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第36話 遺品

 ヴェノム・ワイバーンの二重反転ローターが、山林の静寂を暴力的に切り裂いた。


 マリアンヌ・ルフェーヴル曹長からの通信が二人の電脳に入る。

「お待たせ。さあ、乗って」


 漆黒の機体から、ダウンウォッシュを切り裂いて一人の男が降り立つ。

 黒に近い青髪をさらりと流し、薄いスモークのサングラスをかけた長身の男。

 その佇まいは、軍人というよりは、死を司る執行官のそれだった。


「……直接会うのははじめてだ、二人とも。NYPD-ACCのエクスキューショナー諸君」


 男の声は、ヘリの轟音の中でも冷徹に響いた。 

 カインは金髪をなびかせ、左脇のホルスターに収めた『ジャッジメント・リヴァイアサン』の重みを感じながら男を睨む。

 ラズロもまた、右腰の『ケルベロス・ゲートキーパー』のグリップに指をかけ、相棒の隣で身構えた。


「ジュリアン・ヴァルテール憲兵中尉だ。通信では話しただろう?参謀本部直轄、情報三課から来た。これは表向きだ。本当の身分……正式な話は後でやるが、貴様らは本日をもって、軍と統一国家警察局USPAが共同で設立した極秘捜査本部へ組み込まれる。通称UE-0 "PHANTOM-LIMB"(ファントム・リム)。これからはUPLと呼称せよ。俺が貴様らのボスだ。……まあ、お手柔らかにな」


 中尉の言葉には、拒絶を許さない絶対的な重みがあった。

 噂は聞いた事はある。

 大佐クラスですら最大限の敬意を払うというその指揮権は、彼が背負う闇の深さを物語っている。

 中尉がサングラスをわずかにずらした瞬間、カインは見てしまった。

 その左目――機能を停止し、交換すら拒んだまま凪いでいる、不気味な虚無の眼窩を。


 中尉の視線が、カインの足元へ落ちる。

 そこには、GE(強酸)を洗い流され、カインの震える手に抱えられた「アリアだったもの」の体の上には痛々しく頭部と右腕部が転がっていた。


「……その遺体は?」


 短い問い。

 カインは奥歯を噛み締め、血を吐き出すように応えた。

「……俺の、愛した……大事な人だった……」


「そうか」

 中尉は、それ以上の感傷を切り捨てた。

 規律に忠実でありながらも、心の奥底には部下を思い遣る心が垣間見える男の目は、カインが握りしめる軍用プロトタイプの腕――XM-213 "ORTHRUS"を冷徹に分析していた。


「右腕をパージしているな。……内蔵式レーザーバルカン『オルトロス』。軍の先行試作品(M-T)だ。……いいだろう、カイン・ヴィラール。上官としての初めてのプレゼントだ。適合アジャストに問題がなければ、お前にその『牙』をつけてやろう。彼女の未練ごと、な」


「中尉! いや、中尉殿!」

 横からラズロが、狂気すら孕んだ叫び声を上げた。

「俺にも……俺にもそれ(プレゼント)を……恵んでくれるか! 俺の死んだ妻、ジェシカは軍属だった。彼女が最期まで使っていた予備の左腕が、自宅に……ニューヨークにあるんだ! ずっと、ずっと眺めて、抱きしめることしかできなかった……彼女の形見。アレを、俺に。俺のこの鈍い腕に、ジェシカを宿してくれないか!」


 ラズロの告白は、雨に濡れた森の木々の間に虚しく響く。

 雷が鳴り響き、雨足は急激に強くなる。

 強盗…………いや、赤い蠍の暗殺に遭い、隣で妻を殺され、自らもサイボーグとなった男の、積年の殺意が豪雨を呼んだかの様だ。

 中尉は、表情ひとつ変えずにラズロを見据えた。

 少し浮いた状態のヘリの前で、三人の男は、一瞬の無言になる。

 その全員の目には、蠍に対する凄まじい殺意と、愛した女への狂おしい愛が宿り、雨が彼らの髪を、涙を流し続けている様だった。


「ああ、知っているさ、ラズロ。お前の過去も、赤い蠍への執着の理由も。……UPLファントム・リムという名は、愛する者を失った者の痛みを抱えたまま、引き金を引き続ける者のためにある。よし、ニューヨークへ進路を取る。そこで妻の遺産を回収しろ。その後、コロラドの『ピーターソン宇宙軍基地』へ向かう。そこが我々の家、『蠍』を駆除する復讐者の捜査本部だ」


 中尉は背を向け、ヘリのハッチへと歩き出す。 

「いつか話そう、俺の家族の話を。蠍……貴様らと同じだ」

 その背中には、カインやラズロよりも15歳は年上であろう、歴戦の重圧が張り付いていた。

 中尉もまた、この冷徹な皮殻の下に、凄まじい悲しみを飲み込んでいる。

 カインは確信した。

 あのサングラスの奥、機能を失った左眼部には、何か凄まじい物が、復讐の時を待って潜んでいるのだと。


 重厚なハッチが吸い込まれるように閉まり、機密性の高いキャビンに一瞬の真空が訪れた。

 直後、ヴェノム・ワイバーンの二重反転ローターが空気を力強く掴み、漆黒の機体は垂直に夜空へと躍り出る。

「温風を出します……風邪なんかは無縁でしょうけど……」

 コクピットから慈悲を含む優しい声が、後部座席にいる三人の電脳に流れてくる。

 しかし、返信はしなかった。


 眼下に広がるロサンゼルスの宝石箱をぶちまけたような夜景が、急速に遠ざかっていく。

 それは、彼らが守るべきだった「市民の平穏」との、決別を告げる儀式のようでもあった。


 カイン・ヴィラールは、ガタガタと小刻みに震える膝の上に、アリアの冷たい右腕を横たえていた。

 アリアの遺体は、中尉が丁寧に保護シートに入れてくれた。

 指先が、その右腕部人工皮膚の滑らかな感触を辿る。

 かつてアリアがこの腕で自分の肩を叩き、悪戯っぽく笑いかけてきた時の温もりは、もうどこにもない。

 そこにあるのは、熱を失い、生体維持機能を停止した、ただの精密な「部品」だ。


(……アリア。お前はいつも、騒がしかったな……メシの時も……戦場でも……)


