表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

48/97

第48話 古巣

 午前6時。

 コロラド州、シャイアンマウンテンの険しい山並みが、血のような朝焼けにじわじわと侵食されていた。

 かつて核戦争への備えとして穿たれたこの巨大な岩山は、今やUPLの秘匿拠点の一つとして、不気味な沈黙の中に牙を研いでいる。


 アスファルトの照り返しがまだ冷たい発着場には、漆黒の怪鳥、AH-99J "ヴェノム・ワイバーン"が待機していた。

 二重反転ローターが低く、唸るようなアイドリング音を響かせ、朝の少し澄んだ空気を微かに震わせている。


 コクピットの計器類が放つ琥珀色の光に照らされ、マリアンヌ・ルフェーヴル曹長は、フライトスーツのジッパーを喉元まで引き上げた。

 彼女の視線は、格納庫の影から歩み寄ってくる二人の男――カインとラズロを正確に捉えていた。

「二人とも、時間通りね。……準備は大丈夫?」

 マリアンヌの声が、ヘッドセットを通じて二人の電脳へとダイレクトに届く。

 彼女の指先は、慣れた手つきでコンソールのスイッチをフリックし、離陸前の最終チェックを完了させていく。


「ニューヨークへの到着予定は13時。途中、オハイオ州の『ライト・パターソン空軍基地』で給油するわ。あそこはまだ古い時代の湿り気が残っている場所よ。食事休憩も含めて一時間くらい、ゆっくりしましょう。……これから始まる『地獄』へ飛び込む前に、ね」

 「オーケーだ、頼むぞマリアンヌ」とラズロ。

 カインは何も答えず、アノラックの襟を立てて後部ハッチへと吸い込まれた。

 その後を追うラズロの足取りは、いつになく重い。

 彼らにとってニューヨークは単なる目的地ではない。

 それは、自分たちの魂の欠片を置き去りにしてきた、懐かしい古巣なのだ。


 数時間の飛行を経て、ヴェノム・ワイバーンは荒廃したライト・パターソン基地の滑走路に降り立った。

 かつては空軍の栄華を誇った場所も、今やひび割れたコンクリートの隙間から、酸性雨に耐性を持つ変異植物が這い出している。


 自動給油アームが機体に接続され、カインは一人、ハッチの縁に腰を下ろした。

 視界の端で、電脳内のアリアのアバターがちょこまかと歩き回っている。


『ねぇ、カイン。……ちょっと聞いてもいい?』

 アリアが、現実の風に揺れるはずのない髪を指で弄りながら、唐突に切り出した。

『アンタさあ、結婚とかどうするつもりなの? 』

 カインが答える前にアリアのアバターが赤面する。

『……あ、ハイハイ、分かってるって。もう……ありがとう……でもね、何度も言うけど私は残りかすなの……生身の子と結婚した方がいいわよ」


 カインは沈黙を守る。だが、アリアは止まらない。

『……ふふ、何だか照れるわね。自分から聞いておいてなんだけど。答えを聞く前に、心ですぐ否定してるのが分かるなんてね。……でも、あなた、そんな考えは絶望よ? だって見てよ、今の私。……子供だって作れないじゃない。……あ、でも……。アンタが、それでもいいって、言ってくれるなら……。私、それだけで、いいかな……』


(……本当に勘弁してくれ)

 カインの思考が、苦渋と慈しみの狭間で揺れる。

(……お前をそんな姿にしてしまったのは、俺の……俺のせいだ。屈辱だよ。愛している女を、情報の残滓としてしか愛せないなんてな……でも、それでも構わない。俺は……ずっとこのままでもいい)


『もう、バカ!何でそんな恥ずかしい事ストレートに言えるの!』

 アリアのアバターが頬を染めて、電脳空間でベッドに入り足をバタバタさせている。

(バカだな……隠したいんだが、思考がダダ漏れになるんだ……仕方がないだろう)

