第43話 メイシー・トレント曹長
UPL鑑識官として、ホログラムディスプレイに向かい、カラフルなグミやキャンディを咀嚼し続ける彼女の姿は、一見すればどこにでもいる「ギークな少女」そのものだ。
オーバーサイズのパーカーに身を包み、常に指先を甘い香りで汚している彼女には、かつて「世界一」の称号を手にした過去があった。
ハイスクール卒業の翌年、大学生全世界ホワイトハッカー選手権優勝。
悪意なき好奇心と、圧倒的な演算処理能力。
メイシーにとって、世界中の強固なセキュリティをすり抜ける「電網の突破」は、人生で最も純粋な娯楽だった。
その祝杯を挙げるための、家族旅行。
行き先はハワイ。
愛する両親と、婚約者のジュンジロウを伴った、十泊におよぶ極上の休暇。
「ロサンゼルス・セント・マリエール・チア・クラブのみんなにお土産買わなきゃ」
そんな他愛もない会話を交わしながら、メイシーはコテージの片隅でノートPCを開いた。
そこで、彼女の「好奇心」が、開けてはならないパンドラの箱を叩いた。
『赤い蠍』。
ネットの深淵、暗号化された階層の奥底から、信じがたい情報が溢れ出してきた。警察、軍、政界――あらゆる中枢に根を張る、世界最大のシンジケートの全貌。
(……なにこれ。すごすぎる。これ、全部暴露しちゃえば、戦わなくてもこいつら壊滅するんじゃない?)
若さと才能ゆえの万能感。
メイシーは、世界有数の閲覧数を誇る掲示板に、自慢のハッキング技術でその「闇」をぶちまけた。
タイトルは『恐怖、これが赤い蠍の全貌だ』。 「よくやったぞ、私」――そう自画自賛した三時間後だった。
たわいないネットニュースを見ていると背後から、ジュンジロウが優しく彼女を抱きしめた。 「メイシー、?君も本当にパソコン好きだな。そろそろ一緒に寝よう」
優しいキス。
ジュンジロウの手は優しく私のお腹や背中、腰に触れる。
隣のコテージにいる両親は、もう寝ているだろうか。
お酒を飲むとすぐに眠ってしまうパパのいびきが聞こえてきそうな、穏やかな夜。
ドゴォォォォォォォン!!!!!
――その静寂を、暴虐の重低音が引き裂いた。
「な……なに!? 何が起きたの!?」
テラスに飛び出したメイシーの目に映ったのは、紅蓮の炎に包まれ、一瞬で形を失った両親のコテージだった。
絶叫する間もなく、ジュンジロウがメイシーの肩を掴み、力任せに海へと突き飛ばした。
「えっ……? ジュンジロウ、何で――」
ドボン、という落水音と同時に、背後で二度目の爆鳴が響く。
メイシーがいた場所は、彼女を突き飛ばしたジュンジロウごと、巨大な火柱に飲み込まれていた。
目が覚めた時、彼女の右手は偽物の体温を維持するだけの義手に変わっていた。
統一国家が無償提供した、民生品の非戦闘用サイボーグ。
地元マフィアの抗争に巻き込まれたという警察の公式説明を、メイシーは微塵も信じなかった。 「……警察は嘘をついている。あいつら、蠍と繋がっているんだ」
心が病み、暗い病室でただ天井を見つめていたメイシーの元に、一人の男が訪ねてきた。
ジュリアン・ヴァルテール中尉。
彼は、凪いだ瞳でメイシーを射抜き、短く告げた。
「君は、『赤い蠍』を挑発しただろう?」
その瞬間、メイシーの中で何かが繋がった。
ハッキングした自分が悪かったのかもしれない。
だが、あの内容。
薬を……麻薬を学生を使って売り捌く悪魔達。
彼らの横流しした武器は毎日何人の人を殺しているのか?
そして、自分に対する警告。
あんな残酷なやり方で家族を、愛した人を奪う権利が、奴らのどこにあるというのか。
病んでいたはずの心に、急激な「正常」が戻る。
いや、それは正常という名の、研ぎ澄まされた復讐心だった。
「……中尉。蠍を殺す牙になってくれないか、ですって?」
メイシーは、まだ馴染まない義手の指を一回ずつ折り曲げ、歪な笑みを浮かべた。
「イエス、イエス……イエスよ。ジュンジロウを殺し、うざかったけど大好きだったパパとママを焼き払ったあいつら。……殺します。中尉、奴らを殺せるなら、私はこの指が焼き切れるまでキーボードを叩き続けてやるわ」
配属されて一ヶ月。
同僚たちと囲んだ、初めての酒の席。
そこで語られた中尉の凄惨な過去は、メイシーの怒りをより深く、静かなものへと変えた。
(……中尉。私は自分のためだけじゃない。貴方の家族のためにも、あの子たちの家族のためにも、蠍を狩り尽くしてみせるわ)
メイシーは、今日もオーバーサイズのパーカーの中でグミを噛み砕く。
甘い味の奥にある、決して消えない鉄の味。
グミを噛まなければ、あの日、口の中で流れ続けた血の味、鉄の匂いが彼女の心を焼き尽くすのだ。
彼女がハッキングするのは、もう娯楽のためではない。
「世界一」の演算能力は、今や蠍を正確に追い詰めるためだけの、無慈悲なレーダーへと変貌を遂げている。




