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第56話 一人の少女を救うために

 ニューヨークの朝の光は、先日まで地下を這いずり回ったカインたちの瞳にはあまりに眩すぎた。


 市警のヘリポート。

 早朝の冷たい風がコンクリートを叩きつける中、マリアンヌ・ルフェーヴルの操る漆黒の強襲ヘリ『ヴェノム・ワイバーン』が、猛々しいローター音を響かせて着陸した。

 タラップの側には、親しい面々が顔を揃えていた。

 ロドスチーフ、ライアン、ジェシカ、そして――一睡もせずに、ただ祈るように立ち続けていた大男、バレット・マクレーンの姿があった。


 医療ポッドに収容されたアンバーが、静かに機内へと運び込まれていく。

 その無機質なカプセルを見送るバレットの肩は、期待と不安、そしてやり場のない怒りに微かに震えていた。

「……カイン、ラズロ」

 バレットが、鉄錆のような掠れた声で二人を呼び止めた。

 その大きな拳には、娘を救えなかった自分への呪いのように、古いオイルの染みが深く刻まれている。

「アンバーを……頼む。俺の命なんて、必要なら今ここでくれてやる。だから、あの子に……また『クソ親父』って笑わせてやってくれ。それだけでいいんだ」


 カインは無言でバレットの分厚い肩を、アリアの眠る右腕で一度だけ強く叩いた。

 ラズロはサングラスの奥の視線を逸らさず、短く、だが重みのある声で応えた。

「アンバーが起きたら礼をしてもらう。それまで店を畳むんじゃねぇぞ、オヤジ」

 ヘリが浮上する。

 旋回する機窓から見える、豆粒のように小さくなっていく仲間たちの姿。

 それは、彼らが命を賭して守り抜いた「平穏な日常」の断片だった。


 深夜。

 UPL本部に到着すると、無機質でいながらも、どこか懐かしい匂いが二人を迎えた。

 隊長室で待っていたジュリアン・ヴァルテール中尉は、いつも通りの冷徹な佇まいで二人を見据えた。

 だが、わずかに緩んだネクタイが、彼もまた彼らの帰還を帰宅せずに待っていた事を物語っていた。


「よくやってくれた。軍や警察ならば、この功績だけで受勲と二階級特進は免れないだろう。……だが、承知の通り、我々に表舞台の光は当たらん。代わりに、統一国家からの報酬は破格の額が振り込まれるはずだ。……当分、金には困らんはずだ。しばらくは、その鋼の体を休めてくれ」


「中尉、報酬の話は後だ。アンバーはどうなっている」

 カインが遮るように問う。

 その切迫した声に応えるように自動ドアが開き、ドクトルFが三人の娘たち――メイシー、ノエル、ほのかを従えて現れた。

 深夜だというのに、誰しもがカインとラズロの帰還のために帰らずに待っていたのだ。

「史上初めての試みになります、カインさん」

 ノエルが、ホログラム・タブレットに表示された膨大な数式と脳図を指して言った。

 その声には、技術者としての高揚と、一人の少女を案じる母親のような祈りが混ざり合っている。

 

「ラズロ、カイン。お前たちの『記憶』が必要じゃ」

 ドクトルFが、モノクルを光らせて二人を指差した。


「アンバーの脳は『N.O.』で全損、人格のログは真っ白じゃ。……だが幸いなことに、お前たちの電脳には、彼女という存在の『断片』が残っておる。交わした言葉や感情、そのすべてがな。

それを基幹AIにブチ込んで、バラバラになったアンバーの電脳に残ったノイズを丁寧に拾い出して、それをパズルのように組み直すんじゃよ。……生易しいことではない。お前たちの『心』を地図にして、彼女の精神という広大な海図を作る……。こう言えば分かりやすいかのぅ」

