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第54話 朝日

 白亜のホールに静寂が訪れたのは、ほんの一瞬だった。

 ヴァルゴという「神」を失った聖域は、主の死を嘆く間もなく、防衛システムの暴走という剥き出しの殺意に呑み込まれようとしていた。


「ああ……そうだな。ところで、こいつに『侍従』は居ないのか?」


 カインが焦げ付いた右腕を下げ、周囲を警戒するように呟いたその時だ。

 ホールを取り囲む三箇所の重厚な防壁が一斉に跳ね上がり、背後の暗闇から、獣のような咆哮が響き渡った。

 現れたのは、理性を電脳麻薬「N.O.」で焼き切り、戦闘本能だけをブーストされた大量のジャンキー・サイボーグたちだ。その数、およそ三百。


「バカどもが。こんな狙いやすいところで、ご苦労なことだ」


 ラズロの冷徹な声が響いた時には、既に勝負は決していた。

 24メートル先。

 ホールの入り口を塞ぐように包囲を展開しようとした、重装甲仕様の巨漢サイボーグ五体。

 彼らがその醜悪な義手の引き金に指をかけるより早く、ラズロの左腕が、物理法則を無視した挙動で「折れ曲がった」。


 内部から飛び出した1.7メートルの鈍色の鉤爪――ハデス・クロウ。

 高周波振動ユニットが限界を超えて加速し、空間そのものを原子レベルで震わせる不快な高周波がホールを支配する。


 音を置き去りにした肉薄。

 一瞬の閃光。

 五体の巨躯は、何が起きたか理解する暇もなく、文字通りの「なます切り」となって崩れ落ちた。

 切断面からは火花すら出ない。物質的結合を拒絶された分子が、ただの砂のように崩れ去った。


 その直後、すぐ傍らの瓦礫の影で対物ライフルを構えていた狙撃手の眼窩に、VA-92 "ケルベロス・ゲートキーパー"の銃口が突きつけられる。

「あばよ」

 ドォォォォンッ!!

 ACHS(対サイボーグスラッグ弾)の衝撃が、狙撃手の頭部を中身ごと「消滅」させた。


 その爆音からわずか0.003秒後。

 カインの軍用脚部人工筋肉が、火花を散らして床を蹴り上げた。

 滞空。

 カインは空中で身を翻しながら、腰のハードポイントから死神の鎌――『ベヒーモス・バスター』を引き抜く。


 ドゴォォォォォォォン!!!


 20mm徹甲炸裂弾。

 一発2000ドルの殺意が火を噴く。

 弾丸の先端に仕込まれたタングステン芯が、先頭のサイボーグの胸部装甲をバターのように切り裂き、コンマ零数秒後、内蔵された安定化ニトロ炸薬が内部で狂い咲いた。

 「全損」。

 その威力は止まらない。

 貫通した弾頭の衝撃波だけで、後方の五体までもがひしゃげ、内部の汚いオイルと冷却液を派手に撒き散らしながら、一塊の鉄屑へと成り果てた。


 ドゴォォォォォォォン!!!


 ドゴォォォォォォォン!!!


 カインは着地と同時にボルトアクションを操作し、残りの弾丸を叩き込む。

 一発ごとに敵の戦列に巨大な「穴」が開き、肉と機械の境界線が消失していく。

 敵がその圧倒的な蹂躙に怯んだ時には、既にホール全体が、カインの右手……「アリア」の射程圏内だった。


「アリア、 掃除の時間だ」

『了解、カイン! 全部、細切れにしてあげる!』


 右手首の皮膚が機械的にせり上がり、三連装の銃身が姿を現す。

 XM-213 "ORTHRUS"(オルトロス)。

 毎分1200発という狂気的なサイクルが開始された。


 キィィィィィィィィン――ッ!!


 青白いレーザーの奔流が、扇状にロビーを薙ぎ払う。

 それは銃撃というより、空間そのものを削り取る「光の刃」だった。

 逃げ惑う二百余名のジャンキーサイボーグども。

 彼らの重チタン装甲骨格は、一秒と保たず赤熱し、溶解し、切断されていく。

 弾け、飛び散り、四散していく。

 その掃射は、施設の厚いコンクリート壁を貫通し、その向こう側にいた伏兵までもをまとめてスクラップに変貌させた。


 全弾1500発を打ち尽くした後に訪れたのは、鼓膜が痛くなるほどの静寂だった。

 ホールを満たしているのは、焼けた回路の異臭と、蒸発した人工血液の赤い霧。


「……やりすぎだカイン。弾薬代だけでビルが建つぞ」

 ラズロが、血塗られた鉤爪を収め、タバコに火をつけながら歩み寄る。

「褒め言葉だなラズロ? 『アリア』のレーザーは『プラズマ・カートリッジ』と『固形冷却ガス・カートリッジ』しか使わない。俺のアリアは経済的なんだ……』


「いいヨメさんだな。カイン」


 カインがふっと口角を上げたその時、脳内で弾むような声が響いた。

『やっぱり! 私の「右手」って完璧よねぇ! 弾道も、熱量も……弾薬代も!全部が完璧よ』

(ああ……そうだな。お前の『右手』は世界一完璧だよ、アリア)


 カインが「N.O.」で意識を失っているアンバーを担ぎ、地上へ這い上がった時、そこには空気を切り裂くような鮮烈な朝日がNYの朝靄を切り裂き、その静寂をかき消すかのような赤と青の回転灯が交差する喧騒に包まれていた。


