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第65話 階級の意味

 要塞のごとき威容を誇る府中PD(警察署)の内部は、静まり返った外観とは裏腹に、阿鼻叫喚の渦中にあった。

 ロビーには調布方面から逃げてきた負傷した市民が溢れ、対策部隊と称して人員のほとんどが武蔵野地区の「地獄」へ送り出されたばかりだという。

 残された署員たちは、モニターに映し出される同僚たちの無残な死に顔を見て、顔面を蒼白にさせ、ただ震えていた。


 府中PDのロビーに、重苦しい衝撃音が響いた。コンラートが受付の防弾ガラスを拳で叩きつけ、USCIB(統一国家刑事局)の身分証を突きつける。

 だが、受付から呼ばれて現れた若い警部――カグタは、手元の端末に表示された「全コード認証完了」の緑色のログを訝しげに眺めるばかりで、一向に取り次ごうとしない。

「反乱軍の工作員でないという保証がありません。念のため、上層部への照会が終わるまで待機を」

 慇懃無礼な口調でそう言い放たれてから、二時間が経過した。

 何度受付に話しかけても「お待ちください」のおうむ返し。

 外では今も「洗脳された軍」による虐殺が続いているというのに。


 ランの堪忍袋の緒が、音を立てて切れた。

「いい加減にしなさいよ! 何時間待たせるつもり!? 署長! 責任者を出しなさい!」

 静まり返った署内に、ランの凛とした怒号が轟く。その剣幕に圧されたのか、奥の執務室から「何事かね……」と初老の署長が顔を覗かせた。

 カグタ警部は慌てて署長に歩み寄り、声を潜めて耳打ちする。

「いえ、いつもの常連ですよ、署長。騒げば構ってもらえると思っている手合いです。そのうち飽きて帰るでしょう」


「……何ですって! このジャガイモ頭! 顔までジャガイモのくせに!」

 ランの罵声が飛ぶ。

 隣でコンラートは「ジャガイモって、お前……」とケラケラ笑いながらも、静かに右手を掲げた。

 展開されたのは、先ほどの刑事局のものではない。

 

 コンラートの掲げた右手が、青白い光を放ちながら空間をスキャンする。

 展開されたのは、通常の警察バッジではない。 

 UE-0 "PHANTOM-LIMBファントム・リム"――国家主権をも超越する特権を与えられた、選ばれしエクスキュショナー(執行官)のみが携行を許される極秘のホログラムバッジだった。

 いつもなら出さないコンラートだが、今は時間が全てに優先されるのだ。


 それは、平時においては決して表に出ることのない、この国の平和を維持する為に与えられる「絶対の捜査権と指揮権」を象徴する刻印。

 署長は震える手で自身の管理者端末を操作し、署長級以上にのみ閲覧が許可されている暗号化データを受付の空間に展開した。

 網膜に投影される機密ファイル。

 そこには、二人の「真の身分」が非情なまでの簡潔さで記されていた。


【階級:警視監相当 / 軍待遇:軍中将に準ずる】


 署長の顔から、完全に血の気が引いた。

 警察組織における実質的な最高幹部であり、軍であれば一個師団を動かす将官。

 そんな「生ける国家意思」そのものが、目の前で二時間以上も足止めされていたのだ。

 署長は改めて、自身の隣で呆然と立ち尽くす部下の無能さに、底知れぬ愕然を覚えた。


「UPL…………我が署に、こんな……失態だ……」

 署長が絞り出した声は、自らの首を括る縄の音のように掠れていた。


 署長はカグタを突き飛ばし、脱兎のごとくランの足元へ駆け寄る。

「ま、まさか……UPL!? 失礼いたしました! おい、カグタ! 貴様、いつから彼らを待たせているんだ!」

「二時間と十四分。たっぷりと待たせてもらいましたよ、署長さん」

 コンラートがニヤニヤと薄笑いを浮かべながら、蛇のような鋭い視線をカグタに向ける。

 署長は顔を真っ赤に沸騰させ、震える指で部下を怒鳴りつけた。

「バカモノ! 貴様、刑事局の認証コードを確認して照合まで済ませているじゃないか!」

「し、しかし……偽装の可能性も捨てきれず、慎重を期すべきかと……」


「確認など、最初からしてないだろうッ! 刑事局の認証偽造など、軍の特務機関ですら不可能なことくらい、階級持ちなら知っているはずだ! 端末の照会履歴が一行も動いていないじゃないか!」

 

