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第62話 撤収と回想

 中尉と三人娘、ドクターを乗せたヘリが、重低音を響かせながら赤い雲の彼方へと消えていく。

 残されたピーターソン基地の広場には、熱せられた電子基板の焦げる臭いと、降り始めた酸性雨が装甲板を焼く微かな「チリチリ」という音だけが漂っていた。

 カインは、愛銃『ジャッジメント・リヴァイアサン』のハンマーを指先で愛撫するように確認し、ホルスターに収めると、傍らで佇む相棒へと言葉を投げた。


「中尉は、私物やアンバーが眠る生命維持カプセル……それから、我々の拠点の備品すべてを、工作部隊が責任を持ってハワイへ運ぶと言っていたな、ラズロ」


「ああ、おそらくあれのことだろう?」

 ラズロがタバコのためだけに傘をさす。

 カインにタバコを挟んだ鈍色の指で、遥か地平を指し示した。

 そこには、統一国家陸軍の超大型輸送機『アトラス』が数機、赤い砂塵を巻き上げて展開していた。

 周囲を固めるのは、重装甲を纏った陸軍直轄の重サイボーグ歩兵連隊だ。

 その無機質な機械の足音が、地響きとなってここまで伝わってくる。

「陸軍の重サイボーグ部隊まで動員している。中尉の権限は、想像以上に軍の深部……それこそ、この国の脊髄まで食い込んでいるらしいぜ」


「ああ。……スキャンは続けているな?」

「当たり前だ、カイン。俺たちをここに残した意味は分かっている。本隊の離脱を悟らせないための『殿しんがり』であり、この基地が完全に機能停止するまで敵を迎撃する死神役だ。……しかし、改めて思い知らされたな。あのジュリアン・ヴァルテール中尉という男の底知れなさを」

 カインが、ラズロからもらった煙草に火を借りて吸い始める。

「『ゾディアック (十二宮 )』のライブラ (天秤座 )が直々に現れたということは、蠍は本気で俺たちを、この基地ごと地図から消しに来たはずなんだ。それを、あの中尉は……」


 ラズロは何も答えず、二本目のタバコを不器用な唇に咥えた。


 ラズロの全身は最新鋭の戦闘用義体であり、指先に高熱ヒーターを組み込むことなど、設計図の一行を書き換えるより容易い。

 だが、彼はあえてそれをしない。

 カチッ、カチッ。

 静寂の中に、古風なオイルライターの打火音が響く。

 亡き妻ジェシカの遺品――かつての世界的アイコンである「マヌケな顔のネコのキャラクター」が刻まれた銀色のジッポーだ。数十年にわたり磨き上げられたその表面は、キャラクターの輪郭さえも愛の証のように消えかかっている。


「ジェシカはタバコが嫌いだったはずだ。よくお前にそれをプレゼントしたな、ラズロ。皮肉か?」

 カインの問いに、ラズロは紫煙を細く吐き出し、赤い夕陽に細めた瞳の奥で、かつての温もりを追憶するように口角を上げた。

「ああ、大嫌いだった。だが……『タバコ臭くて吐き気がするけど、アンタの匂いと混じると中毒性がある』……なんて、わけの分からないことを笑いながら言っていたぜ。……女ってのは、論理回路が我々とは根本的に違うらしい」


 ラズロは話を戻すように、視線を無惨に解体されたMFCS(完全機械化人間)の残骸へと向けた。

「俺が戦闘を開始した時、すでに周辺は『十二宮』の手下のMFCS (ミリタリー・フル・サイボーグ・ソルジャー )に完全に包囲されていた。逃げ場なんて一インチもなかったんだ。……中尉が司令部から出てきたのは、その直後だ。三分。たった百八十秒だぞ。彼は200体以上のMFCSを、一切の咆哮も上げずに、ただの事務作業のように解体していった。……カイン、お前なら理由が分かるか?」

