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第57話 パーソナリティ・リコンストラクション

 ほのかが、ミニたまごくまちゃんをぷにぷにと握りつぶしながら呟きました。

「ねえ、ドクター……私、学校でも聞いたんですけど、いまいち納得出来ないんです。アンバーさんもカインさんもラズロさんも……『心』そのもののバックアップをとっておけば、失敗してもいくらでもやり直せるのになって思うの」


 メイシーがケタケタ笑いながらマーブル模様のグミを口からはみ出させながら「ほのかったら、分かってないのね?ドクター」とドクターの飛び出たお腹をツンツンと突っついた。


「……サイボーグなんだからバックアップでも作っておけば良い、と思うのも当然じゃ。失敗してもやり直せるのだから」


 ドクトルは、緑色に光るコンソールの波形を見つめながら、吐き捨てるように言った。

「だが、サイボーグの『ゴースト(魂)』はそんなに安っぽいもんじゃない。人格の根幹データは、電脳という特異な揺り籠の中でしか息ができんのじゃ。表層の記憶や感情のログだけを外に持ち出しても、それはただの死んだ文字列だ。根幹データと組み合わさって初めて、それは『人間』としての意味を持つ。」


 ドクトルは、カインの横顔をモノクルの奥で見据えた。


「もし、無理やり人格の根幹を外部のパソコンに放り込んでみろ。その瞬間、『その人格』は、自分が血の通わぬただの箱になったことを知覚するのじゃ。目覚める前に……感情が悲鳴を上げる暇もなく、人格はクラッシュ(崩壊)して霧散する。……それが今の限界だ」


 ほのかは両手で頬杖をつきながら、真剣に聞き入っている。

「あと数百年もすれば、コピーやバックアップが当たり前の時代が来るかもしれん。だが、今は違う。……アンバーやカイン、ラズロが沈んでいるこの作業は、リロードのきかん、たった一度きりの精神という深淵なんじゃよ……『パソコンのデータアーカイブ』とは訳が違う」


 メイシーが、モニターの淡い光に目を細めながら、眠そうに呟いた。

「……擬似人格なら、AIでいくらでも作れる。でも、『人間そのもの』の心は、未だに誰にも作れない。AIに記憶を学習させてサイボーグの体に入れても、その挙動はどこか人間とは違う『別の何か』になってしまう……。もしかしたら、本当に『魂』という不可視の核があって、それが欠けている限り、人の心は完成しないのかもしれないわね」


「その通りだよ、メイシー」

 不意に背後から声がした。マリアンヌだ。

 パイロットスーツを脱ぎ捨て、シャワーを浴びたばかりの彼女は、濡れた髪、薄いハーフパンツにTシャツというラフな格好で、手にしたBASビールを無造作に開けた。


 BASバイオ・エアゾール・シェル――アルミ缶の質感に酷似したそれは、強い衝撃を与えれば空気中へと霧散し、内容物ごと跡形もなく消滅する「環境に優しいヴェッセル(容器)」である。

 使い捨てられる運命のその器を指先で弄びながら、マリアンヌは低く笑った。


「『人が人の心を作る』なんて、土台おこがましい話さ。そこには触れちゃいけない『魂』ってものがある。……保管もできなきゃ、コピーも取れない。当たり前じゃないか。そんな安っぽいもんだったら、アタシら人間はとっくに絶滅して、今頃この世界はAIのコピー品だらけの、空っぽな世界になってるよ」


 メイシーは、マリアンヌの言葉を聞きながら、コンソールに表示された検索結果をぼんやりと眺めていた。

 そこには「電脳の発展に必要なのは『魂』の存在を知覚することである」という、科学者たちの真剣な議論が躍っている。


 誰よりもパソコンを、そして電脳の可能性を信じているメイシー。

 だが、彼女の心の奥底には、決して譲れない一線があった。

(……人は、魂を科学的に解明してはいけない)


 もし、魂の構造が暴かれ、自在に扱えるようになったなら――。

 あの日、爆炎に消えた両親が、そして愛した婚約者が、偽りの肉体を得て「再起動」するのかもしれない。

 だが、それは彼女にとって希望ではなかった。

 それは、彼らが確かに「生きていた」という唯一無二の証を汚す、許されざる神への冒涜に他ならないのだ。


 翌々朝、午前6時30分。

 精密なタイマープロトコルとともに、カインの意識は爆発するように覚醒した。

 サイボーグ特有の、0.1秒で最高出力に達する完全な目覚め。


(アリア! アリア! 返事をしろ! 居るのか!?)