「ラズロ! カイン! 久しぶりだな、おい!」

 野太い声の主は、NYPD (ニューヨーク市警)時代の元同僚、ライアン巡査だった。

「今は刑事局所属か? ヘッドハンティングまがいの異動で昇進したって噂は聞いてたが……おめでとう!祝い酒だ。 NYにいる間に飲みに行こうぜ」

「ありがとう、ライアン。……ところで、この応援の数はどういう事だ?」

「ああ、これか? 大した事はない。水道本管が破裂してな。向こうの交差点まで通行止めだ。水道局が泣きついてきたから、俺たちが規制を張ってるんだ」


 カインとラズロは顔を見合わせた。

 水道管破裂の原因が、地中を貫いたオルトロスの掃射であることに疑いようはなかった。

 カインが苦い顔で事情の片鱗を話すと、ライアンの顔色は一瞬で土気色に変わった。

「……なんてこった! 水道管なんてどうでもいい! すぐにチーフに報告するぞ!」


 ライアンが血相を変えて無線に言葉を叩きつけると、数人の制服が雑居ビルへと吸い込まれていった。

 30分もすると、入れ替わるようにジェシカ巡査が近づいてきた。

「久しぶり、二人とも。ラズロ……私と同じ名前の奥さんのこと、まだ引きずってる? 私、昨日旦那と別れたの。貴方となら再婚してもいいわよ。名前も一緒だし、ややこしくなくていいでしょ?」

「……ああ、考えとくよ、ジェシカ」

「あ、いけない。私、チーフを連れてきたんだったわ!」


「よくやった! よくぞやってくれた、お前たち!!」

 駆け寄ってきたロドスチーフは、顔を興奮で震わせていた。

「まさか、あの『ヴァルゴ(乙女座)』を倒すとは! 歴史が変わるぞ! 300年もの間、この国に根を張ってきた『赤い蠍』……その頂点、黄道十二宮の一柱を、お前たちが終わらせたんだ!」


 ロドスは声を低め、周囲を警戒するように続けた。

「いいか……警察内部にも奴らの影はある。同僚のストライカーが赤い蠍だったのも証明された。これで一気に奴を追い詰められる。明日のお前たちは、間違いなく新聞の一面だぞ!」


「いや、チーフ。俺たちは『ファントム・リム(影の組織)』だ。名前が出ることは無い。……それよりも、大至急UPLに通信を繋いでほしい」


「そう言うと思って、これを持ってきてやったわ……重かったんだから、感謝してよね」

 ジェシカが差し出したのは、特大のキャリーケースほどの大きさはある高秘匿ホログラム通信ユニットだった。


 回線を接続すると、すぐにジュリアン・ヴァルテール中尉の姿が投影された。


「……途中報告か?」

「『(ヴァルゴ)乙女座』撃破報告です」

 中尉の問いに、カインが短く答える。

 あの、冷静沈着な中尉の言葉が……動きが止まる。

 その瞬間、画面の向こう側の空気が爆発した。


「やったぁぁぁぁ!!」

 メイシー曹長が、口に含んでいたグミを喉に詰まらせそうになりながら、義手の右手を高く突き上げた。


「ヴァルゴが……あの十二宮の一人が消えた……!ああ……お父さん……お母さん……はるか……」

 通信担当の織部軍曹は、愛用の『たまごクマちゃん』マグカップを震える両手で握りしめ、ぽろぽろと涙を流している。


「よかったです……本当によかったです……」

 オペレーターチーフのノエル少尉は、完璧と言われるその表情を崩し、電脳の負荷も厭わず、溢れ出す嗚咽を両手で押さえていた。


 彼女たちは皆、家族を蠍に殺された遺族だった。

 この瞬間、彼女たちの凍りついた時間が、わずかに動き出したのだ。


「……よく、よくぞやってくれた」

 サングラスをかけた中尉の声が、微かに震えていた。

 その背後で、ドクターFが「ふむ、騒がしいのう」と、モノクルを光らせながらおじいちゃん然とした足取りで現れる。

「どうしたんじゃ?あまり娘たちを泣かせるでない。……ほれ、今日はこの『黒糖団子』を配ってやろう」

 「ドクター、今はそれどころじゃありません!」とメイシーが叫ぶ。

 「そうですよ!……ラズロとカインがヴァルゴ(乙女座)を倒したんですよ……」とノエルが言うと、ドクターは目を大きく見開き、膝から崩れ落ち嗚咽を漏らし始めた。


 カインは話を続けた。

「中尉、民間人一名が『N.O.』で脳を焼かれています。……助けられますか?」

「処刑許可が降りていたにもかかわらず、リスクを冒して助けたか。知人か?」

 中尉の問いに、ラズロが短く応える。

「恩人の娘だ……」


「……分かった。特例だ。収容を許可する。ドクター、どうだ?」


 ドクターFは涙を拭い、わざとらしく「ほっほっほ」と笑いはじめた。

「カイン、ラズロ……ログを接続せよ……なるほどな……助かる確率は46.34%といったところじゃな。電脳再構成には9ヶ月はかかる。……連れてこい。確約は出来んが、手は尽くしてみよう」


「恩に着る、ドクトル」

「ふははは! 乙女座を倒した英雄の頼みじゃ。……だが、繰り返すがまだ助かったわけではないぞ!」


『良かったじゃない、カイン!』

 アリアの明るい声が脳内に響く。

(ああ、アリアのおかげだ……。あとはアンバーが助かってくれれば良いな……)


 カインとラズロは、胸の中に灯った小さな温もりを感じながら、ホログラム通信を切断した。

 拘束バンドで固定され、運ばれていくアンバー。

 彼女は救急車で搬送される。

 病院で一時的な処置をされたあと、カインとラズロと一緒にUPL本部に移送される手筈だ。

 朝の光がニューヨークの街並み全体を白く染め始めていた。

 

 世界を牛耳る神への叛逆は、NYから確実に始まっていた。

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