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第38話 強烈な残滓

 シャイアン・マウンテンの最深部。 

 静寂を破ったのは、精密機械が噛み合う微かな駆動音と、システム起動を告げる電子ノイズだった。


 カインとラズロの電脳に、チリチリとしたノイズが走る。

 視界の隅でデバッグコードが超高速で流れ、やがて網膜投影が鮮明な現実を映し出した。


 カプセルの蓋が静かに跳ね上がり、青白い薬液が床に溢れ出す。

 二人が目を開けると、そこにはドクトルFによって完璧に調整された彼らの「象徴」――愛銃たちが、鈍い光を放って置かれていた。


「起きたか。……予定より早いが、のんびりテストをしている時間はなくなった」


 中尉の声だ。

 その響きには、今まで以上の殺気が混じっている。

「別チームが二つ壊滅した。やったのは、蠍の十二宮が一人、『Leoレオ』だ。……奴は今、タンカーに偽装した船でEUブロックへ逃亡を図ろうとしている。部下のCSサイボーグ・ソルジャーの大半を失い、本人も相当な深手を負っているようだがな」


 中尉はサングラスを掛け直し、重厚なハッチを指差した。

「予報は100%の雨。今からヘリで強襲する。……これはお前たちの入隊テストだ。奴の暗殺をもって、UPLファントム・リムへの正式配属とする。……行くぞ」


 カインは、自分の右腕をそっと動かした。

 かつての腕と感覚は何も変わらない。

 しかしそこにはアリアの「牙」が、皮膚の下で静かに脈動しているのを感じる。

 

 ラズロが不敵に笑い、ショットガンを肩に担いだ。

「中尉、感謝するぜ。この新しい体の性能テスト、ちょうどやりたかったんだ。……ただし、パーツ回収ボーナスは期待しないでくれよ」

「ああ、完全なるデストロイ(破壊)だ。蠍の名を冠する奴は、塵一つ残さん」

 カインの言葉に、中尉は微かに口角を上げた。


 嵐が全てを飲み込もうとしていた。

 北太平洋の荒波に揉まれる大型タンカー『ムーン・グレイブ号』。

 その甲板は、叩きつける横殴りの雨と、渦巻く波しぶきによって、生物の存在を拒絶する地獄と化していた。


 その直上、高度わずか20メートル。

 漆黒の闇に紛れ、さらにレーザー吸収塗料で身を隠した特殊作戦ヘリ『ヴェノム・ワイバーン』が、暴風に抗いながらホバリングしていた。


「……現在、敵船の対空レーダーはアクティブ。光学照準も生きてるわ。……甘く見ないで。見つかれば一秒で蜂の巣よ」


 コクピットで操縦桿を握るマリアンヌ・ルフェーヴル憲兵曹長の、氷のように冷徹で、けれど微かに震える声が、後部キャビンの三人の電脳に直接流れ込む。

 彼女は、かつての親友ジェシカの予備の腕をその身に宿したラズロを、そしてアリアの牙を纏ったカインを、この戦場へ送り届ける。

 その事実が、彼女の胸を焦がしていた。


「ドロップゾーン(降下位置)まであと十秒。……対空砲火対策のため、これよりマックス(全速)で突っ込むわ。高度20、時速400キロ。……サイボーグならではの、エグい降り方を見せて頂戴。死なないでよ、二人とも」