「……やはり、左目に何か隠されていたのか?それとも何か重火器でも使ったか?」


「いいや。あの男が使ったのは、その腰に帯びた『雷切』……ただ一振りの日本刀だけだ。しかも相手は、ただのサイボーグじゃない。軍のプロトタイプ・パーツを組み込んだ、対人殺戮特化型のMFCSばかりだったんだぞ」

「バカな……いや、あの中尉ならあり得るのか。……俺は、一生かかってもあの中尉に勝てる気がせんよ」

「当たり前だ。それは挑戦とは呼ばない。『自殺』と言うんだよ」

 二人の間に、血と硝煙を知る戦士特有の、渇いた笑い声が響いた。


「多分な、邪魔な雑魚兵がいなければ、あの場でライブラの首を落としていただろう。ライブラは軍の次世代実験装備である、高硬度単結晶チタンコーティングセラミック製の『戦術槍』で中尉の顔面を突いた。だが中尉は、抜刀の一撃でその槍の穂先を斜めに切り飛ばし、次にライブラが出した巨大なエネルギー大剣をも、物理的な太刀筋でエネルギー実体化ユニットをエネルギーごと叩き切ったんだ。……あり得ん。エネルギーの刃を、実体の鋼が両断したんだぞ」


 ラズロの言葉は、戦慄を通り越した畏怖に震えていた。

「ライブラが纏っていた多層式の電磁リアクティブ・バリア(爆発反応式電磁バリア)が、熟した果実の皮を剥ぐように次々と空中で切り飛ばされ……。奴が死を悟り、陽電子剣を暴走気味に起動した瞬間だ。中尉の『雷切』が、蒼白い光にしか見えなかったが……一閃だ。……それだけで、ライブラの右脚と右腕が、鮮やかに宙を舞ったんだ。断面は鏡のように滑らかだったよ……発雷しながらな」


 ラズロはタバコの灰を落とし、続けた。

「その瞬間、残りの雑魚兵30体が文字通り肉壁となって中尉に突っ込み、自爆四散しやがった。その隙に、満身創痍のライブラは回収ヘリに無理やりピックアップされて逃げ出したのさ。……山中に投下された後、電波ロスト。行方は依然として不明だ。……ライブラ、あの怪物すら圧倒する中尉は、もはや人ですらないのかもしれん」


 日がゆっくりと、不気味なまでの深紅色に染まり始めた。

 赤い砂塵が夕陽を屈折させ、壊滅した基地全体を、乾かない鮮血で塗り潰していく。

 上空から、一機のヘリが音もなく降下してきた。

 パイロットの姿はない。完全無人AIによる戦術管制機だ。


 機体の外部スピーカーから、中尉の音声で生身の重みを感じさせるメッセージが響く。

『――警戒ご苦労だった。これに乗れ。こちらは全員無事だ。ハワイで待つ。……ほのかが……「カインさんは無事ですか?」とうるさくてかなわん。無事だろう?』

「ああ、何も無かった……無事ですよ中尉」

『了解だ。では基地で会おう』


「やれやれ、お迎えだ。行こうぜ、ラズロ。これ以上ここにいると、肺のフィルターが錆び付いて動かなくなる」

 カインが歩き出すが、ラズロは動かない。

 彼は指の間に挟まったタバコの、最後の一噴きの煙を愛おしむように見つめていた。

「……ああ。だが、このタバコが燃え尽きるまで、あと1.38分ある。……少しだけ待て、カイン」

『あらあら、本当にほのかちゃん。アンタに惚れちゃってぇ……恋愛ドラマでも見てる気分だわ……カインちゃんどうするのかな?ウシシシ」

(アリア……それは、仲間としての生存確認だろう?普通だ )

『ああ、本当に重症ね……私も本音むき出しモードじゃ無ければ勝てなかったわ……』


 沈みゆく赤い陽光の下、ラズロが吐き出した紫煙が、基地の残骸を撫でるように風に消えていく。

 二人のエクスキューショナーは、崩壊した基地を背に、新たな戦場へと向かうAIの翼に乗り込んだ。

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