 「じゃあ、父親のバレットの電脳も使ったらどうだ?」とラズロ。

「無理じゃな。こんなマネが出来るのはお前たちだからこそじゃ。バレットの電脳はすでに民生品の『非戦闘用』じゃろう?過負荷に耐えきれんよ……」


 案内されたラボの最深部。

 そこには、薄い緑色の生命維持液に満たされたカプセルの中で、アンバーが静かに横たわっていた。

 全裸の彼女の肢体には、血管のように数え切れないほどのセンサーが這い、開かれた人工頭蓋からは直接、数本の太いケーブルがサーバーへと繋がっている。

 それはアンバーと言う、普通の女子大生が置かれている、残酷な現実をこれでもかと突きつけていた。


「人の心を作り直す……。八ヶ月で終われば御の字じゃが、基幹データが戻るかは賭けじゃ。……さあ、お前たちもカプセルに入れ。二日間、意識を完全に凍結させる。その間にお前たちのログを根こそぎ抽出させてもらうぞ」

 ドクトルFは、二人を並び立つ円筒形のカプセルの前で立ち止まらせると、手元のホログラムパネルに複雑な螺旋状のグラフを投影した。


「いいか、二人とも。これからお前たちが受けるのは、日常的な睡眠リブートとは似て非なるものじゃ。……その名を『コールドフォーマット(深層初期化)』と言う」


 ドクトルはモノクルを指先で直し、カプセルの中で不気味に揺らめく薄い緑色の薬液を指差した。


「通常のリブートが『脳の整理整頓』だとするなら、これは『都市の全解体と再建築』に近い。……お前たちの電脳の奥底、普段の意識では触れることすらできんディープ・セクタ(深層領域)まで、ナノマシンを直接流し込むんじゃ。

こびりついた戦闘のノイズ、不必要な感情の残滓、システムに寄生した余計なバグ……。それらを徹底的に整理整頓する。余計なデータの残滓は消去する。……そうして初めて、お前たちの記憶という名の海から、アンバーの人格を構成するための純粋な成分だけを抽出できるんじゃよ」


「……リスクは」

 カインの短い問いに、ドクトルは一瞬だけ口角を歪めた。


「リスクだと? ほっほっほ! 心配は無用じゃ。むしろ、データが整理されて、機動が上がるかもしれんぞ。それにな………人格や記憶もキレイに整理整頓する。全てを整理した不要な断片は徹底的にクリーンにする。これを受けている間……二日間、お前たちは全く起きることのない、死に近い睡眠に入るのじゃよ」

 

 カインとラズロは服を脱ぎ捨て、全裸となって隣り合うカプセルへと入った。

 やや粘り気のある、ぬるま湯のような液体が、首筋まで満ちていく。

 同時に抗い難い眠気が訪れていた。

 その時、カインの脳裏に、氷のような戦慄が走った。


(待て……コールドフォーマット……全ての不要なデータを消去し、最適化する……? アリア! 駄目だ、アリア! このリブートで、君という『残滓』まで消去されてたまるか!)


 カインは必死に手を伸ばそうとしたが、液体に含まれる強力なナノマシンが、サイボーグの神経接続を強制的に遮断していく。

『バカね、カイン。……いいのよ。今の私はただのノイズ。アンバーという「生きている人間」を助けるための、邪魔なデータでしかないわ。私を忘れて、彼女を救いなさい』


 脳内に響くアリアの声は、いつになく優しく、そしてどこか遠い場所から聞こえるようだった。

(やめろ! 止めてくれ! 俺の中から、お前を消させはしない! アリアッ!)

 叫ぼうとしたカインの口内にも薬液が流れ込む。

 アリアは最後、自分の意思の全エネルギーを使い、カインの生存本能を抑制して、抗いようのない眠りへと誘った。

(アリア……アリア……消えないでくれ……!!)

 カインの意識は、深い、深い底のない闇へと沈没していった。

 アリアの声も遠く、聞こえないほど深く意識は消え去っていく。


 ここまでお読みいただき、ありがとうございます。

 これかは大きな試練が始まります。

少しでも「面白い」「続きが気になる」と思っていただけましたら、評価で応援していただけると、毎日の執筆の大きな励みになります!

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