、獣のような眼光の男。

 ラザロ・スタイン。

 彼の左腕には、亡き妻ジェシカの遺品――空間を穿つ呪われた砕裂兵器『ハデス・クロウ』が換装されている。

 通常は生身の腕にしか見えないその外装の下で、高振動ユニットが獲物の分子結合を解体しようと、人には感知できない殺気を放つ。


「――宜しく、先輩達。カイン・ヴィラール警部補だ。東京の空気は、血と硝煙の匂いが強いな……状況は?」

 カインが皮肉めいた笑みを浮かべる。

 サングラスの奥の人工網膜が、コンラートとランの全身スペックを一瞬でスキャンし終えていた。


「ラザロ・スタイン。よろしく先輩。ほう。……美人の先輩だな」

 ラザロが、ランの凛とした立ち姿を値踏みするように見た。

「アメリカの湿気た路地裏から来た甲斐があったぜ。これからが楽しみだ」

 ラザロが大きな掌を差し出す。

 だが、その手を握ったのはランではなく、割り込むように一歩前に出たコンラートだった。


「コンラート・ヴィシニェフスキだ。僕の『妻』に、気安く手は出すなよ後輩。……ランに用事がある時はボクを通すように」

 コンラートがいつもの軽薄な笑みを浮かべ、完璧にタイを締めたスーツの襟を正しながら、ラズロの手を握る。

「誰が妻よ! この馬鹿!」

 間髪入れず、ランの鋭いデコピンがコンラートの額を弾いた。

 超硬質パーツ同士が激突する硬質な音が響き、コンラートが「痛っ……! せっかくいいところだったのに!」と大袈裟にのけぞる。

「今、映画の『戦場の恋人たち』のワンシーンみたいだろ?」

 ランがため息をつく。

「あのねぇ……UPLエージェントで映画見てるの、ほのかと貴方だけよ……たぶん」

 ランはこれ以上はコンラートを無視し、カインの前に立った。

「宜しくね。ラン・フェン・アイヒェルよ。クソッタレた『ゾディアック(十二宮)』を三人も屠った英雄さん。……あなたたちのような猛者に会えて、光栄だわ」

 彼女の瞳の奥には、誰か大切な者を失った、そして地獄の深淵を覗いた者のみが持てる黒い炎が宿っていた。

 カインはその手を力強く握り返す。

「英雄なんて柄じゃない。俺たちはただ、掃除をしに来ただけだ」

 

「カインも……ラズロも……大事な人を失ったのでしょう?目を見れば分かる。それにUPLはみんなそうだものね。私たちもそうよ……このバカのふりをしているコンラートもね」

「いいんだお嬢。余計なことを言わないでくれ……」

 

 この間にも軍用通信は激しさを増していた。

「明大前交差点!スカウト第473です!至急!」

「洗脳された軍の重パワードスーツ部隊が、防衛ラインを突破しようとしている!」


 軍の通信を聞きながら、カインは腰のハードポイントにある『ベヒーモス・バスター』のボルトを引き、タングステン芯の弾頭をチャンバー(薬室)へ送り込んだ。


「メイダイマエと言ったか。そこに行くか、ラン?」

 「いや、まずはバイクが必要だ。超都市部の崩壊した戦場だ……距離的にもバイク以外じゃ移動ができない」とコンラートが提案する。

「了解だ先輩」

「先輩はやめて欲しいわカイン。UPLは家族なのよ。それにゾディアック(十二宮)殺しの英雄に言われると……なんかつらいわ」

 ランはクスクス笑っている。

「お嬢、久しぶりに笑ったな」

「アンタ、今日、笑えるようなシーン無かったでしょう?笑ってたらバカかあなただわ」


 調布飛行場。

 2490年において、ここはもはや時代の遺物に近い場所だった。

 短距離の空の主役が反重力式のエア・カーへと完全に移り変わったこの時代、「小型機専用空域」という不自由極まりない空を愛する物好きは、ごく一握りの小型航空機マニアに限られている。

 数少ない離島への定期便を除けば、ここはかつての栄華を記憶の底に沈めた、静かな箱庭のような場所だった。


 完全自動化が進んだこの辺境の空港を支えるのは、交代制で詰め合う、わずか三人の職員のみ。 

 しかし、その平穏は、軍の特殊輸送機から降下具も持たず「直接降下」で舞い降りた二人の男と、端末から、無線から、テレビから、滝のように垂れ流される凄惨なニュースによって粉々に砕け散っていた。


 管制塔のモニターには、かつての街並みが炎に包まれる光景が映し出されている。

「……繋がらない。どうして、誰も出ないんだ……」

 三人の職員のうち、二人は家族が調布と三鷹にいた父親である。

 もう一人は、空港に隣接する女子寮に身を寄せていた若い女性。

 震える手でスマホを操作するが、返ってくるのは無機質な圏外表示のみ。

 唯一の独身チサトは、田舎の両親、中野に住む兄に325回目になる連絡が繋がらず絶望を感じていた。

 もはやスマホは戦況報告ニュース以外は表示できない役立たずの板に成り下がっていた。

「ママ……パパ……」

 軍の作戦行動に伴う民間回線の通信制限だと頭では理解していても、心は悲鳴を上げている。

 父親である二人の自宅周辺はすでに「交戦による立ち入り禁止区域」に指定され、地図上では赤く塗り潰されている。


 職務を放棄し、今すぐにでも家族のもとへ駆け出したい。

 だが、外は戦場だ。

 そんな切実な祈りが、一人の職員の目から涙となって溢れ出していた。


 そこへ、重厚なブーツの音が響き、カインとラズロが管制塔の扉を蹴立てるようにして入ってきた。

 職員たちが怯えの視線を向ける中、カインが笑顔とは到底思えない威圧感を孕んだ渾身の笑顔で右腕を掲げる。

 戦場で民間人からバイクを借りようというのだ。

 その笑顔はカインなりの、配慮だった。

 