 署長の怒声が、静まり返ったロビーに雷鳴のように反響する。

 カグタは金縛りにあったように硬直したまま、脂汗を流して視線を泳がせた。

「えっ……あ、いや、それは……タナカに指示して、照会を急がせていたはずで……」

 往生際の悪い、部下への責任転嫁。

 その言葉が終わる前に、受付カウンターの端で書類を整理していた若い女性巡査、タナカが冷ややかな声を上げた。


「……課長。私、そんな指示、一言も受けてませんけど」

 タナカ巡査は、日頃から高圧的で無能な「ジャガイモ・カグタ」を蛇蝎のごとく嫌っていた。

 彼女にとって、これは千載一遇の好機チャンスだ。

 ここぞとばかりに、援護射撃を叩き込む。

「むしろ課長、『あいつら、飽きて帰るまで放置しとけ』って仰ってましたよね? 私、はっきりと耳にしました。……署長、嘘だと思うなら、受付AIログ(全動作記録)を開示しましょうか?AI記録ですし、秒で展開できますよ」


 嘘はついていない。

 むしろ、これ以上ないほど純粋な真実の弾丸だった。


 署長の顔が、もはや怒りを通り越してどす黒い紫色に変色していく。

「……カグタ。貴様、私にまで嘘を吐いたのか。国家の要人を、単なる『気分』で二時間も待たせたと言うのか……!」

 絶望的な沈黙の中、コンラートがふっと鼻で笑い、ランの隣で肩をすくめた。

「おやおや、身内からも随分と慕われてるじゃないか、ジャガイモ課長さん」


「変な嘘を吐くな! 貴様は謹慎だ。……お前は今、この未曾有の大惨事を止めるために派遣された国家政府の要人を、二時間以上も足止めしたんだぞ。この『空白』のせいで、外で何人の市民が無駄に死んだと思っているんだ……。貴様の懲戒は免れん。管理責任を問われる私共々な!」


「ありがとうね、可愛いタナカさん。今度、美味しい食事でもご馳走するよ」

 コンラートが、前髪をかきあげながら、カグタを追い詰めた彼女に報酬を与えるかのような、甘く低い声で囁いた。

 署内では「氷の美人」と渾名され、どんなエリートの誘いにも眉ひとつ動かさないはずのタナカ巡査だったが、この時ばかりは頬を微かに上気させた。

 彼女は嬉しそうに、それでいて抜け目ない微笑みをコンラートに向ける。


「はい! ぜひ、喜んで! ……あ、今の言葉、しっかりAI・ログにパッチ (記録)しましたからね。絶対ですよ、絶対に連れて行ってくださいね?」


 鉄の規律を誇るはずの彼女が、食いつくように約束の「証拠」を突きつける。

 隣でそれを見ていたランが「……あんた、地獄の真っ只中で何ナンパしてんのよ」と呆れた視線をコンラートに投げたが、彼はただ肩をすくめて、カグタの処刑台(受付カウンター)を後にした。

 コンラートのナンパはいつもの「挨拶」なのはランはもう慣れている。

 署長自らが急いで、彼らを5階の長距離通信室へと案内した。


 室内の中央、青白い光が収束し、ホログラムのジュリアン中尉が投影される。

 その表情は、かつてないほど険しい。

「すでに惨状は把握している。……二人とも、無事なようだな」

「中尉、悠長な挨拶は抜きです。状況は最悪だ」

 コンラートが前置きし、喉の奥に詰まった苦い味を吐き出すように続けた。

「これは単なる軍の蜂起や反乱ではありません。――『洗脳』です。兵士たちは自らの意志を剥奪され、ターミネーター (処刑人)に作り変えられている」


 ランがすかさず、自身の電脳に記録された戦闘ログと、倒した兵士の頸部から検出した『PSパペティアーズ・セラム』の分析データを中尉へ転送した。

 数秒の沈黙。

 中尉は送られたデータを瞬時に精査し、深い溜息をついた。

「……なるほどな。パペット(操り人形)か。合致した。今こちらで極秘裏に、反乱基地に立ち寄った不審者を洗ったのだが、驚くべき該当者が浮上した」


「何ですって?」「なんだって」

 二人の叫びが重なる。

「世界最高の学府、統一国家皇帝大学学長ベルリオーズ・ヴォルシャニノフ。そして世界医師連盟会長、アレハンドロ・ファン。この二名だ」

 中尉の背後に、二人の男の顔写真が浮かび上がる。

 一人は知性の塊のような老学者、もう一人は慈愛を湛えた東洋系の医師。

「彼らは反乱を起こした各基地に『最新ナノマシンと化学兵器による対非正規戦』の合同講話という名目で立ち寄っている。だが、おかしいのだ。講話はわずか一日で切り上げられ、ベルリオーズはギリシャへ、アレハンドロはチリへ、それぞれ即座に発っている。内部の隊員が内通している可能性は、現時点で全て消えた。この『VIP』たちのどちらか、あるいは両方が『スコーピオンのネズミ』だ」


