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第39話 余韻

 爆発の余韻が燻るタンカーの甲板。

 重油の焦げる臭いと海水の飛沫が混じり合い、肺の奥を焼くような不快な熱気が立ち込めている。

 だが、それ以上に凄まじかったのは、脳の中で荒れ狂うアリアの「絶叫」だった。


 アリアの心の声は、カインの中だけに響き渡っていた。

「カイン!今のステキ……って、私がね!私がステキなの。そもそも、私、そんなデレデレな女じゃないんだから!あああ……いつ終わるの……これ……もう、開き直るしか無いのかな?さようなら……クールで知的な私……」


 電脳の海で喚き、自己主張するアリアの意思。 

 その猛烈な奔流に耐え、カインがふと現実に意識を連れ戻したとき。

 目の前には、あきれたような、それでいて得体の知れない怪物を観察するような冷ややかな眼差しが二つ、彼を射抜いていた。


 中尉とラズロだ。


「……素晴らしい活躍だったな、カイン。十二宮の一人を倒すとは」

 中尉が、硝煙を払うようにゆっくりと歩み寄る。

 軍用ブーツが鉄板を叩く乾いた音が、静寂に響く。

 その足取りは優雅ですらあるが、瞳の奥には氷のような観察眼が光っています。


「処刑人レオを、秒で始末した手腕には驚かされた。……だが、先ほどから見ていれば、君は実に表情が豊かだな。まるで喜怒哀楽の全てを同時に処理しているようだ。百面相とは君のことか? それとも、最近流行りの戦場での新たなメンタル・ルーティンか何かか」


 中尉の慇懃無礼な皮肉に、隣で大口径の銃を収めていたラズロが、鼻で笑いながら言葉を重ねた。


「いや、中尉。こいつはきっと、アリアを失って少し『病んだ』んですよ。独り言にしては激しすぎるし、さっきから虚空に向かって眉間に皺を寄せてる。一度ドクトルに診てもらった方がいいんじゃないか?」


 ラズロの言葉は鋭く、そして残酷なまでに正論だった。

 だが、カインの脳内では、そのラズロの言葉を物理的に上書きするように、さらに高密度の「声」が火花を散らした。


『ちょっとカイン! このイケてる男誰よ!? ……あ、待って。私のスキャンなら一瞬ね。しかも、これからは行政リンクも出来るし!わざわざ聞く必要なんてなかったわ』

(まあ、聞く前に考えただけで共有しているからな……)

 アリアの意識がカインの記憶アーカイブを高速で蹂躙する。


『UE-0 "PHANTOM-LIMB"(ファントム・リム)……なるほどね。軍の憲兵と警察が秘密裏に組んだ影の組織……。赤い蠍を駆逐するための、法の外側の処刑人。……いいじゃない! 私が手伝うに足りる、最高の舞台だわ! 私の知能と、あんたの腕。…………カイン、大好き! ちがう!!あああああ! また暴発した……もう、何よこの状況、最高にゾクゾクするじゃない!』

 アリアの声が喜びに震えている。

『さて、お次は行政リンク開始!やってみたかったのこれ』


(……おい、アリア。何をしてる!)

『ちょっとカイン、気にならない? この中尉、なんか影がありますーみたいな感じ』


(よせ、アリア! 中尉は何かやばい!)


『大丈夫、あんたの執行官権限エクスキュショナー・アクセスをちょっと借りるだけ。……さあ、リンク開始よ!』


 カインの静止を無視し、AR(網膜上の拡張視界)の幾何学的グリッドが、無防備な中尉の背中に吸い込まれるように展開された。

 

[SYSTEM NOTIFICATION]

>> TARGET SCANNED: JULIAN VALTAIRE.

>> INITIATING ADMINISTRATIVE LINKAGE...

>> ACCESSING USPA & MILITARY CENTRAL ARCHIVES...

 カインの電脳を、凄まじい速度のデータが駆け抜ける。

 アリアの意気揚々とした鼻歌が電脳に響いたのも束の間、次の瞬間、カインの網膜は「血のような赤」に染まった。


[CRITICAL ERROR]

>> STATUS: NO RECORD.