 カインはカプセルの中で暴れるように周囲を見渡し、全裸で床に降り立った。

 溢れる薬液を拭いもせず、自分自身の内側のディレクトリを狂ったように検索する。

 二度と彼女を失いたくない。

 その恐怖が、死神と呼ばれた男の心を支配していた。


『……もう、朝からうるさいわね。あんた、私のことそんなに好きなの?』


 聞き慣れた、少し小生意気であの温かい声。カインは膝から崩れ落ちそうになった。

(……当たり前だ。……ああ、クソ、生きててよかった……。消えてなかったんだな)

 カインの魂からの叫び。

 しかし、感じる違和感。

 いつもなら、この瞬間に「恥ずかしいわね!」とアリアが騒ぎ立て、感情が逆流してくるはずなのに、彼女は至って平然としている。


『……カイン? どうしたの、黙っちゃって。何か言った?』

(アリア……お前、俺の「本音」が聞こえないのか?)

 アリアは、思いつく限り、恥ずかしくて聞いていられないくらいの『愛情の発露』をカインの電脳内で行う。

『カイン…………?』

 これだけの愛の発露を行えば、カインは発狂するはずだった。

『カイン?聞こえてないのね?……あ、もしかして「共有」が消えたの!? やったー! 自由よ! 覗き見禁止! これで乙女のプライバシー確保よ!』


 カインは戸惑いつつも、深く息を吐いた。

 コールドフォーマットによって、バグのように無理やり結合していた二人の意識の「漏れ」が修正されたらしい。

 だが、アリアの声は、以前よりもクリアに、鮮明に響いている。

『それにね、私、なんだか前より意識がハッキリしてるの。自分の死因は相変わらず思い出せないけど、システムの中にこびりついてた「淀み」が全部消えたみたい』


「……おい、カイン。……おい、聞こえているのか!」

 現実の声がカインを引き戻した。

 カプセルの横で、同じく目覚めたラズロと、呆れ顔のヴァルテール中尉が立っていた。

「カイン……お前、さっきから中尉が何度も呼んでいるのに、一人でニヤニヤして……。大丈夫か、脳までフォーマットされたんじゃないだろうな」

『ほーい、アリアちゃんだよラズロー! 相変わらず渋い顔してるわね!』

 脳内ではアリアがラズロに向かって声を上げ続けているが、その声は依然ラズロには届かない。 

 相変わらずの、カインだけの、「秘密のアリア」である。


「……すまない。少し、感覚の同期に手間取っただけだ」


 カインが濡れた体にタオルを羽織り、低く掠れた声で取り繕った。

 だが、ドクトルFはその答えすら耳に入っていないようだった。

 狂ったような手つきでコンソールを叩き続け、モニターの光がその老顔を不気味に照らし出している。


 巨大なメインスクリーンには、滝のように流れるバイナリデータの傍ら、精密に描かれたアンバーの全身図と電脳の三次元モデルが明滅していた。 

 その近くのそれぞれの端末……メイシー、ノエル、ほのか。

 三人娘の手元で踊る指先の速度は、サイボーグであるカインの視覚スキャニングすら凌駕していた。

 カインは戯れに網膜インターフェイスを起動し、三人のの状況を把握しようとしたが――即座にエラーが走った。

【ANALYSIS ERROR: INPUT SPEED OVERFLOW】

 入力速度がカインのタイピングの限界値を超え、読み取りエラーのノイズが視界を埋め尽くす。

(……なんて速さだ。これが、彼女たちの本気か)


「ほっほっほ! 見ておれ、これ以上ない最高のデータが取れたぞ! お前たちの『記憶』が、アンバーの空白を埋めていくわい!」

 ドクトルFが、歓喜に震える声を上げた。

 コンソールが弾き出した最終的なシミュレーション結果が、スクリーンの中心に大きく躍る。


「計算結果が出た。……治療期間、十二ヶ月。そしてパーソナリティ・リコンストラクション(人格再構築」の成功率は――95.43%じゃ!」

 ドクトルが誇らしげに、短く太い親指を立てる。

 ラズロとカイン、さらに背後で涙ぐむメイシー、ノエル、ほのか。

 そして――信じられないことに、いつも鉄の仮面を被っているヴァルテール中尉までもが、力強く親指を立てていた。


 その光景が、あまりにも奇妙で、温かく、カインは柄にもなく笑いを堪えるのに必死だった。


「中尉、……アンバーの父……バレットのヒゲ親父に伝えてもいいですか。あの子が、時間はかかるが95.43%の確率で帰ってこられると」

「……ああ。場所や我々の正体さえ伏せるなら、好きにしろ。あの男も、少しは眠れるようになるだろう」


 カインは網膜インターフェイスの隅で、ネコのカチューシャを付けたアバターアリアが「おめでとう!」とクラッカーを鳴らし、あざといポーズでウインクしているのを、意識的に無視して歩き出した。


(静かにしてろと言ってるだろ。仕事の話だ)

『ふふん、聞こえてないと思って強がっちゃって! 私への「愛の告白」は聞こえなくなったけど、アンタが私をチラチラ見てるのは、ここのログを見れば一目瞭然なんだから! 可愛いねぇカインたら』


(チッ……。……まあ、いいさ。消えなかったんだからな)


 蠍の毒に侵された地獄から救い出した、一人の少女。

 彼らが地獄から引き上げた小さな命は、奇跡の回復へと向かって少しずつ歩み始めていた。

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