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第61話 破壊されても耐えられる

 大型SUVの極太のタイヤが、赤い泥を撒き散らしながらピーターソン基地の滑走路を猛進する。

 アクセルを床まで踏み込むカインは、マニュアル運転をしながらチラチラと横を見ていた。

 そこには助手席で小さくなっている、ほのかの姿があった。

 車内を満たしているのは、エアコンの乾燥した風と、つい先ほどまで彼女の周囲に漂っていた微かな石鹸の香りを塗り潰すような、焼け付いたゴムと火薬の臭いだ。


「……ほのか。その、服のことだが」


 カインは前方を凝視したまま、絞り出すように声を絞り出した。

「すまなかった。……その服、とても可愛かった。綺麗で……なんと言うか……可憐と言うのか。せっかくの君の綺麗な服を……すまない」

 不器用な、洗練さのかけらも無いカインの言葉は、温かみに満ちていた。

 ほのかは、はっとしたように顔を上げる。

 視線を落とせば、二時間かけて鏡の前で整えた純白のスカートは、見る影もなく泥に汚れ、世界を蝕む酸化鉄の「赤」が、呪いのように深く染み込んでいる。

 だが、彼女の胸を支配したのは、喪失感ではなかった。


「……いいえ、カインさん」

 赤い水で汚れきった袖を震える指先でなぞりながら、彼女は小さく、しかし確かな声で微笑んだ。

 その一言。

 無骨で、鉄と硝煙の味しか知らないはずの彼が口にした「可愛い」という言葉。

 それは、ほのかの中では「あの日サッポロの地獄で失ったすべての人生を一瞬で肯定してくれる」のような響きを持っていた。

 

 服が汚れた時、榴弾の破片がカインの背後に降り注いだ時でさえ出なかった涙が、熱い雫となって彼女の頬を伝い、泥の汚れを白く洗い流していく。


「ほのか、その服と同じものを俺が必ず探そう。調べれば、今のネットワークなら……」

「いいんです……良いんです、カインさん。悲しいわけじゃないんです。……ただ……この涙は嬉しかったんです……」


『バカねぇ、カイン……アンタって人は本当に……。「乙女心」を一生理解できないのは確定ね!私もカインと結婚したら、その辺は考えとかないとな……」

 電脳の奥で、アリアが呆れたような、それでいてどこか慈しむような溜息をつく。

(アリア? 俺は何かに気がついていないのか?)

『クスクス……今、言ったでしょ。アンタ、一生気がつけないわよ。……私と結婚してくれるなら特別に教えてあげるわ』

(おいおい……この状況で、変な冗談は勘弁してくれ)


 SUVが半壊した司令部前の広場に滑り込んだ時、二人の視界に飛び込んできたのは、日常の崩壊だった。

 瓦礫の山の中央。

 返り血を浴びた発光する刀「雷切ライキリ」を、一切の迷いなく一振りし、鋭い金属音と共に鞘へ収める男がいた。

 ジュリアン・ヴァルテール中尉だ。その足元には、最新鋭のMFCSミリタリーフルサイボーグソルジャーの残骸が、バラバラに解体された機械の死体となって累々と積み重なっている。


「中尉!」

 カインが車を急停車させる。

 その隣では、たった今、マリアンヌが巨大なMFCSの残骸を、赤く赤熱した脚部の一撃で赤い鉄屑に変えていた。


「ああ、カインか。……またやられたよ。不意打ちだ。過去に何回かあった……『蠍』は俺たちを何としても消したいだろうからな」

 中尉の声は、北極の氷山のように冷たく凪いでいたが、サングラスの奥にある義眼は、獲物を探すように赤い残光を放っている。

「幸い、我々に被害はない。だが、ピーターソン基地はもう維持できん。本部は即座にハワイ海軍基地へ移転する。アンバーも、ノエルも、すでに出発の準備を終えた」


 その時、中尉の背後の影から、数人の屈強な黒服の男たちに守られるようにして、一人の初老の男が歩み出た。

 その顔を、カインの網膜ディスプレイが瞬時に解析し、叫ぶような警告を発した。


「まさか……第39代統一国家大統領、セロン・E・ハルフォード閣下!?」


「やれやれ……ジュリアン、すまなかったな。今回の件、私が君の基地に立ち寄ったことが、奴らの牙を誘ってしまったのかも知れん」

 大統領は、死線を越えた直後とは思えないほど穏やかに、しかし威厳を持って笑った。

「相変わらず見事だ。まさか『ゾディアック (十二宮 )』のライブラに、これほどの痛手を負わせるとは……。あの傷では、奴も数年はまともに動けまい」


 大統領の傍らでは、若く美しい女性秘書官――大統領の愛娘、エリーが、頬を林檎のように赤らめながら中尉を見つめていた。

「先ほどは、ワタクシも助けていただきまして……心よりお礼を申し上げますわ。……まさか、パパとワタクシに向かってくるマシンガンの銃弾を、すべて刀で切ってしまうなんて。敵は400は居ましたよね? それらすべてが軍用サイボーグの精鋭……。三分で200体以上を切り捨ててしまうのが、この部隊の『普通』なのかしら?」


「ハッハッハッハ! エリーよ、惚れるなよ! 中尉は人類の希望であり、唯一の『蠍キラー』だ。ただし、見ての通り、心まで鋼鉄で鍛え上げた修羅だぞ? ステキな結婚など…………あるのかね?再婚とはいえ、私としては、彼のような男が義理の息子になれば心強いがね」

 大統領は快活に笑い、カインと、別ルートから合流したラズロへと視線を向けた。


「カイン君、そしてラズロ君。君たちの活躍も聞いている。あちらのブロックで100近いMFCSを一人で屠ったのが君だろう? 感謝している。時間がなくて許してほしいが、これだけは伝えておこう。『私は諸君の味方だ』。軍、警察、政治、財界……。どこに根を張る『蠍』であっても、私は資金面では絶対に君たちを困らせない」


 大統領の瞳に、鋭い執政官の色が宿る。

「奴らが目指すのはただ一つ、自分たちの『不老不死とその維持』。そのための手段が、禁忌の薬物『N.o』だ。……さて、パイロットから急かされてしまったな」


 上空から、巨大な救難ヘリの重低音が降りてきた。

 G-Control Stabilizer(ヘリピックアップ用重力制御器具)が精密に降り注ぐ中、大統領のSPたちが次々と機体へ吸い込まれていく。

 去り際、数人のSPがカインや中尉の肩を強く叩き、無言で握手を交わした。


 その力強い感触が、敵だらけの世界における「戦友」の存在を伝えていた。


「ジュリアン、また会おう。……世界を頼むぞ」

 大統領は、ジュリアンに聞こえないのを承知で呟く。

 それは戦い終えた戦士への敬意であった。


 カインは直立不動で最敬礼を捧げる。

 大統領を乗せたヘリが、赤い空へと消えていくのを見送った後、背中にしっかりとしがみついていたほのかが、飛び跳ねるように離れてから、ピンと背筋を伸ばして敬礼した。

「マリアンヌが間もなく、輸送用の大型ヘリを持ってくるはずだ。我々は即座に離脱する。済まないが、我々が離脱するまで、残党の警戒を頼む」

「了解だ。中尉」


 爆音と共に、UPLのメンバーを運ぶ機体が次々と離陸していく。

 吹き荒れるダウンウォッシュの中で、泥に汚れた白いスカートを翻しながら、ほのかだけは、切ない瞳でずっと立ち止まっていた。

 ヘリに乗り込んでも、地表に残って哨戒を続けるカインの背中だけを、祈るように見つめ続けていた。

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