 マリアンヌがスロットルを押し込む。

 二重反転ローターが悲鳴を上げ、ヴェノム・ワイバーンは猛烈なダウンウォッシュを撒き散らしながら、矢のように海面へ向かって急降下を開始した。

 叩きつける雨とダウンウォッシュが混ざり合い、視界は最悪の濁りへと変わる。


 ハッチが開き、暴風がキャビンに吹き込んできた。


「……時速400キロ、高度20メートルからの、フリーフォール。……カイン、気をつけろよ」

 ラズロ・スタイン警部補が、束ねた黒めのブロンドを風に煽られながら、不敵に笑った。

 その左腕、生体の皮膚を模した外装の下には、呪われた試作兵器『ハデス・クロウ』が、主の殺意に応呼するように高周波振動を始めている。

 ラズロはジェシカの笑顔の記憶を振り切り、嵐の中へと視線を向けた。


「中尉。……先陣は俺が切る。……ジェシカの怒り、まずは甲板の雑魚どもに刻ませてもらうぜ」


「……好きにしろ。ただし死ぬな」

 ジュリアン・ヴァルテール憲兵中尉は、薄いスモークのサングラスを直しながら、冷淡に言い放った。

 彼の左眼の義眼は、凪いだまま月明かりを反射することなく、深い淵のように Leoのアジトを見据えている。


「……先に行くぜ、カイン! 地獄の底で、また会おうや!」

 ラズロが、高度15メートル、時速400キロのヴェノム・ワイバーンから、躊躇なく空中へ躍り出た。

 通常の人間であれば、空気抵抗と着地の衝撃で肉片と化す。

 だが、フルサイボーグの彼は違う。


 ラズロは空中で自身の落下角を制御し、姿勢を安定させる。

 タンカーの甲板が急速に迫る。

 着地の瞬間、彼は衝撃を吸収するために転がるのではない。

 両足の軍用CSサイボーグ・ソルジャー規格の強化アクチュエーターをフル稼働させ、鋼鉄の甲板へ文字通り「突き刺さる」ように着地した。


「UPL、各員展開! 鼠一匹逃がすな!」

 中尉の鋭い号令と共に、三つの影が鋼鉄の島へと躍り出た。


 甲板で迎撃に現れたのは、全身を安価な重装甲で固めた「赤い蠍」の私兵サイボーグたちだ。

 その数、およそ三十。


「ヒャッハー! 警察の犬どもが、バラバラになりに来たぜ!」

 雑魚どもの挑発に対し、ラズロ・スタインが応じたのは、右腰から引き抜いたセミオート・ショットガン『ケルベロス・ゲートキーパー』の咆哮だった。


 ドゴォォォォン!ドォン! ドゴォォォォォォォン!!!という連続した重低音と共に、高圧ガスがマズルブレーキから噴射される。

 ACHS(対サイボーグスラッグ弾)が、先頭のサイボーグの胸部装甲を文字通り「消滅」させ、隣のサイボーグの武器腕が消し飛び、その斜め後ろにいたサイボーグの肩から右腕が消し飛ぶ。


 さらにラズロは流れるような動作で左脇の『ピースメイカー・リバイバル』を抜き放ち、残りの雑魚の頭部へACHR重量弾を正確に叩き込んでいく。

 最初の四秒で甲板のサイボーグ・ジャンキーの突撃は恐怖で止まっていた。


 一方、中尉――ジュリアン・ヴァルテールは、外縁部を駆け抜けながら弾丸の雨を紙一重で回避しながら、抜刀した。

 特殊導電膜が蒼く光る日本刀『雷切ライキリ』。


「……蠍は皆殺しだ」

 中尉が踏み込む。

 加速デバイスを限界まで回した彼の動きは、常人の網膜には捉えられない。

 二秒。

 すれ違いざまに放たれた高電圧の斬撃が、十三体のCSサイボーグ・ソルジャーの内部回路を焼き切り、彼らは物言わぬ鉄クズとなって甲板に転がった。

 断面に激しい高圧の発雷と火花が飛び散っている。

 

 その混乱の中、カイン・ヴィラールは操舵室へと突き進んでいた。

 立ちはだかる重装甲の門番に対し、腰のハードポイントから引き抜いたのは、怪物『ベヒーモス・バスター』だ。


「……どけ。時間は取らせない」


 ボルトアクションを操作し、20mm徹甲炸裂弾を送り込む。

 引き金を引いた瞬間、タングステン芯が敵の正面装甲を容易く貫通し、内蔵された安定化ニトロが内部で炸裂した。

 爆圧でターゲットの四肢が吹き飛び、内部機構が「全損」する。

 アリアのパーツで強化されたカインの腕は、この化け物……ベヒーモス専用徹甲炸裂弾(20mm Anti-Cyborg APHE (Armor Piercing High Explosive)という規格外を弾いても、微動だにしない。

(これなら連射すら安定して出来る……アリア……君の遺品を使わせてもらう……)

(いいわ。その代わりちゃんと皆殺しにしなさいよ!出来たら褒めてあげるわ)


 死んだアリアの明るい声が聞こえる気がした。

 まさかサイボーグが幻聴を聞くとはな……カインは自嘲する。

 操舵室の扉を蹴破ると、そこには満身創痍の巨躯、Leoが待ち構えていた。

 カインは己の持つ強大な武器に酔い、油断していた。

 逃げ場はない。

 既にLeoが口腔を大きく開いて、対サイボーグ用音響兵器を起動させていた。


「死ねえ! 脳ミソごと焼き切ってやるわ!」

 不可視の衝撃波が放たれる直前、カインの右腕が「意思」を持って動いていた。

 足が床を蹴り上げ、素早く壁を駆け上がると、操舵室の内壁を駆け回る。

 皮膚がせり上がり、三連装の銃身『オルトロス』が展開する。


(……!? 身体が勝手に……)

『アンタ! 余所見してんじゃないわよ! 全弾ぶち込んでやりなさい!』

 音響兵器が空を切り、何も無い空間に虚しく響き渡った時には、カインの体はレオの直上にいた。

(いっけぇー!)