 この皮膚の下には、毎分1200発のレーザー弾を叩き出す軍用プロトタイプ『オルトロス』が眠っている。

 近距離ならば重装甲すらバターのように切断する、文字通りの牙だ。

 カインは、自身の左脇に収まったリボルバー『ジャッジメント・リヴァイアサン』のグリップを強く握りしめた。


「……アリア、お前のこれ(腕)を、俺に貸してくれ。俺の神経に、お前の怒りを焼き付けてくれ」


 絞り出すようなカインの独白に、隣に座るラズロ・スタインが反応した。

 ラズロは雨に濡れた黒めのブロンドの長い髪を機体の振動に揺らしながら、窓の外の闇を見つめていた。

 その瞳には、今まで見たこともないような、ぎらついた光が宿っている。


「……カイン、お前だけじゃない。俺もだ」

 ラズロの声は、震えていた。

 それは恐怖でも怒りでも無い、何年も凍りついていた感情が……妻の遺品が自らに装着されるという、形容し難い感情が駆け巡っていた結果であった。


「ジェシカが死んだあの日から、俺の心は死んだままだった。形見の腕を抱きしめるたびに、自分が情けなくて、ただの鉄クズになった気分だったよ。……だが、中尉は言ったな。『プレゼントだ』と」


 ラズロは自嘲気味に笑い、左拳を強く握りしめた。


「妻の一部を、この俺に宿せる。……それがたとえ、軍用の殺戮兵器であっても構わない。ジェシカの腕が俺の腕になる……」


 二人の男の殺意が、狭いキャビンの中に充満する。

 それは窒息しそうなほどに濃密で、どろりとした黒い執念だった。


 その時、操縦席との仕切りを背にしたジュリアン・ヴァルテール中尉が、サングラスを直しながら静かに口を開いた。

 彼の左目の義眼は、月明かりを反射することなく、深い淵のように凪いでいる。


「……浮かれるなよ、猟犬ども。武器腕は普通の義手とは違う。火器管制を精神の中心に置くんだ。お前たちの人格スタック(精神)を歪めるかも知れん。アジャストの過程で発狂した奴を、俺は何人も見てきた」


 中尉の言葉は、氷の楔のように二人の熱を冷まそうとする。

 だが、その声の底には、彼らと同じ地獄を見た者だけが持つ、奇妙な共感の響きがあった。


「特にアリア・シズク・ウォーカーの『オルトロス』は厄介だ。軍の特務部隊が扱いきれずに放り出した、文字通りの暴れ馬だ。カイン、お前の電脳がその演算負荷に耐えきれず焼き切れるか……扱えなければ即廃人だ」


「構いません、中尉殿。……アリアが、俺に付かないのならば……この世に未練などない……」

 カインは言い放った。

 そのサングラスの奥の瞳は、もはや捜査官のそれではない。

 ただ、一人の女を求めて狂う、無力な一人の男だった。

 中尉は、わずかに目を細めた。

「……よかろう。その覚悟が甘ったるくて腑抜けた恋愛感情か、命を賭して武器を身に纏う戦士の覚悟か……いずれすぐにわかる事だ。ラズロ!お前の妻、ジェシカの腕も『普通』じゃない……せいぜい覚悟しておけ」


「「はっ……ボス」」


 声が重なった二人は顔を見合わせ不敵に笑う。

 それは笑いに見える絶望の咆哮であった。

 ヘリは高度を上げ、大陸を横断するべく加速を開始する。


 これから向かうのは、ニューヨーク、そしてコロラドの深部、シャイアン・マウンテン。

 そこには、自分たちの人生を狂わせた「赤い蠍」を地獄へ引きずり戻すための、冷たい手術台が待っているはずだ。


 カインは再び、アリアの右腕に指を這わせた。

 機体の振動が、まるでアリアの鼓動のように伝わってくる錯覚。

(待ってろ、『蠍』ども。お前たちが消したアリアの武器で、お前たちの世界を焼き尽くしてやる)


 夜空を駆けるヴェノム・ワイバーンは、復讐者たちの静かな咆哮を乗せて、運命の地へとひた走るのだった。

 愛した女たちは、もういない。

 だが、その失われた半身を自身のシステム(生体神経パーツ)へと繋ぎ直したとき、彼らは人であるエクスキュショナーから真のエクスキュショナーに変わるのだろうか。

 

 蠍に辿り着かないはずだった自分たちの牙は、ジュリアン中尉という冷酷な導き手を得て、いま最強の武器へと鋳造されようとしていた。

 ニューヨークを経由し、シャイアン・マウンテンの闇へ。

 三人の亡霊ファントムを乗せたヘリは、ネオンに濡れたロサンゼルスを捨て、血塗られた報復の旅路へとひた走る。

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