 空中に浮かび上がったのは、USCIB(統一国家刑事局)のホログラムバッヂ。

 警部補の刻印が、青白い光を放ちながら精緻に回転している。

 2490年の最新偽造防止技術を注ぎ込んだこのバッヂは、国家の威信そのものであり、有象無象が真似できる代物ではない。


「……すまないが、この地獄を片付けなきゃならない」

 カインの低い声が管制室の空気をさらに凍らせる。

 サングラスの奥の瞳は、すでに戦場の熱を帯びていた。

「バイクを貸して欲しい。この地獄をなんとかする為に来たんだ。必ず返す」

 その場が突然の訪問者に静寂に包まれた。

 しかし、職員の一人、チャン・ユウキと名乗った男が、涙の跡を拭いもせずに一歩前に出た。

 その手は小刻みに震えているが、瞳には縋るような光がある。

「空港の備品には、そんな上等なものはありません。……ですが、私の、私の通勤用でよければ。2477年式『ムラマサGh-335-RQ』。休みのたびに磨き上げてきた、私のすべてです」

 チャンの声が掠れる。

 それは趣味の域を超えた、彼にとっての最大の誇りなのだろう。

「……刑事さん、乗ってください。無理を言っているのは分かっています。でも……三鷹にいる私の家族を、どうか、どうか助けてください」


 カインはその悲痛な願いを、正面から受け止めた。

「……約束はできない。だが、俺たちの仕事は国民を守ることだ。何とかしてみよう」


 カインは頷くと、網膜ディスプレイにチャンのID情報を展開し、そこから彼の住所地と家族の個人IDデータをUPL権限で照会した。

 戦場のノイズ混じりのネットワークの向こう側、目黒PD(警察署)の避難者リストに、チャンの家族の名が辛うじて刻まれているのをカインは確認した。


 おそらく、地獄と化した道程を死に物狂いで歩き、逃げ延びたのだろう。

 だが、カインはその事実を口にすることはなかった。


 捜査官として、あるいは戦場を知る一人の軍人としての鉄則が、彼の喉をせき止めていたからだ。

 「戦火の最中にいる民間人の無事」を安易に伝えることは、無知な傲慢に等しい。

 弾丸一発、崩落一つで、その「無事」が次の瞬間には「絶望」へと塗り替えられるのが戦場だ。


 確証のない希望で彼を揺さぶるわけにはいかない。

 カインはただ、サングラスの奥で家族の現在地を脳内マップに刻み込み、無言のままパールホワイトの車体に跨った。

 カインはチャンのIDから『緊急時民事徴用特権申請』のプロトコルを即座に実行する。

 承認の電子音が、静かな管制室に冷たく響いた。


「こちらです、急ぎましょう」

 案内に導かれ、格納庫の隣にある職員用駐車場に向かう。

 そこには、外の惨状とは無縁のように、全身がパールホワイトに輝く美しい流線型のバイクが鎮座していた。

 カインは追加で車体データも登録し、民間のリミッターを解除する。

「悪いな、絶対に返すよ……」

 ラズロがいつもの軽口を封印し、沈痛な面持ちで後部座席に飛び乗った。

 それはチャンの妻以外許されないはずの聖域に別の者が座った瞬間である。

 計器類を確認すると、燃料である純水は満タンだ。


 スイッチを入れた瞬間、新型の超小型ハイドロ陽電子レーザーエンジンが、猛獣の咆哮のような爆音を上げた。

 民間では搭載モデルはこれが初めてだったはずだ。

「……おい、こいつのエンジン名、変えた方がいいぜ。誰が考えたんだ? 『超小型』なんて名前のくせに、本体も音もバカでかすぎるだろ」

 ラズロがハンドルの振動に耐えながら、場を和らげるようにぼやく。

 チャンがその言葉に、少しだけ、本当に少しだけ、頬を緩めて答えた。

「刑事さん。エンジンの中にある陽電子フィラメントが『超小型』なんですよ。だから、出力は怪物です」


「――無駄話はやめて。早く行くわよ」

 一足先に自らのバイクを起動させていたランが、冷徹な声で二人を急かす。

 その漆黒のツインテールが、エンジンの排気熱でわずかに揺れた。


「よし、行くぞ……!」

 カインが運転席で民間用のAI自動制御を、捜査官権限でマニュアルへと切り替える。

 フルサイボーグの反射速度でなければ制御不能な、剥き出しの加速力が解き放たれる。

 ラズロが背後でしっかりと姿勢を固定し、二台の鉄の獣は、白煙を上げて調布の滑走路を蹴った。


 向かう先は、戦火に包まれた三鷹。

 パールホワイトの車体は、絶望の空の下で、唯一の希望の光のように、瓦礫の街へと消えていった。

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