 脳内に響くアリアの声。

 毎分1200発のレーザーバルカンが火を噴いた。

 ゼロ距離で響き渡る、空気を震わせる連続音。


 Leoの巨躯は、二発目の音響兵器を放つ暇さえ与えられず、数千発の光の礫によってバターのように細切れに切断されていった。

 カインの体がふわりと優雅に着地する。


 Leoの巨躯はレーザーバルカン『オルトロス』によって四散し、操舵室にオイルの雨が降る。

 カインは荒い息をつきながら、自分の右腕を見つめた。

 おかしい。

 引き金を引いた自覚はある。

 だが、標的の動きを先読みし、最適解の射線をミリ単位で修正したのは、自分の演算回路ではない。

 いや、そもそも華麗な空中機動の全てがカインの意思では無かったはずだ。


(……無意識での戦闘? いや、違う。これは……)


 その時、脳に直接響き渡るノスタルジックで、それでいて爆発的なエネルギーを持った「声」が響いた。

 それは電脳で感じるには余りにも生気を帯びた生身に近い心の声。


『ちょっと! あんた! ああもう、やっと聞こえた?! さっきも聞こえてたんでしょ、カイン!?』


 カインは心臓が止まるかと思った。

 網膜投影の隅で、システムエラーは起きていない。

 しかし、電脳のインターフェイスがアリアの好みのデザインに変えられている気がする。


(……まさか。アリア……? アリアなのか……!?)

『そうよ! 私よ! びっくりしたわよ、目が覚めたと思ったらアンタの体の中じゃない! 私の乙女心がもたないわよ、こんなの!』

(アリア……アリア……! ああ、クソッ……夢じゃないんだな。会いたかった……ずっと、愛してると伝えたかったんだ……!)


 堰を切ったように溢れ出すカインの想い。

 しかし、彼はすぐに戦慄した。


 今の自分の思考は、単なる独り言ではない。

 電脳を共有している彼女に、加工前の「なま」の感情がすべて流れ込んでいるのだ。


(ま、待て! 思考が全部、筒抜けなのか!?)


『う、嬉しい……私も、私もあんたのことが、死ぬほど大好きよ! ……って、うぎゃあああ! ダメ! 恥ずかしい! 何言わすのよ!そんなこと私が思うわけないでしょ! ……でも、好きなのよカイン! 大好きなの! ……ああああぁぁぁぁぁ!』


 脳内はもはやパニック状態だった。

 アリアもまた、自分の表層意識と本音が強制的にリンクしてしまう事態に、制御不能な叫びを上げている。


 互いの「愛してる」という叫びが電脳内で反響し、回路がオーバーヒートしそうだ。

 アリアは必死に照れ隠しをするべく、思考の表面を無理やり別のイメージで塗りつぶそうとした。


(ハ、ハンバーガー! ハンバーガー食べさせなさいよ! 肉よ、肉! ギトギトのやつ!)

(……アリア、落ち着け。練習すれば、心の声は聞かれずに済むのか?)

(……たぶんね。でも今は無理! 思考のダムが決壊してるんだから! ……っていうか、なんでこうなったのよ!?)

 

 タンカーの喧騒が遠のく電脳の深淵で、カインは必死に平静を装い、震える思考を言葉に変えてアリアに紡ぎ始めた。


(……俺は、君の遺品である『オルトロス』をこの右腕に移植した。……あの日、瓦礫の下で君を見つけた時には、人格の基幹を司るチップは完全に粉砕されていたんだ。修復の余地なんてどこにもない、もう助からない……永遠に失ったと思った。だから、せめて君の『右手』だけでも共に連れて行きたくて、火器管制チップと武器腕……そして君のパーツのほとんどを、俺の体に換装したんだ)


