第44話 ノエル・ミラージュ・シャルパンティエ少尉
UPLのオペレーターチーフを務める彼女は、かつてフランス地区の最高学府『エコール・ド・ポリテクニーク・シュペリュール』を次席で卒業した、文字通りの才媛だった。
卒業と同時に、彼女は最愛の男と結ばれた。
イタリア系の血を引く国家警察局EU本部に入局したばかりのエリート、レオナルド。
彫刻のような容貌と、揺るぎない正義感を兼ね備えた男だった。
ノエル自身も、EU地区最大の総合商社で、複数の特化型AIをオーケストラの指揮者の如く操り、巨大企業の全情報を集約・コントロールする部署に就いていた。
物語が壊れる前、彼女は幸福の絶頂にいた。
育児休暇。
それは、愛おしい子供たちと過ごす、宝石のような時間。
三歳の息子、アルマンド。
少し引っ込み思案で、母親のスカートの裾を握って離さないその仕草が、ノエルにはたまらなく愛おしかった。
二歳の娘、フィオリーヌ。
無口だが意志が強く、兄を引っ張っていく積極性がある。
「この子は将来、きっとツンデレな美人になるわね」
夫のレオナルドとそう笑い合い、ワイングラスを傾けた夜が、つい昨日のことのように思い出せる。
運命が断絶したのは、ある穏やかな夜のことだった。
家族全員で、広大なエンペラーサイズのベッドに身を寄せ合って眠りについた。
本来なら夫の逞しい腕に抱かれて眠りたかったが、二人の幼子がその「特等席」を占領して譲らない。
ノエルは子供たちの柔らかな寝息を聞きながら、微睡の海へと沈んでいった。
次に意識を奪ったのは、光でも音でもなかった。
熟睡中に負った脳への甚大な外傷。
目覚めた時、ノエルは病院のベッドの上にいた。
「……え? 六ヶ月……? 私が、半年も寝たきりだったというの?」
医師から告げられた事実は、彼女の精神を維持するには過酷なほど残酷だった。
彼女の頭蓋、電脳、肋骨、そして心臓。
それら全てが、もはや生身ではない非戦闘用民生品サイボーグへと換装されていた。
あの日、シャルパンティエ邸に撃ち込まれたのは、自律型無人AI戦闘機から発射された対地ミサイルだった。
現場に居合わせたエクスキューショナーが瞬時に反応し、機体自体は撃墜したものの、放たれた弾頭までは防げなかった。
それは、警察局から地元当局へシャルパンティエ邸の警戒レベルを上げるよう通達があったその日の出来事。
着弾。
爆鳴。
そして、暗転。
鹵獲された機体のログからは、世界最大の犯罪シンジケート『赤い蠍』のシグネチャ(電子署名)が検出された。
初めて聞く名前。
だが、換装されたばかりの電脳で検索をかけた瞬間、その情報の「不自然な少なさと、不穏な情報の断片」にノエルの明晰な頭脳は即座に反応した。
徹底した情報の隠蔽。
配下組織をトカゲの尻尾のように切り捨てる冷徹な構造。
だが、あえて自らの名を刻んだ兵器を「警告」として送り込む対象――。
それは、レオナルド。
夫が、警察エリートとして、奴らの急所に指をかけていたのだ。
「バカね……貴方……本当に、立派だったのね」
ノエルは、血の通わない義手で顔を覆った。
夫の正義のせいで家族が壊されたとは、微塵も思わなかった。
彼は誇り高き男だった。
正義を貫き、最後まで愛する者を守ろうとした立派な夫だ。
抜け殻のように永遠にも思えた長期休暇で朝から……或いは昼からワインを飲み、惰眠を貪り続けていたノエル。
そんな彼女の元を訪れたのが、ジュリアン・ヴァルテール中尉だった。
彼はノエルの家で、凪いだ瞳のまま問いかけた。
「君は、赤い蠍を憎いか。奴らを屠るための牙になる気はあるか?」
ノエルは、掠れた声で笑った。
それは、毎日、家の梁を見つめては首をいつ吊ろうか考え続けたノエルの、生きながら死んでいた日々に差した光明だった。
アルコールで澱んだ思考が少しずつ、しかし力強く鮮明に晴れていく。
「……なんて事でしょう、中尉さん。貴方のその言葉がなければ、私は今すぐにでも軍の門を叩いてこう叫ぶところでしたわ。『赤い蠍を最も効率的に殺せる部署はどこですか?』って」
中尉の問いに対する答えは、一つしかなかった。
「憎いか、ですって? 憎い、憎い、憎い……! 私の人生、全てを捧げます。あの子たちの命を奪った奴らを、地獄の底まで追い詰めてやりたいの。苦しめて苦しめ抜いてやりたい。考えうる限りの苦痛を与えてやりたい。……私は、喜んで貴方の牙になりましょう」
中尉は無言で、自身の電脳から一つのファイルをノエルに転送した。
それは、彼自身とその家族に起きた惨劇の全記録。
末尾には、機械的な『偽証率 0.00%』というステータスが添えられていた。
「そんな無機質な数字、付けなくても分かりますわよ、中尉さん。……貴方の瞳が、真実を語っていますから」
ミス・パーフェクト。
そう呼ばれた才媛は、その日から「完璧な復讐者」へと変貌を遂げた。
夫と子供たちが眠る天国へ行く前に、この世に巣食う蠍という蠍を、一匹残らず灼熱の鎖で締め上げるために。
ノエルは今日も、完璧な笑顔を張り付けながら、冷徹な戦術プロトコルを編み続けている。
その笑顔は彼女の夫、レオナルドが愛した美しい妻の笑顔と、見た目だけは同じである。