 ランは拳を強く握りしめた。爪が掌に食い込む。

 世界から尊敬を集める権威たちが、この虐殺の引き金を引いたという事実に、内臓が裏返るような不快感を覚える。

「日本地区政府には私から即座に打診する。蠍の息がかかった内通者を警戒し、複数の秘匿ルートを使う。君たちは日本が落ち着き次第、この二人のいずれかを追ってもらうことになる。……覚悟しておけ」


「了解です。……ですが、中尉。応援はどうなっています? チームレッドとグリーンは壊滅したと聞きましたが。私たちチームブルーの他に、生き残りの新人が?」

 ランの問いに、中尉の唇がわずかに歪んだ。それは皮肉か、あるいは期待か。

「その通りだ。NYPD (ニューヨーク市警)の元エクスキュショナー。カインとラズロ……『ゾディアック (十二宮)』を三人も屠った英雄だ。あと三時間でそちらに着く」


「……あいつらか……ログは見ていた」

 コンラートが長く、低い口笛を吹いた。

「『新入り』なんて呼べるタマじゃない。NYの路地裏を血で洗ってきた狂犬どもだ。中尉、彼らが来るなら、これ以上の援軍はない」

「ああ、それに奴らが蠍だとすればこれ以上の『反乱』は無い。立ち寄った基地は全て蜂起済みだ」

「コンラート。彼ら……どんな人なのかしら?性格さえ良ければ、頼もしいんだけどね」

 ランの懸念に対し、中尉は冷徹に応じた。

「いつも通り、変わり者だ。だが実力は保証する。仲良くやれ。……それから、火力支援は必要か?」


「いえ。中尉、それよりも至急、L.C.M(非殺傷制圧兵器)を使用するよう全軍に示達してください。敵は『操られているだけの味方』だ。俺たち二人で対応するには、殺さずに無力化すべき数が多すぎる」

「了解だ。すでに示達済みだが、徹底させよう。……健闘を祈る」

 通信が途切れると、部屋に重苦しい静寂が戻った。

 コンラートとランは府中PDを後にし、再びハーレーを調布飛行場へと走らせた。

 道中、彼らはいくつもの「地獄」を通り過ぎることになる。

 路上には、洗脳された兵士たちが一般市民を狩る、救いのない光景が点在していた。


「コンラート、あそこにも!」

「分かってる、お嬢。一瞬で終わらせるぞ!」

 二人はその都度、爆音と共に介入した。

 ランの回し蹴りがパワードスーツの関節を捉え、コンラートの高振動ブレードが銃器だけを正確に切断する。

 ランの「蹴り』は、今や悲鳴を上げる市民を守るための「聖剣」として駆動していた。

 コンラートがバイクで走り、ランが蹴り、また走る

 殺す必要はない。

 L.C.Mの示達が出ている今、彼らに必要なのは「時間を稼ぎ、生かしたまま眠らせる」という、あまりに困難で精密な作業の連続だった。

 飛行場へ続く甲州街道沿いでは、もはや隠蔽のフェーズは終わっていた。

 街頭の大型ビジョンや、乗り捨てられた車のラジオからは、ひっきりなしに緊急速報が流れている。


『――繰り返します。これは軍の組織的蜂起ではありません。何者かによる洗脳薬PSの散布による大規模テロです。市民の皆様は……』

 蠍のネズミが警察や軍の内部にいたとしても、これだけの規模の虐殺を「正当な反乱」として塗りつぶすのは、もはや不可能になっていた。


 「隠蔽を放棄したということは、『蠍』は次のフェーズ(段階)へ移行した……ということね」

 ランが後部座席で、風に混じる鉄錆のような血の匂いを感じながら、低く呟く。

「それもあるが……『心ある連中』が、俺たちと同じように戦っているんだろうよ。メディアの現場も、軍の上層部もな。……隠蔽させないために、必死で抗っている奴らがいるんだ、きっとな」

「ええ、そうね……。そうだといいわ」


 ランは憑き物が落ちたかのように、そっとコンラートの広い背中に顔を寄せた。

 サイボーグにヘルメットの装着義務は無い。

 風を直接浴び続けるランの漆黒のツインテールは、激しい気流に揉まれ、夕闇に長くたなびいている。

 今はただ、コンラートの背中から伝わるエンジンの鼓動だけが、彼女を人間へと繋ぎ止める唯一の錨だった。


 コンラートがスロットルを、物理限界まで力強く捻り込む。

 2488年式のハーレーが地獄の底から響くような咆哮を上げ、血塗られたアスファルトを猛然と蹴った。

 目指すは調布飛行場。

 そこには、この狂った夜を終わらせるための、カインとラズロと言う『鍵』が、希望の光として待っているはずだった。

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