 懺悔のようなカインの告白。

 だが、それを聞いたアリアは、場にそぐわないほど勝ち誇ったような、謎の自信に満ちた念波を返してきた。


『なるほどね……! ふふふ、ふふふふ! 甘いわね、カイン! 私を誰だと思ってるの? 私はね、酔っ払うと自分の大事な記憶とか人格メモリを、あちこちのフォルダに移動させちゃう癖があるのよ!火器管制ファイルの間とか、システムのバックアップ領域とかにね! 理由? そんなの「酔ってるから」に決まってるじゃない! リブートしても無駄よ、保存場所そのものを書き換えてるんだから!』


 アリアは鼻を鳴らすような得意げな気配を漂わせたが、その直後、ふっと声のトーンが湿り気を帯び、泣き出しそうな震えを帯びた。


『……でもね。流石に人格の基幹データまでは動かせない。今の私は、アリアという女の「切れ端」……残響のようなもの、なのかもしれないわね……』


 カインは驚愕し、思考を停止させた。

 アリアが酒に酔った勢いでしでかした、あまりにも無鉄砲で、あまりにも奇跡的なバックアップ。

 もう二度と会えないと、あの雨の廃工場で魂を削られるような思いで別れを告げたはずの彼女が、今、不完全な形であっても、確かに自分の内側に「生きている」。


(アリア……君というやつは……)

 カインの意識の奥底で、止まっていた時間が、音を立てて再び動き出そうとしていた。


『……私はもう、一人の人格としては成立しないわ。人格チップは砕かれたし、データは整理されないまま「オルトロス」の制御プログラムと混ぜこぜ。戻りたくても戻れない、私はあんたの人格の一部になっちゃったのね……。壊れちゃったのよ、私は……』

(アリア……すまない。俺が不甲斐ないばかりに、君をこんな形に……)


『カイン、君なんて呼ぶのはやめて! 一心同体なんだから、アリアって呼びなさい! ……ふぅ、またか…………甘いわね。でも、感謝してるわ。消えるはずだった私の心が、大好きなあんたと共にいられるんだから…………あ、また! うわあああ、やめて! 私の心が勝手に共有されるの、ムリ!!』


 互いの羞恥心が限界を突破し、人格が崩壊しそうになる。

 カインは、彼女がいなくなった夜、どれほど絶望して彼女の遺品を抱きしめたかという記憶を必死に隠そうとしたが、それさえもアリアに優しく暴かれていく。


(カイン……あなた、私が死んだ時……悲しみすぎよ……バカ…………。いい? 「心の奥」で考えるのよ。そうすれば、表層には漏れないみたい。……ねえ、私なんて、心の中にいたら邪魔だよね? 心から他人の声聞こえるなんて………消しても良いんだよ?)

(……馬鹿を言うな。アリアがいなくなった時、俺の世界は止まったんだ。お前が俺の牙になってくれるなら、俺は一生、お前を離さない。ずっと一緒だ、アリア)

『……もう、バカ。バカバカバカ! だから大好きだって言ってるでしょ!』


((あああああああああああああああ!!))

 最後には、お互いの巨大すぎる情愛に耐えきれず、二人は電脳の中で同時に絶叫した。

 抑えれば抑えようとするほど暴走する己の心の声。

 それは、死によって引き裂かれた二人が、鋼の体を通じて再び「結合」した、あまりにも騒がしく、残酷で、そして世界で一番幸せな産声だった。


「カイン、終わったか」


 背後から、血の匂いを纏った中尉が現れた。

 サングラスをわずかにずらし、凪いだ左目で見事に四散したLeoの残骸を確認する。


「……上出来だ。アジャストの拒絶反応もなさそうだな。ラズロはどうした?」

 その問いに応えるように、甲板から凄まじい「音」が響いた。

 空間が歪むような、不快な高周波。


 ラズロが左腕のリミッターを解除していた。

 生体の腕に見えた左腕が、二の腕からグニャリと「折れ曲がる」。

 内部から展開されたのは、1.7メートルにも及ぶ三本の鈍色の鉤爪――『ハデス・クロウ』。


「ジェシカ……お前の怒りを、こいつらに刻んでやる……!」


 ラズロが腕を振るった瞬間、接触したサイボーグたちの装甲も、骨格も、持っていた武器も、すべてが原子レベルで粉砕され、霧のような塵となって消えていく。

 それは戦闘というより、一方的な「消去」だった。


「……『ハデス・クロウ』か。相変わらず神をも恐れぬ悪趣味な武器だ」

 中尉は冷淡に呟いたが、その視線はどこか懐かしさを感じているのか遠くを見つめていた。

 タンカーを包む雨足はさらに強くなる。

 