>> ACCESS DENIED: SECURITY CLEARANCE LEVEL 10+ REQUIRED.

>> ADMINISTRATIVE DATA: ENCRYPTED / NON-EXISTENT.

>> WARNING: ILLEGAL SCAN DETECTED. TRACING SOURCE...


『え……!? うっそ、ノーレコード!? 照会不能って……行政に記録されていない人?』


 アリアの驚愕した叫びが脳内に反響する。

 USPA(統一国家警察局)の全データ、軍の居住歴、納税記録……あらゆる「行政リンク」をさらってもジュリアン・ヴァルテールという男の過去は、まるで最初からこの世界に存在しなかったかのようだ。


「……カイン・ヴィラール」

 不意に、中尉が言葉を切った。

 振り返った彼の、凪いだままの左目――機能停止したはずの義眼が、カインの網膜投影を真っ向から射抜いていた。


「……身内に『探り』を入れるのは、感心せんな……」

 歴戦の猛者であるはずのカインは背筋に氷を押し当てられたような戦慄を覚えた。

『ごめんなさい……カイン……』


 カインは顔を引きつらせるのを必死に堪え、右腕の義手を強く握りしめた。

「気になっただけです……中尉。謝罪します」

 

 タンカーの周囲には、すでに無数の青赤いパトライトが迫り、警官隊の怒号とサイレンが夜の海を埋め尽くそうとしている。

 しかし、彼らにすら姿を見せる事は無かった。


「……行くぞ。もはやここに用は無い」

 中尉の低い、地を這うような声とともに、ファントムたちは闇に溶けるように、静かにその場を去った。

 中尉の手に握られていた保存ケースには、レオの粉砕された人格チップが収納されているはずだった。


 ヴェノム・ワイバーンの機内。

 ローターの重低音と、機体を震わせる微かな振動だけが支配する閉鎖空間。

 カインは薄暗いキャビンでシートに深く身を沈め、閉じた瞼の裏で、脳内に居座る「騒がしい同居人」に問いかけた。


(……アリア。単刀直入に聞く。君を殺したのは、誰だ?)

 その問いを投げかけた瞬間、脳内の色彩がふっと淡くなった。

 アリアのトーンが、わずかに湿り気を帯びる。


『それはねぇ……。ごめん、カイン。壊れた方の記憶みたいなんだよね。全然思い出せないの。たぶん、物理的にセクタ(記憶領域)が死んでるんだわ。もし、犯人の顔を目の前で見たり、名前を耳にしたりしても、そのショックで思い出したりなんて展開は期待しないでね。物理的に壊れたデータはどうしようもないんだから。私は……ただの残滓(残りかす)なんだから』


 アリアの声は、どこか自分を突き放したように明るい。

 それが逆に、カインの胸を熱く焼けた鉄を押し当てられたように締め付けた。

 失われたデータ。

 それは彼女の「死」という事実を、残酷なまでに証明していた。


『……別の線を考えてみたら?……クロエ。私の親友……でも、なーんか、クロエに助けを求めちゃいけない気がするんだ……』


(クロエ……)

 カインがその名を反芻する。電脳内に、微かな、不規則なノイズが走った。


『そう、私の親友。……頼ってみる? 彼女なら力になってくれるはず……あんなに仲良しな親友だよ。……でも……なんだろう……心がイガイガするというか……』


(嫌な予感がするのか?)


『……。少し、あるんだよね。胸の奥というか、このデータの端っこの方が、チリチリと燻る嫌なデータの断片があるみたい』


 カインは目を開けず、深く、重い息を吐き出した。

(……分かった。君の直感が大事だ。クロエについては、少し洗ってからにしよう……いいな?)

『そうね……疑う必要なんてないはずなのになんだろう……』


 ヘリは夜の闇を切り裂き、帰路に着く。

 着陸まであと一時間を切っていた。

 カインの右腕の義手が、微かな温もりを感じている。 

 それは、アリアの鼓動の代わりでもあり、これから始まる凄惨な復讐劇への、血塗られたカウントダウンのようでもあった。

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