 カインの表情は、一瞬だけ柔らかい微笑を見せたが、アリアのアバターが涙ぐんでいるのを見て、すぐに内側からえぐられるような悲痛な歪みへと変わった。

 その様子を数メートル先で見ていたラズロとマリアンヌは、手に持ったコーヒー容器を握りしめたまま、沈黙を守っていた。


 マリアンヌが、心配そうに眉をひそめる。

「カイン……相当、思い詰めてるわよね? 表情、危ないわよ。中尉が百面相と言ったのも分かる……」


 ラズロは、BASバイオ・エアゾール・シェルに入った熱いコーヒーを一口啜り、苦々しく吐き捨てた。

「まぁな。今のところ暴走の兆候はねえが、あいつの頭ん中は今、二つの魂が殴り合ってる状態だ。アリアの死を認めたくない自分と……死を受け入れなければならない現実だ」

 ラズロは煙草に火をつける。

「一応な、脳血流、ニューロン発火プロファイリング、電脳ログの整合性チェック……出発前にゴースト・エコー測定まで一通りやったんだよ」


「で、数値はどうだったの?」

「『極めて健全、健康』だとよ。心の病からは最も遠い男だと、機械がお墨付きを出しやがった。皮肉なもんだぜ」


「……うーん、ちょっとそうは見えないけどねぇ」

 マリアンヌが、カインの横顔を指差す。

「ほら、サングラスの下から涙が零れてるわよ。あれも『健全』な数値の結果なの?」


 ラズロは、その涙がカイン本人の意志ではなく、電脳に溶け込んだアリアとの対話である事など知る由もない。

「放っておいてやれ。……余計なことを言うと、俺だってジェシカを思い出しちまう。カインの涙腺は、しばらくは自制が効くもんじゃ無いんだ」


 ラズロは飲み終えたBAS容器を、思い切り地面に叩きつけた。

 パリン、という硬質な音。

 直後、容器は素材の特性により、衝撃を受けた瞬間から霧状に分解され、大気中へと綺麗に消滅していった。


 13時ちょうど。

 ヴェノム・ワイバーンは、酸性雨の煙るニューヨークの上空に到達した。

 マリアンヌが機体を静かに着陸させると、そこには旧知の人物が一人、出迎えに来ていた。


 ロドス警部チーフ

 かつてカインとラズロを信じ、共にストライカー警部と言う組織の闇に立ち向かった数少ない「本物のデカ」だ。

 ヘリが着陸するなり、彼はすぐさま二人の元へ歩み寄った。


「……話は聞いている」

 挨拶もそこそこに、ロドスの声には隠しきれない疲労と苦渋が滲んでいた。

「アンバーのことだな。……結論から言うと、署の連中は誰も彼女を見ていない。いや、正確には『見て見ぬふり』をしている。……父親のバレットが、しょっちゅう『家出』の届け出を出してくるんだよ。だが、二、三日もすれば、死人のような顔で娘が帰ってくる。するとバレットが申し訳なさそうに届けを取り下げに来る。……だが、しばらくするとまた居なくなる。その繰り返しだ」


 ロドスの瞳に、深い陰り。

「我々にとっても手間と言えば手間だが……。何より、痛々しいんだよ。バレットのあの様子がな。かつての勇猛な捜査官が、今はただの老いさらばえた父親として、壊れた娘の影を追って街を彷徨っている。カイン……これは『蠍』のヤマなんだろう? 頼む。あいつを……アンバーを助けてやってくれ」


「分かっている。行こう、ラズロ」

 カインが短く応じると、ラズロが隣で義手を軋ませた。

「ああ。しばらくはバレットの店『アイアン・フラワー』の周辺を洗う。……警部、先にAEアーガス・アイのフルアクセス権を使わせてもらえるか?」


「いいだろう。……ナタリーを使ってくれ。彼女なら、お前たちの力になってくれる」

 ACC(対サイボーグ課)の薄暗いモニター室。 

 ポニーテールを高く結んだ女性、ナタリーが、膨大なホログラム・ウィンドウを操りながら、気だるげに振り返った。


「ああ、このクソ忙しい時に……久しぶりね、カイン。警部補ラズロも、少しは白髪が増えたんじゃない? 待ってて、今 AE(監視カメラAI追跡システム)を走らせるから」


 ナタリーの手が、流れるような速度でコンソールを叩く。

 ニューヨーク全域を網羅する監視カメラ、ドローン、センサーログが、AIによって瞬時にフィルタリングされていく。

「……出たわ。アンバー・マクレーンの足取り。彼女が頻繁に現れている場所は二つ。一つは、セント・アエテルナ大学 クイーンズ校。……そしてもう一つは、この下町の雑居ビル街ね」


 ナタリーの指が、ある地点を指し示す。

 ラズロの顔から、僅かに残っていた余裕が消えた。

「ラズロ……そうね、奥さんが撃たれた場所だものね」

「……ああ。ここか」

「ここでログが消えてる。多分、この雑居ビルのどこかに拠点を構えているわ。……気をつけてよ。その辺り、最近は発砲、ドラッグ、不法換装、何でもありの吹き溜まりよ」


「……助かった。すまなかったな、ナタリー。礼はいつか」

 カインが部屋を出ようとしたその瞬間、耳の奥に、さっきまでのしおらしさが消えたアリアの声が響いた。


『……ねぇ、カイン。今の女、誰よ』

(……おい。昔からの協力者だと言っただろう)

『ふーん……。ナタリー、ねぇ。ポニーテールにあの親しげな態度。アンタ、まさかあの女に恋してるんじゃないでしょうね!?』


(……馬鹿を言うな。俺がナタリーに恋してるだと? バグったか?)

『してないって分かってるけど……。でも、なんだか可愛げがあって鼻につくわ。……むかつく。アタシ、あの子嫌い!』

(……なぜだ?)

『親しげで可愛いからよ!』

 アリアが電脳空間でそっぽを向く。

 カインは溜息を吐きながらも、その「自分への嫉妬」という極めて人間臭い反応を、好ましく感じていた。


(……分かった。分かったよ。お前に嫉妬されるのは、前向きなものだと考えることにする。俺がまだ、一人の男としてお前に認識されている証拠だからな)

『……バカ。……早く行きなさいよ、仕事でしょ』


 ニューヨークの重苦しい雨が、再会の街を容赦なく濡らしていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