 操縦席のマリアンヌ曹長が、通信を入れる。

「こちらマリアンヌ。ターゲットの沈黙を確認。……カイン、ラズロ。……おかえりなさい。12星座を撃破したのって史上初めてなのよ!しかもこれで2人目!」


 彼女の声には、親友ジェシカの仇を討った安堵と、歴史的快挙への賞賛が爆発していた。

「カイン!」

「ラズロ……気が付いたか?武器に」

「ああ……手に吸い付くようだ……作動が買った時よりも滑らかに動く。ジャムが起きる気もしない」

「何者なんだろうな?これを整備したドクターFっていうのは……」


 カインは電脳の中で、アリアと「思考の共有」という名の、あまりにも騒がしく、そして温かい繋がりに身を委ねていた。


(アリア……これからも、俺を助けてくれ)

『当たり前じゃない! あんたが死んだら、私も消えちゃうんだからね。……でも、心の奥で「愛してる」なんて連呼するの、やめてよ……こっちまで熱くなるじゃない……バカ……』







 オマケ

 「赤い蠍対策捜査本部」通称UE-0 "PHANTOM-LIMB"(ファントム・リム)の駐屯施設内カイン・ヴィラールには私邸として一棟のヴィラが与えられていた。

 秘されたエリートゆえの高待遇。

 しかし視界に映るのは、それ以上に「毒」の強い光景だった。


『……ねえ、ちょっとカイン! あんたねえ! 「好きだ惚れた」とか散々言っておきながら、好きな女の目の前でトイレに入るのやめてくれる!? 私の乙女心はもう限界よ……。しかも、感覚まで完全同期フルシンクロしてるなんて、聞いてないわよ!』


 脳髄に直接響くアリアの悲鳴。

 カインは鏡の中の自分――クールで近寄り難い、一匹狼であるはずのエクスキュショナーの顔を見つめ、溜息をついた。


(……勘弁してくれ。俺だって望んでやってるわけじゃない。……目を瞑ってたらどうだ?)

『ダメよ! システムが直結してるんだから、目を閉じても音も、匂いも……生理的な感覚まで全部伝わってくるのよ! 最悪! 最悪すぎるわ!』


(……俺だって、世間からは冷徹な処刑人に見られてるんだぞ。だが、お前がそこにいる以上、もう隠し事なんて不可能だ。俺の尊厳は、お前に出会った瞬間に全損したんだよ)


 カインが毒づくと、脳内のノイズがふっと静まり、アリアの声が甘く湿り気を帯びた。

『……ねえ、カイン』

(……なんだ?)

『大好き! ……って、じゃなーーーい! いまの無し! 忘れて! ……あんた、一生このままでいるつもり? 私は本物のアリアじゃない。ただのデータの切れ端、残滓のこりかすなのよ?』


(……そんなこと、今さら言うまでもないだろう。読めるんだろ? 俺の表層意識の……裏側まで)

『……まあね。ああもう、熱いわね……ムリ……好き……。私の電脳がとろけそう。かつてのクールでセクシーで謎めいた、良い女代表のアリア様が見る影もないわ……分かってると思うけど、今の(好き)だって事故だからね……』


 アリアは電脳の中で身悶えするように笑う。 

 と、その時、カインの喉に奇妙な渇きが走った。

(……ところでな。なぜ俺は、さっきから真っ昼間だというのに白ワインが飲みたくて仕方がなくなるんだ?)

『え? あら、バレた? 私は昼ワイン派なの。夜はビールよ!太陽の下での一杯が最高なんだから』

(やめろ。アルコール混じりの火器管制なんて仕事にならん。……だが、今日だけだぞ。たまには付き合ってやる)


 カインが根負けして呟くと、視界の隅に「それ」が現れた。

 レティナ・プロジェクション(網膜投影)によって生成された、半透明のアリアのホログラム。

 かつてカインを翻弄した、あの小悪魔的な微笑みを浮かべ、あざといポーズをとっている。


(おい……! そんな可愛らしいホログラム体を出すな。視界が遮られる。……ああ、クソッ、俺のクールなイメージが……!)

『ふふふ、このポーズ、可愛いんだ? さあ、カイン、セーブ(永久保存)しとくわよ?』

(やめてくれ……俺の貴重なメモリに、戦闘に関係ない「可愛いメモ」を増やすな……。……っ、戦闘起動を消すなと言ってるだろう、消すなと!代わりに可愛いポーズ入れるな……頼む……)


 消去プログラムを走らせようとしたが、無意識に止まる。

 カインの電脳には、また一つ、アリアという名の「セーブデータ」が深く、深く上書きされていった。


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